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お歌、踊りの好きな子→情緒の豊かな子の危険性。

お疲れ様です!オーストラリアで保育士をしているぴぃです。

今日はこんなトピックを考えてみようかなと。

保育園や幼稚園で歌や踊りを習ったり、お家でも教育番組や、今ならYouTubeチャンネルなどをまねしながら子ども達が楽しそうに、そして一生懸命歌ったり踊ったりする姿はとっても微笑ましく、可愛いものです。

こどもってお歌とか踊りとか好きだよね!

この言葉、人生の中で発したことのある方も多いのではないでしょうか?

私は・・・多分結構何度となく言ってると思います。

ごく一般的なこの意見。確かに多くの子どもには当てはまるということは今までの日本とオーストラリアでの保育士経験から確信しています。

だからこそ、あくまで"多くの"子どもがなのであって、決して"全ての"子どもがそうだとは限らないことを忘れてはなりません。

"子どもって"と括ってしまうことで無意識に"全て"の子どもがキッズソングをかけると楽しく可愛く踊り出すという先入観を大人は持ってしまいがちです。踊りに限らずですが・・・

この子はお歌も踊りも好きで感性が豊かね!情緒が豊かね!と微笑ましく感じる大人も多いことでしょう。それは全く良いのですが・・・

ではその視点で見ると、保育園で音楽をかけて踊りを練習している時、参加せずに端っこで座っている子がいたとします。

その子に対してあなたはどんな子だと感じますか?

この子音楽が嫌いなのね・・・

恥ずかしがり屋なのかしら?

なんて思う方もいらっしゃるかもしれません

ひいては

                 子どもなのに踊らないなんて、大丈夫?

なんて心配される方もいるのかもしれません。

実際保護者さんでみんなが踊っている中1人だけ輪から外れて座っているご自身のお子様を心配されて、どうにか参加させて欲しい、協調性や感性について不安に思うなどご相談を頂いたこともあります。

これらが確かに当てはまるケースもあるのかもしれません。実際本当は参加したいのに恥ずかしがり屋さんで参加出来ず、ちょっと働きかけてきっかけを作ってあげることでその後楽しく参加出来るようになる子もいます。

1人だけ外れて踊りに参加しない我が子を心配されるのもごもっとも。

だがしかし、今回私がお伝えしたいのは、前述のご意見の共通項に、ある危険性が潜んでいる事にも気づいて頂きたいという事なのです。

危険性?ちょっと大袈裟な言葉かもしれません。でもこれ、本当のことなのです。 

ではその共通項とはなんでしょうか?

3つの意見にはそれぞれ、感想の奥には多かれ少なかれ、音楽に合わせて踊らないことが問題である。もしくは普通では無い。という前提めいたものが意識的、もしくは無意識的に含まれているのです。

(子どもって音楽が好きなはずなのに)この子音楽が嫌いなのね・・・

(子どもなら普通音楽にのせて踊るのはずなのに) 恥ずかしがり屋なのかしら?

 子どもなのに踊らないなんて、大丈夫? (性格や成長に何か問題があるんじゃないかしら?)

まぁこんな感じ。

子育てに自信がついてきたり保育士を長年してきて多くの子どもを見れば見るほど子どもってこうよね・・・って括ってしまいがちです。

でも当然、みなさん誰もがご存知の通り、子どもも大人も、一人一人全く違う性格や感性を持っていることを忘れてはなりません。

踊りに入らず1人だけ離れている子にもそれぞれの理由がきっとあるはずです。

例えば大人に置き換えてみましょう。

私はカラオケが大好きです。オーストラリアには日本のようなカラオケはあまりないので、とても悲しいです。

日本に住んでいた時は友達とはもちろん、いわゆるヒトカラもしょっちゅう行っていました。

って急に話逸れすぎですね苦笑

例えば大学時代、飲み会終わりで大勢でカラオケに流れてオールナイトで歌い明かすなんて経験をされた方は多いのではないでしょうか?

