道徳における表現力を育てる NO2
本シリーズでは、道徳科の授業ではあまり重要視されていない表現活動について述べていきます。前号の「宛名性の意識」では、仲間へ真剣に語る言葉が互いの関係性をつなぐことについて述べました。
本号では第2弾「発言はできるだけ短く」についてです。
*前回号と合わせてお読み頂けると幸いです↓
1 一文が異常に長い子ども
道徳科に限らず、子どもの発言には特徴があります。
それは・・・
「一文が異常に長い」と言うことです。
例えば、算数の台形の面積の求め方を説明する場面の子どもの発表は、
このような発言になってしまうのではないでしょうか。
道徳科でも同じようなことが見られます。
例えば、定番教材「手品師」の授業でも・・・
教師の「手品師は誠実だと思いますか」という問いかけに対して、
以上のように、子どもの発表は羅列的で一文が以上に長い発表になってしまうのです。
上記の子どもの、手品師の誠実性を訴える理由を注視してみると、かなりの内容が詰まっているにもかかわらず、文章はたった一文です(汗)。
2 ついていけない子ども
上記のような説明のデメリットとして、聞いている子どもの中には「何を言っているのか理解できない」という人も出てきてしまいます。
また、人によっては自分にとって都合のいいように解釈する子どもも出てきてしまいます。
そうなると、その後の話し合いに大きく影響してくるのです。
例えば・・・
Aさんが、一生懸命に説明したのに「え?言っていることが意味がわからない」という場面をよく見かけます。
そして、教師は「ごめんAさん、もう一度説明してもらえる?」と、また最初から説明しなければならなくなるのです。
また、Aさんの「手品師も満足できない」という言葉だけを取り上げて、Bさんが「え?大劇場に行っても満足すると思うよ」「だって、大勢の人に見てもらえるから」と、自分にとって都合のいい言葉だけにつっこむんだり、反論したりして議論が深まらない場合もあるのです。
3 一文を短く、確認しながら
だからこそ、上記の発言を次のように言い直しさせます。
このように一文を短くし、友達の理解を確認しながら自分の意見を主張させることで、互いの相互作用が生まれ話し合いに深まりが生まれるのだと思います。
次号では、表現力を育てるための方法、第3弾「探索的な言葉を育てる」について迫ってみたいと思います。
*私のnoteでは、2週間に一度、「道徳科の授業づくり」について書いております。興味のある方はフォローして頂けると幸いです。
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