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楽すること
私はこの4年半で、楽することをすっかり覚えてしまった。
私は本を読むことが好きだ。
好きだけれど、なかなか読み進まない。
それは、物語に集中したり細かい文字を追ったりするより、指を動かしスマートフォンを適当に眺める方が遥かに"楽"だからだと思う。
読書を始めようと思ったのに、気づいたら本を傍に置いて、スマートフォンを触っているということがよくある。
読書ではなくスマートフォンを眺めることを選ぶのと同じように、私は度々、自分を肯定するより否定することを選んでしまう。
それは他人から否定された過去があるからなのか、幼い頃から周囲のことの方を気にする癖がついていたからなのか、原因が分かっていたり、分かっていなかったりするけれど、とにかく自分を肯定することは私の中では"頑張ること"であって、自分を否定することはとても簡単だ。(今は、自分を否定してしまう自分をまず肯定するところからやっている。)
難しいことをするより、簡単なことをする方がずっとずっと、楽なのだ。
その"楽"を、私の頭と心と体全部がすっかり覚えてしまった。
楽を覚えてしまった私はいつからか、目の前の課題を解決することより、自分と向き合うことより、生きることより、死にたいと思うことを選ぶようになった。
死にたいと思うこと自体はすごく苦しいのに、不思議だ。
でも、死にたいと思うことは、私にとってとても簡単になってしまった。
死にたいと思ってしまえば、向き合うべき課題を放って、とにかく落ち込むことだけを"すればいい"ような感覚がある。
私はこれから、難しい方を、大変な方を、選べるようにならなくてはいけない。
そうでないと、ずっと心も体調も、変わらないと思うから。
スマートフォンを眺めるより読書を。
昼間まで寝るより早起きを。
後回しにするよりすぐやることを。
休んでしまうより少しだけ頑張って出勤することを。
自分を否定するより肯定することを。
死にたいと思うことより一生懸命に生きることを。
もちろん時折、自分に優しくしながら。
向き合わなくてはいけないのだ、4年半ずっと、楽してきたという事実と。