その中にだいたい一人、全く歌わない人いませんでしたか?私はただただ歌いたい側だったので、同じお金を払っているのにつまらなくないのかなぁ?なんだかカラオケに来るの、強要してしまったかなぁ?と思いある時そんな中の1人に本当は帰りたかったんじゃないかと聞いてみたことがあります。

するとその友人はこういいました。

「歌うのは好きじゃないけどこうゆう場が好きだし、みんなが歌ってるのを聞くのが楽しいんだよね。」と。

私の中には全くない価値観だったので、他の人が楽しむのを見て楽しめるなんて、なんて素敵な感性なのかしら。と驚いたものです。

・・・という、私の青春のひとコマを保育園の日常に置き換えてみましょう。

以前担当した1-2歳児クラスにいたFくん。とっても物静かで表情も豊かなタイプと言うよりはちょっとした仕草でこう思ってるのかな?と言うところが見えてくる子で、他の子どもと遊ぶと言うよりはその時々で自分が楽しめる遊びを探すのが得意で、集中したひとり遊びをする事が出来る子でした。

お母さんはそんなFくんの個性を認めつつも、他者への興味が薄いのではと少し心配だった様子なので、私は彼をしっかり観察しながらもその日楽しんでいた事を伝えるようにしていました。

そんな彼も2歳になり相変わらずグループでの歌や踊りに交わることは無いものの少しずつ変化が見えてきたのです。彼を観察していると、少し遠巻きにではあるものの他のことをしながらも他の子どもやグループ活動を実はよく観察している様子を見ることが多くなってきました。

そして何が起きてもさほど表情を変えるタイプでは無い彼が唯一とても楽しそうに笑う時がありました。

それは彼が、他の子どもたちが楽しそうにはしゃぎあっているのを見ている時でした。

まさに彼は、私の友人のように他者が楽しんでいる姿に喜びを感じられる、とっても素敵な感性の持ち主だったのです。 

その後Fくんはお引越しの為退園してしまったので、あれ以来どのように育って行ったかは残念ながらわからないのですが、何かを強要されることなく、彼らしく彼の良さを伸ばしながら育ってくれたらいいなと思っています。

歌や踊りがあまり好きではなくても、絵を描くことで感情を表現する子もいれば、そのどちらにも興味はなくとも表情が飛び抜けて豊かな子、ぼんやりしているかと思うと実は色々観察し、考えていて急に的を得たことをぼそっとつぶやく子。園では全くお歌を歌う様子はない子がお家で園で習った歌を歌詞も完璧に高らかに歌っていると聞き驚いたこともあります。

子ども一人一人感じ方もその表現の仕方も全く違います。今回はお歌、踊りの例を挙げましたが、要は何をお伝えしたいかと言うと、

保育者さん、教育者さんは子どもが好きそう、やりそう。みんながやっている。全員やるべき。などを基準にしてお子様を出来ている、周りの子が出来ることを出来ていない。という視点で判断するのではなく、お子様一人一人をよく観察し、その子は何が得意で、どういう表現をする子なのか。ということを見出してあげて欲しいな。ということ。

保育者さんはご自分のお子様が周りの子と違う点に焦りを感じるのではなく、それを個性と認め、逆にお子様にしか出来ないことに目を向けてあげて欲しいのです。

それをするには保育者、教育者と保護者の連携は欠かせません。保育者、教育者は園外、学校外で起こっていることを知ることは出来ませんし、また逆も然り。一斉活動に参加しないというお子様の選択を尊重するにも保護者さんのご理解が必要です。

また、私が保育士をしてきて気づいたことは保護者さんは同年齢の子どもの集団の中で我が子を長時間観察する機会が意外に少ないので、パッと見わかりやすい"出来ていない"は見つけられるものの、その子が飛び抜けて得意なことはむしろできて当たり前と思ってしまい見落としだということです。

例えば以前に3歳になりたての時点でひらがな、カタカナはおろか小学校高学年レベルの漢字まで読めてしまうお子様に出会ったときも、お母さんは好きで勝手に自分で覚えてるみたいですけど普通じゃないんですか?という感じでした。

なので得意を伸ばして特技にしてあげるためにも保育士はそれを親御さんにお伝えして行くのもお仕事の一つかな。と思っています。

現在は自由保育が主のオーストラリアで働いている私ぴぃですが、実は一斉保育も好きな保育方法です。(細かくはまた今度記事にしますね)しかしながら一斉"強要"保育は好きではありません。

みんなと同じことが出来ること、だけではなく、みんなと違うことが出来ること。みんなと違う表現が出来ること。も当然評価基準になるような、そんな教育が出来るといいなと思い今回はこんな記事をあげてみました。

文責:ぴぃ

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