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なりたい自分になる


いつから「こんな人になりたい」という願望を持つようになったのだろうか。
思い出してみると、案外遅い気がする。
子供の頃になりたい職業は?と聞かれた時、なんと答えていたのだろうか。もう記憶にはない。

ただ、小学校3年生の頃に習い始めたドラムを中学生になっても続けるのか、続けるのであればプロになるつもりなら続けてもいい、という親の問いかけに、「先生が才能があるというなら、プロを目指したい」と答えたのは覚えている。ただ、これは職業の話であり、結果的にはプロになる直前でやめてしまった。
12年間続けたのに。

大学に入学してから、生き方探しを始めたらしく、(自分ではなんとなくだったが)女性作家のエッセイを読み漁った。その背景には、専業主婦で洋裁の内職をしていた母のようには、絶対に生きたくないと思っていたことがあった。結果的に母は、私たちが成人した後、自分で洋服屋を開き、30年以上続けた。

男女雇用機会均等法もない時代、自立して生きる、ひとりでも生きられるようになりたい、と思ったのは、女性作家のこの時代にはありえない、自立した生き方を知って、「こんなふうに生きられるんだ」と勇気をもらったからかもしれない。生まれ育ったバックグラウンドも全く違うのに、その生き方に憧れたのがよかったのかどうかはわからないが、結果的に自立した。
なりたい自分になった。

そして、2020年の強制一時停止が世界中で起きた時、なりたい自分がわからなくなった。
自立した自分にはなったものの、その生き様を振り返れば、時間や心の余裕もなく、たまたまうまくいった成功体験をもとにした価値観で生きていることにやがて気がついた。
もう誰も使わなくなってしまった言葉を、そのまま良いと思って使い続けているように。
「ナウイ」なんて誰も使わないし、使ったところで通じないのに、使い続けているのはどうなんだろう、と、(実際にはそんな言葉は使ってなかったが、自分の生き方がそんな感じがしたのだ)痛感した。

また、生き方探しを始めた。どんな自分になりたいんだろう、と自問自答し続けた。すぐには答えは出ない。本を読んでも、今回はだめだった。なぜなら、おそらく本を書いている人たちも今までの時代にあった生き方をしているから。この時私が求めていた生き方のお手本は、若い人たちの中にあった。身近に娘がいたことはありがたかった。教え子たちもいた。理屈よりも感覚で生きている若い人たちが眩しく見えた。ただ、人生の時期が彼らとは違う。
これから最盛期を迎え、家族を増やす時期にいる人たちと、すでにそれらを終え、親を見送り、自分の面倒を見ればいいだけの私たちとは違う。

「私の中に答えはある」
そう気づいたとき、長い間やっていなかった「自分と向き合う」ことを始めた。
結果的に、これからはこんな人になりたい、と目標ができた。

心の大きな人になる。
直感で動ける人になる。

まだまだ、そんな人にはなりきれていないが、少しづつ近づきつつあるように思う。
でも、進んでは戻る、ということもしょっちゅうある。
それでも、あの20代の時に「自立した人になりたい」と目指して実現したことを思い出し、今日も自分で立てた目標を目指している。

年齢も、バックグラウンドも関係ない。自分の心を常に見つめ、それを大事にする。
理由はわからないけど、やりたいと心がいったことはさっさとやる。結果的にどうなるのかは、誰にもわからない。未来なんて、私のような普通の人間には見えないのだから。

去年より今年の方が、この目標にぐんと近づく予感がある。
これも心の声だ。安心して日々を過ごしていい。
そう言われている気がする、冬の日曜日の快晴の空がある。


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通りすがりのnoter Hiromi
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