見出し画像

世界遺産「水原華城」(スウォン ファソン)を歩いて考えたこと

ソウルから電車で約1時間の「水原」(スウォン)には、華城(ファソン)という城郭があり、世界遺産に登録されています。

私は、3月中旬、ソウルから路線バスを3本乗り継いで、水原の華城行宮(ファソン ヘングン)にたどり着きました。「宮廷女官チャングムの誓い」の撮影で使われたことでも知られています。

入口付近に、チャングムに出て来そうな衣装をつけた男性が2、3人いたので、何かイベントでもあるのですかと尋ねました。

すると、今日1時から踊りをここで披露するとのこと。まだ9時過ぎだったので、もう一度ここに戻ってきて踊りを見ることにしました。彼はまったく違和感のない日本語を話すので、日本の方ですかと尋ねると、地元の方でした。

裏手の山が「八達山」で、頂上に西将台があります

この華城行宮を中心として、周囲が全長5.7キロの城郭に囲まれているのが、水原華城です。周囲の城壁の上には遊歩道があり、ゆっくりと歩いて一周すると2時間ぐらいかかります。

李氏朝鮮第22代王の正祖(チョンジョ)が、父の死を弔い悼んで、1796年に完成させたのですが、その2年後に正祖が亡くなり、遷都は幻となりました。

チャングムが出てきそう

華城行宮を後にして、長安門に歩いて向かいました。途中にはオシャレな店や庶民的な通りもあり、普通の韓国の人の生活が垣間見えました。忙しいソウルに比べると、街全体がのんびりしていてホッとしました。

長安門
長安門の甕城 (おうじょう)
長安門の甕城の形状がよく分かります

甕城 (おうじょう)とは、城門の防御を強化するための半円形の城郭のことを指します。日本にはない防衛手段ですね。

ここまで歩いて来て疲れたので、長安門を眺められるカフェに入りました。韓国ではカフェ文化が浸透していて、私が入ったのはコーヒーにこだわったオシャレなお店でした。

Foresta Coffee

Foresta Coffeeを出て長安門に戻り、水原で最も有名な「華虹門」に行こうと思ったのですが、方向を間違えて、反対方向に歩き出していたのです。

行きたかった華虹門は、長安門のすぐ近くだと後でわかりました
地図をしっかり見ておくべきでした

地図上では近いのに、なかなか華虹門が見えてこないと思い、スマホで確認すると反対に歩いてきたことに気づいたのですが、城壁上の歩道は景色もいいし、しばらく歩くことにしたのです。下の観光地図でいうと、長安門から華西門の方へ左回りに歩き始めたのです。

城壁の上には見張り小屋がいくつもあり、防御が堅固だと感じました。

歩き疲れたら、途中で城壁から麓に降りればいいやと思いながら歩いていたのです。

この方向に歩けば予定通りだったのですが、逆に歩き出しました

ところが、城壁上の遊歩道はだんだんと万里の長城のように階段が多くなり、周囲は山や林になって、簡単に城壁から降りることができないような地形になってきました。

これは覚悟を決めて半周ぐらいは歩かざるを得ないと思いつつ、途中に麓に降りる小道や階段がないかなと探しながら歩いたのです。

その時、ある疑問が浮かびました。なぜ、日本には街全体が城壁に囲まれた城郭都市はないのだろうか、ということです。それとも城壁に囲まれた城下町は日本にあるのかなあ? などと考えながら、どんどん歩道を歩きました。

華城将台(西将台)  城壁で最も高い地点
この近くに平地に降りる階段があったようです

日本の場合、城を掘や石垣などで防御しますが、城下町全体を塀や城壁で囲むということをしないのは、なぜだろうか?

西南暗門 (長安門が正門でこちらは裏門のようなものですが、かなり立派です)

ヨーロッパ、中国、朝鮮半島まで城郭都市があるのに、日本の場合はーーーなどと考えながら、結局、城壁をほぼ半周歩いてやっと、西南暗門から平地の「八達門」まで降りることができました。

八達門

八達門に降りてきたのが12:30過ぎでしたので、華城行宮前の1時の踊りには間に合いそうもないので、それを見るのは諦めて、この周辺でお昼を食べることにしたのです。

というのは、八達門周辺の、とても賑やかで庶民的な商店街の雰囲気に惹かれてしまいました。昭和の商店街が年末セールをやっているような活気が感じられました。

昼食をとって、バスで華虹門に向かいました。バスの乗客の中には、買い物帰りのおばあちゃんとお孫さんというような乗客がいて、大昔の自分を見ているようでした。

華虹門
華虹門(上の写真の反対側)

日本に本格的な城郭都市が出現しなかった理由は、いくつかあるようです。

1.日本には、加工しやすい石が少ない。
2.城壁を積んでも地震で崩れる。
3.土地の起伏が激しく、石材を築城する場所選びが困難。
4.日本は、ヨーロッパや中国のように陸続きでないので、異国の民族に侵略される危険性が低い。
5.日本では戦さの時は、城に立て篭もるが、平時には家臣は城周辺の街に住むので、城自体の防御を固める方が大切。

高さ5〜6mはありそうな城壁を乗り越えて、水原華城に侵略するのは、大石内蔵助の討ち入りのように、かなり大掛かりに計画的に実行しないと難しい気がします。

李氏朝鮮22代の正祖は、12年間で父の墓所に13回参った記録があるそうです。彼の父を慕う気持ちが、城郭都市「水原」を生んだとも言えるでしょう。

長安門のロータリーのすぐ近くにあった、正祖の壁画です。米国のロサンゼルスのリトルトーキョーにある大谷選手の壁画に負けず劣らず立派ですね。

私は正祖を見習わなければなりません。しばらく親の墓参りに行っていないので、今年中には行こうと思いました。「墓に布団は着せられず」という格言が、最近とみに身に染みます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?