徳なき恐怖は忌まわしく、 恐怖なき徳は無力である
どうもです。
最近また読書量が増えていまして、
特に歴史を学び直しております。
やっぱり歴史って面白いんですよね。
現代の問題・課題を考えるにあたっても、まだ見ぬ未来を思案していくにしても、
歴史を知っているか知らないかで、考えも感覚も変わってきますし。
自分は昨年、このnoteにて『名古屋STREETDANCE HISTORY』を執筆させていただきましたが、
歴史を紐解くということは、
『自分たちがどこから来て、今どこにいて、ここからどこへ向かうのか。』
ということを輪郭づけてくれると思うんですよね。
歴史のみならず、知るということの経験も、より深い自分自身の選択が出来ることに繋がるんだと思います!
というわけで、
インプットばかりしていても仕方ないので、
今日は自分の中で歴史の中の気になった一言や転換点を、
自分の感想や考えを混じえてアウトプットしておきたいと思います。
出来事をまとめたり解説したりするサイトも動画も巷に溢れているので、
そういうことよりも、より局所的な瞬間を切り取って考えてみます。
【本日のお言葉】
『徳なき恐怖は忌まわしく、
恐怖なき徳は無力である』
by マクシミリアン・ロベスピエール
これは『フランス革命』後期に活動していた革命家”ロベスピエール”の有名な言葉です。
▲ロベスピエール(Wikipediaより)
非常に考えさせられる言葉ですね。
「恐怖政治なき徳は無力であり、徳なき恐怖政治は有害である」
という訳もありますし、
前後をつければ、
「民衆の革命政府の原動力は徳と恐怖である。徳なき恐怖は有害であり、恐怖なき徳は無力である」
なんて文献もあります。
この発言に至った経緯を超ざっくり書くと、
ヨーロッパが「王様の言うことは絶対!!」の絶対王政の時代に、
贅沢と戦争しすぎて財源不足になったフランス王家が特権階級の貴族たちからも税金をとろうとするも、
貴族が「嫌だよー」とゴネまして、
そしたら平民が「大体自分たちだけ税金払ってるのはおかしい!人間は皆平等でしょ!」て言って蜂起して、
そこから王の権力は失墜して、平民にも権利が認められ、
『立憲君主制』(憲法がありつつも国王は存在する)になったんですが、
権利を得ただけでは収まらない平民たちが、
「国王すらいらないよ!」と暴走し、
国王を一般人とし、国民が選んだ代表で政治をする『共和制』になりました。
しかし、平民の中にも格差があり、
はじめに権力を握ったのは元々裕福だった“ブルジョワジー”の味方“ジロンド派“だったのに対して、
まだ苦しむ下層の平民の為に立ち上がったのが“ジャコバン派“でして、
その“ジャコバン派”の中心人物こそが、
今回の主役“ロベスピエール”なんです!
200年くらいの歴史を一気にまとめてみました笑
もう少し具体的にまとめたら長くなってしまったので何とかこのくらいにしましたが、
もう少し詳しく知りたい人は以下のリンクを見てください。
(世界史の勉強にはなるかと思いますw)
そんな“ロベスピエール”(1758-1794)は、
「自由・平等・博愛」の徹底を求め、
「フランス人民のすべてに権利と富を。」
という思想の人間でした。
人となりを紐解いてみますと、
彼は若くして両親を亡くした彼は、幼い妹たちを養いながらも勉学に励み、
「弱い人を助けたい。」という思いで弁護士になり、
その後政治家やジャーナリストとして活動していました。
そして、
先ほど記したように、遂に”ジャコバン派“の中心人物として革命を成し遂げたのです。
国民が主権を握る『共和制』を世界で初めて宣言したフランスでしたが、
それでも国王を生かし続けた“ジロンド派”に対して、
“ジャコバン派”は「権力なくとも国王が存在すること自体が悪。」と国王処刑を訴えます。
どちらにするか?という『国王裁判』を制したのは、
“ロベスピエール”率いる“ジャコバン派”でした。
国王を処刑し、政権を握った彼らは『1793年憲法』を制定します。
この憲法の内容は当時革新的でした。
・王は存在せず、国民が主権。
・男子全員に参政権を認める男子普通選挙(※世界初)
・人民の労働、生活を扶助する社会の義務
・人民の抵抗権
・奴隷制廃止
これらを“人民投票“で成立させるというフランス憲法初の出来事でした。(憲法自体1791年がフランスの初憲法でしたが。)
結局、
この憲法は、当時内外に危機があったので平和の到来まで施行が延期され、
最終的に施行されませんでしたが、
愛国心を根底に、徹底的に一般市民の立場に立った彼のイデオロギーを反映した憲法でした。
(かなり今の世界の常識的イデオロギーに近づいてきている感じはしますよね。)
また、
『最高価格令』:すべての商品に価格の上限を決め、不当な利益をみとめない。
という消費者目線の法令や、
『最高賃金法』:労働者の賃金上昇を抑制するために、資本家が労働者に支払う賃金の上限を定めた。
という資本の少ない中小資本家目線の法令など経済統制令も定めていきます。
このように労働運動にも収入にも、格差を認めず、
真の共和制(権力に頼らず、みんなで物事を決めていく政治)を目指していきます。
今まで基本的な権利すら認めてもらえなかった下層の人間たちからしたら、まさに英雄という感じですね!
