今こそ、特別支援学級で実践したい各教科等を合わせた指導-Ⅲ 特別支援学級の教育と各教科等を合わせた指導-
植草学園大学名誉教授 全日本特別支援教育研究連盟理事長
名古屋 恒彦
1 各教科を合わせた指導の受け止め
近年、特別支援学級で学ぶ児童生徒は年々増加の一途をたどっています。このことは、特別支援教育への理解と信頼の深まりに基づくものと思っています。今後の教育の充実が望まれるところです。
しかしながら、知的障害特別支援学級の先生方からは、知的障害教育の中核の指導法である各教科等を合わせた指導を実施する難しさが、時として聞こえてきます。
「私たちは特別支援学級なので、特別支援学校のように各教科等を合わせた指導を大きく位置づけることは難しい」といった声も聞かれます。しかしながら、歴史的に見れば、生活単元学習も作業学習も当時は特殊学級と言われていた特別支援学級から始まり、特別支援学級で発展してきたものです。ですから、当然特別支援学級で各教科等を合わせた指導を行うにしても、その指導理念や方法は特別支援学校のそれと変わるものではありません。
しかし、現実的に考えておかなければならない課題は今日いくつかあるように思います。
具体的に以下、考えたいのは、特別支援学級の教育課程のありよう、交流及び共同学習のありよう、通常の教育の教科学習との関係などです。
2 特別支援学級の教育課程
特別支援学級は小学校または中学校に設置されている学級ですから、教育課程を編成する場合は、知的障害のある子どもを教育する場合でも当該校の学習指導要領(小学校学習指導要領または中学校学習指導要領)に基づくことになります。
しかし、知的障害のある子どもに対しては、小学校や中学校の学習指導要領に基づく教育課程を編成・実施するだけでは最適な教育を行うことが困難です。そこで、学校教育法施行規則第138条に以下の規定が設けられています。
「小学校若しくは中学校又は中等教育学校の前期課程における特別支援学級に係る教育課程については、特に必要がある場合は、(中略)特別の教育課程によることができる。」
この規定により、特別支援学級では、小学校や中学校の学習指導要領のみによらずに教育課程を編成することができるようになっています。「特別の教育課程」という場合、具体的には特別支援学校学習指導要領に基づいて編成される教育課程を意味します。
知的障害のある子どもにとっては、特別支援学級でも、特別支援学校学習指導要領に示された知的障害教育教科、すなわち生活の自立のために必要な教育内容を大切にして教育課程を編成することが不可欠となります。
知的障害教育教科を指導するのであれば、各教科等を合わせた指導は効果的な指導法として認識されてきましたし、すでに述べましたように、各教科等を合わせた指導は特別支援学級発祥ですので、特別支援学級でも大いに実践していかれればということになります。
余談ではありますが、各教科等を合わせた指導だけでなく、知的障害教育教科もまた、特別支援学級での教育課程研究の成果に源流を求めることができるのです(小出進『知的障害教育の本質―本人主体を支える 小出進著作選集』2014年、ジアース教育新社)。
実際、現在でも各地の特別支援学級で、元気な各教科等を合わせた指導が展開されているのはうれしいことです。たとえば、全日本特別支援教育研究連盟が全国の特別支援教育実践の中から、毎年その年の優秀な教育実践1件を表彰する研究奨励賞の2017年度の受賞は特別支援学級での生活単元学習でした(式地真「500個のゼリーを注文販売した小学校特別支援学級の実践~テイクアウト専門『ゼリーの店 ひまわり長岡店をよろしく』~」 全日本特別支援教育研究連盟編『特別支援教育研究 No711』2016年、東洋館出版社)。
3 交流及び共同学習と各教科等を合わせた指導
◆教科交流と各教科等を合わせた指導の調和
インクルーシブ教育システム構築において、交流及び共同学習は有力な方法です。特別支援学級は、小学校または中学校に設置される学級ですので、校内の通常の学級との交流及び共同学習は実施しやすい条件を有しています。したがって、可能な限り交流及び共同学習を展開していくことが望まれます。
そのことと関係して、各教科等を合わせた指導に関わる課題があります。
各教科等を合わせた指導を日課上、どのように位置づけるか、です。各教科等を合わせた指導を大きく位置づける場合、毎日のゴールデンタイム(午前10時~12時くらい)に位置づけ、生活の核(コア)とし、その日課を毎日繰り返し、週日課上帯状に配置する、いわゆる帯状の週日課による指導が有効です。
