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家族とのこと

私は両親に愛されている。


と、思えるのは、いってらっしゃいやおかえりがあるからで、楽しい会話があるからで、笑顔があるからだ。

なのだけど。
私は、母と、父と、目を合わせて話すことが苦手だ。
私は時々、母が怖い。父が怖い。
母にも父にも、責められていると感じることがある。

それは、私が色々なことに敏感であることも大きく関係していると思う。
でも、それだけではないのだと思う。



母は、心配性で、神経質で、何事も丁寧だ。
時々、精神的に不安定になることがあるのを私は知っている。

よく覚えているのは、一番下の弟(私・弟・弟 の3人兄弟)が母の言うことをなかなか聞かず、母が泣き出してしまったことだ。

母が泣いた時の記憶は、凄く鮮明に残る。

母方の祖父(一緒に暮らしている)と母はよく喧嘩をする。
喧嘩をして母が泣くところは、自分が幼い頃からよく見てきた。
その場にいると、何故だか自分も泣いてしまいそうになったのをよく覚えている。
間に入ったり、どちらかの機嫌取りをしたりすることはなかった。

心配性の母は、雨予報の日に私の弟が傘を持って出かけなかったことを凄く心配する。
本当に、凄く凄く心配する。それを私に話す。

神経質な母は、やらなくてはいけないことが多い。
どれもとても丁寧にするから、時間がかかるようだ。
夕飯の支度を終わらせたい時間が母の中でいつも決まっていて、その時間に間に合わないと、苛々し始める。ため息をつく。動きが激しくなって、物音を立てる。
そういう時、呼吸が浅くなると母は言っていた。

母は昔、精神的に不安定になり、精神科にかかったことがある。
訳もなく涙が出ることがあったと。
でも、私の希死念慮についてはよく分からないようだ。

母と私はよく話をして笑い合う。共通の趣味もある。



父は、短期で、機嫌が態度によく出る人で、几帳面だ。

仕事から帰ってくると、父の表情は重く、暗く、ため息が多い。苛々しているのが態度からよく分かる。

父は苛々すると、分かりやすくため息をつく。舌打ちをする。
車の運転をしている最中なら、運転が荒くなる。

よく覚えているのは、子供の頃、苛々している父に手で体を'どけられた'ことだ。
背中あたりを少し強く押された程度だ。
父の動線に自分が居て、邪魔だったのだと思う。
私の弟にそれをしているのも何度か見た覚えがある。

一緒に住んでいる私の祖父を、父はあまり好いていない。
気に触ることを祖父が言ったりしたりすると、途端に機嫌が悪くなる。

機嫌が良い時、父はよく笑う。よく話す。とても優しい顔をする。



上の弟はとても寡黙で、高校生になったあたりから私とはほとんど話さなくなった。
仲が悪いわけではない。
でも、目を合わすことも、話すことも、今はほとんどない。

下の弟は反抗期真っ只中という感じで、上の弟と同じく私とはあまり話さない。
仲は悪くない。
現在は精神科に通っている。
両親からお金を盗んだことがあるし、未成年だけれど煙草を吸っているらしい。
そのことを両親は知っているけれど、直接叱ったことはないそうだ。
私がそれについて口出ししたことはない。



と、ここまでが家族構成と家族の性格や私の思うこと。

私が苦しいのは、両親の機嫌が悪い時の態度と、家族全体のコミュニケーションがあまり取れていないこと、祖父の存在、下の弟の行動、母の精神状態、などなど。


母や父の機嫌が悪い時、私は萎縮する。
機嫌を態度に出されることに苛立ちながら、静かに萎縮する。
苛々を私が掻き立ててしまうことがないように。
機嫌の悪さに気付いていることを悟られないように。
母のため息や父が立てた皿の音は、胸に強く突き刺さる。
胸が、本当にどくんとして、痛い。


私たち家族は、同じ部屋にいて、言葉を交わさない時間が長い。
弟2人と母、弟2人と父、弟2人と私、母と父、母と祖父、父と祖父、私と父、私と祖父。
ほとんど言葉を交わさないというこの空気が、私は凄く苦手だ。
でも、どうコミュニケーションをとったら良いか、分からない。
幼い頃から、コミュニケーションの取り方が不十分だったのだろうか。


祖父の存在や下の弟の存在が、母の精神を不安定にさせる。
私の存在もかもしれない。
母は、あれが嫌だった、これが嫌だった、こんなことがあって、と私にほとんど全てを話しているように思う。私が大人になってからは。
私はそのことについて、あまり口出ししない。
相槌を打つ程度にしている。
私が口出ししたところで母の行動が変わるとも思わないからだ。
でも、母の精神が不安定になることをとても恐れている。
そうならないように、最低限話を聞いているつもりだ。


私は自分の悩みを母や父にほとんど話せない。
どう話したらいいか分からないし、話したいと思ったことがない。
話し出したら泣いてしまって、話にならないのも分かっている。
話さないのはあまり良くないということも。



"機能不全家族""アダルトチルドレン"という言葉がある。
私の家族がそれに当てはまるかは分からないし、私がそれに当てはまるかも分からない。
当てはまっても当てはまらなくてもどちらでもいい。

けれど私の家族は、問題を抱えている、とは思う。
そして私の今の精神の不調は、家族とのことに影響を受けているとも思う。

私はこの事実と向き合いたくなかった。
今も、向き合いたいとはあまり思っていない。
きっとこの先も、しっかりとは向き合わないのだと思う。
向き合う勇気が無いから。
しっかりと向き合うほどの労力が、私にも、母にもきっと無いから。
でも、本当は向き合わなくてはいけないのだと思う。
家族とのこれまでのことが、私を形作っているから。
それに気付いた時、私はとても悲しくなってしまった。

私は家族のことを責めている。
私の不調を家族のせいにしている自分がいる。

私は母が好きなのに、私の子育ての多くをしてくれた母の、そのやり方が良くなかったのではないかと思ってしまっている。

私の家族は、'よい家族'ではないのかもしれない。


今の私は、ここで止まっている。
悲しいという事実だけで。

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