旧門司駅は、アジア・欧州への玄関口
かねがね、訪れたいと思っていた旧門司駅(現在の門司港駅)に行ってきました。旧門司港駅は福岡県北九州市門司区にあって、九州で最も古い駅です。国の重要文化財にも指定されています。鉄道駅舎の重要文化財は東京駅と2つのみです。
旧門司駅には、長い歴史があります。この駅舎は2代目です。初代門司駅は、明治24(1891)年に現在の位置から200mほど離れた所に開業したのですが、門司港の発展にともない、現在の位置に2代目の駅舎が竣工しました。
昭和17(1942)年の、関門鉄道トンネルの開通までは、対岸の本州下関駅との間に就航した関門連絡船と九州各地へ向かう鉄道の乗換駅としてかなりの賑わいだったようです。
駅から港までの道路には、多くの商店や宿はもちろん、物売りや客引きで大いに繁栄しました。バナナのたたき売りが始まったのも、この地だったとされていますが、ここよりも以前にバナナのたたき売りをした人がいなかったかどうか、なんて証明のしようがないですね。
関門トンネルが開通してこの門司駅は、門司港駅と改称されました。門司駅の地位は、旧大里駅に譲ったのです。
この旧門司駅は、関門連絡船の拠点の駅ばかりでなく、日本にとって海外への玄関だったのです。今でいえば、羽田・成田・関西空港を合わせ持ったような日本の玄関口だったといえます。
飛行機が一般的な交通手段となる前は、日本から朝鮮半島、アジア大陸、ヨーロッパ大陸方面に行くには、まずは、門司港から船に乗ってアジア大陸にわたって、シベリア鉄道を利用するしかなかったわけです。関東圏だと横浜港から客船に乗って長期間の船旅の航海に出るかしかなかったわけです。
門司港からの客船としては、戦前の植民地台湾の基隆(キールン)や旧満州の大連や、マルセイユやロンドンへの欧州航路もありました。
この駅に降り立った人は、これからの長い船旅や大陸の鉄道旅行に、緊張感と希望に満ちあふれていたことでしょう。当然お金もたくさん持っている人ばかりでしょうから、そういう人たちをカモにしようという、悪い輩もいたでしょうね。
この幅広いプラットホームを見れば、往時の賑わいが相当だったことは、想像できます。
さあ、これから船で満州に渡って一旗上げるぞ、という人たちもいれば、ヨーロッパに国費留学するエリートたちも、この駅を通過したわけです。
北九州市が推進した「門司港レトロ事業」の一環として、この駅舎を大正3(1914)年の完成当時の姿に、できる限り戻すための修理・復元工事が行われ、2019年に完了しました。その甲斐あって、今でも現役の駅舎として活躍しています。
駅の改札口前の、コンコースもかなり広く設計されています。左手の切符の販売窓口がたくさん並んでいることからも、乗降客が多さが推し量られます。
意外と販売の窓口が、低い位置になっています。
2階も見学できます。赤じゅうたんが敷かれた階段を上るか、改修工事に伴って設置されたエレベータを利用することもできます。
旧華族や皇族、大物政治家などがこの貴賓室(一等待合)を利用したのでしょう。
昔の列車は、乗客の身分や職業などによって一等、二等、三等に分かれていましたが、この駅では、待合室まで3つの等級に分かれていました。
二等と三等の待合室は、1階にありました。
1階の旧三等待合室では、現在、スターバックスが営業しています。ここで一休みしました。ロゴマークの変遷が一目で分かるディスプレイが店内にあります。
そのロゴマークの反対側には、駅開業当初から使われていた暖炉がありました。
アイスコーヒーを飲んでホッとしてたら、暖炉上の細長い紫色のスチール看板に、私は目が止まりました。
「西洋料理喫茶所」とそれを英語にした「REFRESHMENTS UPSTAIRS」と、読めますが、「西洋---」の下には何が書いてあるのでしょうか?
私は、喫茶所の電話番号が書いてあったので、消してしまったのかとも思ったのですが、近づいてよく見ると、
「當所駅接上にあります 御随意に御休憩下さい」と読めました。これが英語の、UPSTAIRS(上の階に)となったようです。このカフェ兼レストランは、お金があれば誰でも利用できたのでしょうか?
では、当時、どんな喫茶所が駅の2階にあったのか気になったのです。それなりの人たちが駅を利用していましたから、かなり高級なレストランだったのではないでしょうか。
Web上で検索してみると、JR九州が「門司港駅ものがたり」というサイトを公表していて、旧門司駅開業の当時の新聞記事が載っていました。
下の記事の中で、「階上に開業する洋食は神戸ミカドホテルの出張にかるものなり」とありました。
神戸ミカドホテルは、明治30(1897)年に後藤勝造によって創業されたホテルだそうですが、高級フランチレストラン「みかど食堂」を神戸駅近くで開業していたとのことです。
さらに、門司港駅ものがたりには、次の記事もありました。
昭和56年まで営業していた、ということは、それまでもかなりの乗降客が門司港駅にはあったということでしょう。
この写真は昭和30年頃のものだそうですが、雨の日にもかかわらず、バスから降りて駅に入っていく人がかなり多いことが分かります。
映画の撮影にも使うことができそうな雰囲気ですね。
旧門司駅の修復・復元工事の費用がいくらかかったか分かりませんが、文化的に価値があるものを後世に残していこうという、鉄道関係や北九州市や市民の方々の見識の高さに、大いに賛辞を送りたいと思います。
文化や教育にかける予算が日本は、多くの先進国に比べてかなり低いことが指摘されています。
国によっては、博物館や美術館の入場料が無料だったり、とても低い金額だったりします。日本に無料の美術館・博物館はいくつあるでしょうか。