しかし、教科交流を積極的に行えば、ゴールデンタイムにも交流先の学級での授業時間が入ってきます。となりますと、子どもはゴールデンタイムであっても交流先の教科交流で各教科等を合わせた指導の時間を抜けて、交流学級に出かけていくことになります。つまり、一日の生活の核になるべきゴールデンタイムに各教科等を合わせた指導に存分に打ち込むことが難しくなるのです。これをもって、「できるだけ教科交流はしたくない」という声も聞かれないではないのですが、各教科等を合わせた指導がインクルーシブ教育システム構築の妨げになるとしたら、それはやはり不幸な事態です。そうならないための工夫が必要です。
その工夫の一つには、各学級で週日課表を計画する際に、交流先の学級になるべくゴールデンタイムでの交流教科の設定を避けてもらうよう、特別支援学級の週日課表との調整を行うことです。交流及び共同学習では特別支援学級の教師と通常の学級の教師との連携は不可欠ですので、この種の調整は当然あってよいでしょう。しかし、そうは言っても限界があります。
そこで、もう一つの工夫、これは工夫というよりも発想の転換というべきかもしれませんが、各教科等を合わせた指導自体を、子どもがいつ抜けてもよいし、いつ戻ってきてもよいような柔軟で自由な展開にしておくということです。
筆者はこの発想の転換をより推奨します。というのも、このように各教科等を合わせた指導を考える方が、よりリアルな生活になると思うからです。各教科等を合わせた指導は、子どもの実生活を学習活動の中心とした指導の形態です。実生活ですので、生活としてのリアルさが求められます。そう考えると、教科交流による子どもの出入りもそれほど気にならなくなるものです。というのも、我々の日常の仕事の中でも、人の出入りは実際にはあることです。社会生活をしていれば、勤務時間にも出張や来客対応などが入ることは最近は珍しいことではないかと思います。その場合、いったん仕事を外れます。用務が済めば仕事に戻ります。また、私用で時間給を取って中抜けすることもあります。そのような発想で、教科交流の出入りも考えてはどうでしょう。
そうすると自ずと各教科等を合わせた指導のイメージも定まってきます。活動が時間ごとに細分化されているよりは、一定の活動を繰り返している方が出入りはしやすくなります。活動が時間ごとに細分化されているといったん抜けて戻った場合、流れに乗りにくくなりますが、流れが一定であれば、戻ってきたところからまた合流できます。
また、子どもや教師が、教科交流に出ていった子どもの活動を補えるような協働的な活動展開にしておくことも有効です。各自が同じ活動をそれぞれに活動を進める形ですと、途中で抜けた子どもは戻ってきた段階で、ほかの子どもより活動の進度が遅れてしまいます。それに対し、みんなで協力して一つのものを作るような展開であれば、不在の間は補うということで対応でき、戻ってきても遅れは発生しません。
という具合に、自然で実際的な活動を展開すれば、教科交流による出入りもそれほど気にはならなくなります。
教科交流も大事な教育活動なのですから、それを応援できるように、各教科等を合わせた指導の活動をリアルに考えることが大事です。
◆各教科等を合わせた指導での交流及び共同学習
交流及び共同学習が成果をあげるために大事なことは、それぞれの子ども同士がよい姿で出会い、同じ目標をもって共に活動することです。
交流及び共同学習でしばしば難しいのは、特別支援学級の子どもが通常の学級の子どもに「支援される」という関係になってしまう場合です。筆者自身も養護学校(当時)教師時代に交流(当時は交流及び共同学習という言葉はありませんでした)をした際に感じたものですが、「困ったいる人は助けてあげましょう」というような、ともすれば上から目線の道徳観を安易に実践されてしまう向きもあります。最初から、特別支援教育の対象の子どもは「助けてあげる存在」というスタンスで来られるのには閉口したものです。
しかし、各教科等を合わせた指導の中で、子どもが思いきり力を発揮している状況下では、このような先入観はいつしかなくなり、お互いに対等に、よき仲間としてのお付き合いができるようになってきます。ここに各教科等を合わせた指導の力があります。ですから、交流及び共同学習を考える上では、特別支援学級で行っている各教科等を合わせた指導に通常の学級の子どもたちに参加してもらうタイプの実践も大いに行っていくべきと考えます。
