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対話なくして教育はできない
社会に属していると部下や後輩から学ぶことも多い。そしてそんな部下を教育するとき、さらに多くのことを人は学ぶ。
僕が初めて部下を持ったのは大学を出た後の新卒2年目だった。
パン工場でライン長をやっていた頃だ。
「レイラ」という女の子の名前が靴箱に加わっていた。漢字の字面や響きにそこはかとない"ナウさ"を感じたことを覚えている。
上司1年生の僕。
不器用で稚拙、しかし実りある上司生活が始まった。
レイラは地元の商業高校を出た高卒1年目の小柄な女の子だった。小柄と言ってもやや丸く、シルエットはミニドラに近い。
性格や言動は、悪くいうと「世間知らず」良くいうと「伸びしろしかない」だった。
まず敬語は使わない。
「最近の若者は敬語がなっとらん」とかそういうレベルではなく、敬語の無いネオ日本語を操る子だった。
口癖は「でもさ!」と「え〜」。僕がダレノガレ明美ならとっくにビンタが飛んでいる。
新入社員歓迎会では「あの人が工場長だよ」と工場のトップである工場長をレイラに教えた。
ドスの効いた関西弁と紫電の眼光。禿げ上がった頭が強面ぶりに拍車をかける工場長は、修羅の如く幹部を叱る鬼だった。
そんな権力の権化におもむろに歩み寄るレイラ。
自分から挨拶をするとは意外と礼節を弁えているじゃないか等と思った僕がバカであった。
「工場長、スノウ撮ろ!!」
スノウとは当時流行っていた可愛く盛れるカメラアプリだ。スマホの画面に自分と工場長を詰め込んでシャッターを押し、撮れた撮れたとホクホクしているレイラを見た時、ふてぶさしさとアグレッシブさに見習うものを感じてしまった。
その後LINEグループに、禿げた頭にモフモフのウサ耳を生やした光る工場長が送られてきた。後にも先にもこれ程ニッコニコの工場長を見たことはない。
「なぜ出勤したら挨拶すべきなのか」
「なぜ上司には敬語を使うのが良いのか」
そんなことを他愛のない会話のなかで話しては「でもさ〜」「いいじゃん〜」と非論理を煮詰めて固めたような反論を喰らう日々だった。
それでも翌日には「おはよーございまーす」とだるそうに挨拶するあたり、彼女なりに応えてくれているのかもと少し嬉しかった。
そんな彼女を、一度だけかなりしっかり叱った記憶がある。
レイラは普段9時出勤で9時ジャストに来る。
その辺は労働法上まぁ良いとして、その日は9時10分になっても来なかった。そして電話も出ない。「事故ってないか??」そんな声が沸いた。
結局パートさんに負担をかけつつその場をしのいでいたが、いつの間にかレイラが出勤してきていた。時間は11時。開口一番「寝坊しちゃった!(笑)」だった。社会的に事故っていた。
きっと感情論で話したり、"常識"という誰が決めたかも分からない戒律を説いても適切ではない。
そして「上司としてしっかりしなきゃ」という幼い責任感があったからか時間を見つけてレイラと向き合うことにした。
「遅れると分かった時点で電話をすべきなのはなぜか?」
「チームメイトはどう思うだろうか?」
そんな事を一つ一つ取り上げて対話してみる。
いつもどおりの「でもさ〜」という宇宙人のような理論にも「うんうん」と地球人なりの擦り合わせをしてみた。
通じたか通じてないかは正直分からない。ただ翌日は8時55分に来た。
そして如何にKPOPのTWICEが優れているかという話をしてきた。工場長が笑顔になった理由が分かった気がした。
レイラとは2年半ほど同じラインで過ごし、僕は退職した。
僕はその後も部下を持つ立場になるが、初めての「教育」が僕に与えた影響は計り知れない。
人間たる者、頭ごなしにモノを言われても腹落ちせず「理解」に及ばない。対話してみて互いの齟齬を確認し、信用ができて初めて教育の一歩目が始まる気がするのだ。
レイラのその後は知らない。
晩年「アイドルになるためにお金貯めてる」と言っていた。全く期待していないが最近の「可愛いだけじゃダメですか?」的なアイドルは一応チェックだけしている。
後にも先にももう会えない「初めての部下」の人生に、僕の言葉が少しでもプラスに働いていれば嬉しいと思う。
つづく。