「支援する-支援される」という関係が生じてしまうのは、両者の間に客観的かつ不可逆的な能力差があるからではありません。「支援される」側に置かれる子どもの側に、その子が精一杯力を発揮できる支援条件が不足している場合に起こるものです。このような自体は、交流及び共同学習においては、教師側の支援不足、授業準備の不足に他なりません。通常の学級の子どもたちも特別支援学級の子どもたちも、生き生きと活躍できる条件下での交流及び共同学習を目指すべきで、その一つの有力な方法が、各教科等を合わせた指導での交流及び共同学習なのです。「できる状況づくり」が周到に行われた授業の中で、子どもは頼もしい存在となります。そのような姿での交流及び共同学習であれば、お互いを支え合うよい関係が生まれます。
各教科等を合わせた指導での交流及び共同学習を推奨する最大の理由はここにあります。そして、もう一つ理由をあげるとすれば、各教科等を合わせた指導の教育力は、間違いなく通常の学級の子どもたちにも豊かな育ちを保証します。交流及び共同学習も授業なのですから、通常の学級の子どもたちもしっかり育ってくれなければよい授業とは言えません。
自身の実践経験からも、そしてその後何度となく見学させていただいた各教科等を合わせた指導での交流及び共同学習の成果からも、通常の学級の子どもたちの確かな育ちを実感しています。それは単に障害理解等の特別な学習内容ではなく、各教科等を合わせた指導ならではの確かな生きる力の高まりや生き生きと活動する姿の実現という、障害の有無に関係のない普遍的な学習内容での育ちを意味します。その点でも、各教科等を合わせた指導での交流及び共同学習は強くお薦めです。
通常の学級の先生方にとっても、各教科等を合わせた指導に直に触れていただくことで、この教育への理解が深まると共に、「育成を目指す資質・能力」を養う授業への有効なヒントを得られることもあると思います。
4 通常の教育の教科学習と各教科等を合わせた指導
◆「育成を目指す資質・能力」を共通言語にする
特別支援学級は、小学校または中学校に設置される学級ですので、当該の学校の学習指導要領、すなわち小学校または中学校の学習指導要領によりますが、実際には特別支援学校の学習指導要領に基づく教育課程が編成されることはすでに述べました。しかし、一方で、小学校または中学校の学習指導要領による部分も当然あってよいものです。知的障害教育の場合も、すべてを知的障害教育教科に替えることだけでなく、通常の教育の教科であっても習得可能でかつ生きる力につながるものを指導することに臆病である必要はありません。
ただし、通常の教育の教科を指導する場合、知的能力相当の知識・技能を習得することで事足れり、であってはならないと考えます。その知識・技能を習得することで、その子の生活が生活年齢相当に豊かになっていくことまでを指導計画にしなければならないことは、知的障害教育における教科別の指導と同じであるべきです。この点、かつての通常の教育の教科は、系統性や知識重視のため、生活に結びつきにくいうらみがありました。このことも、独自の知的障害教育教科を生み出す契機になっています。
しかし、新しい学習指導要領のキーワード「育成を目指す資質・能力」の三つの柱に即した教科はそうではないし、そうであってはなりません。通常の教育の教科学習においても、活用でき、子どもの豊かな生活(内面の豊かさも含め)を実現しなければならないことを考えれば、今後は通常の教育の教科学習と知的障害教育における教科学習(教科別の指導だけでなく、各教科等を合わせた指導)の連続性も高まることが期待されます。これらを有機的に組織化できれば、特別支援学級ならではの「カリキュラム・マネジメント」が実現できるでしょう。
「育成を目指す資質・能力」を共通言語とすることで、通常の教育の教科学習と各教科等を合わせた指導の有機的組織化も可能になるのではと期待しています。
植草学園大学・植草学園短期大学 特別支援教育研究センター
障害者支援を学ぶことは、すべての支援の本質を学ぶことです。千葉市若葉区小倉町にキャンパスをもつ植草学園大学・植草学園短期大学は、一人ひとりの人間性を大切にした教育を通じて、自立心と思いやりの心を育むことにより,誰をも優しく包み込む共生社会を実現する拠点となることを学園のビジョンとしています。特別支援教育研究センターは、そのビジョンを推進するため、平成26年度に創設され、「発達障害に関する教職員育成プログラム開発事業」(文部科学省)の指定を受けるなど、様々な事業を重ねてきています。現在も公開講座を含む研修会やニュースレターの発行なども行っています。 tokushiken@uekusa.ac.jp