しかし、
実はそれだけではなかったのです。
光あれば影ありと言いますか、
彼らは自分の理想に向けた革命を推し進める中で、
”ジャコバン派”が「革命の敵」と見なせば、容疑者は一切弁護できないという『革命裁判』という一方的な裁判で、
容疑者をギロチンにかけるというやり方を選びました。
王族や”ジロンド派“のような政敵のみならず、一般市民にも思想の相違があれば処刑をしていきました。
その数、数万にものぼるとも言われています。
そうなると人々は処刑を免れたいので、
だんだんと“ジャコバン派”に文句を言う人は少なくなっていきました。
ちなみにこの過激な“ジャコバン派”は実は少数派で、大半は穏健な“中間派”が占めていたとのことですが、
それでも、恐怖政治が始まっていったんですね。
このように、苦労をして成り上がり、
苦しむ下層の平民の味方につき、
王家、貴族、平民、全ての格差をぶちやぶるべく活動してきた”ロベスピエール”が政権を握ったら、
結局、自分(の思想)と自分以外(の思想)に“差“を作り、
恐怖で人を支配しようとしたという悲しき歴史。
というわけです。
結局、
人は権力を持つと歯止めが効かぬのか?
力があれば独裁者となりたがるのか?
実は、“ロベスピエール”自身は生涯独身であり、持ち家すらなく質素な暮らしぶりを貫いていました。
決して富や権力が欲しかったわけではなく、
独裁者となりたかったわけでもなく、
純粋に理想の社会=平等な社会を実現したかっただけだと言います。
だけど、
理想を実現する為には犠牲も仕方ない。
『徳』を成しえるためには、
”恐怖”が有効だと言うことを彼は『是』として行使したということですね。
まさに辞書通りの『確信犯』でした。
(※確信犯:政治的・思想的または宗教的信念に発して、それが(罪になるにせよ)正しい事だと確信して行う犯罪。)
ここが非常に考えさせられますね。
独裁者にならんとする欲深き者が、
利を貪りたいとする拝金主義者が、
民衆を扇動する時に利用するものが、
恐怖か、仮想敵、またはその両方でしょう。
分かっていても民は動かされ、誤った方向に進んでいく。
これが繰り返されてきたのが歴史ですね。
しかし、
そうではない純粋な社会的な理想を持った者まで、
恐怖を必要とするのであれば!
人間はなんと虚しき存在なのでしょうか。。
まぁ、綺麗事だけじゃすまないですけどね。
自分の理想の為なら、違(たが)える人はすべていなくなればいい、
そんな思想が不完全だとは思いますが、
逆に全てを受け入れた上で、全てのバランスも保った中で、
自分の理想を成立させることの難解さも理解できます。
考えれば考えるほど矛盾の上に成り立つ世界ですし。
本当に歴史を知れば知るほど、ヒトは同じようなことを繰り返しているんですよね。
(革命ももちろんたくさん起こしていますが。)
だけど、
その瞬間を生きる当事者たちには「見れども見えず」という言葉があるように、
自分は見えている、分かっていると思い込んでいても、実は何も分かっていない、何も見えていない、ということが往々にしてあるんですよね。
だから、
時代の裏側には、何かもっと恐ろしげな大きなものが動いている、が、今は”見れども見えず”で、
あと数十年もしたら、それがはっきりする。歴史とはそういう不気味さを秘めている。
と言われているし、
僕は、
”歴史を学んで、歴史を見るべき眼を磨け“
という歴史作家の半藤氏の言葉に共感するわけです。
今回改めて感じたことは、
大きな流れだけでなく、身近な流れでも、
人を支配、扇動しようとする人は、
恐怖を用いやすいということですね。
これについては頭の片隅には入れておきたいですね。
恐怖が先に立つと、思考が停止してしまいますからね。
そうした恐怖にはどう立ち向かうべきか…
1人で抱え込まないことも必要かもしれませんね。
その一方で、
仮想敵の場合も思考停止に陥りやすいですが、
これは答えを出した時の思考停止です。
人は結論を求めやすい生き物で、
結論が出ると(納得すると)、それ以上考えなくなってしまいます。
本当に深く考えた上での結論なら良いのですが、
人間誰しも苦しみたくないし、嫌な思いしたくないので、
苦悩や葛藤、ジレンマを前にした時にひとまずの答え、納得のための答えを出して、
それに安心することで思考停止になってしまうことがあります。
そんな人がひとまずの答えを出して安心しようとする心理を、
巧みに利用してくる人たちが作り上げるのが、仮想敵なわけですよね。
または、
恐怖で縛って思考を拡げないようにする。
そんな場面に陥らないように、
自分自身で考え、判断する力を養っていきたいですね。
そして、今はどこにでも世界拡げられますから、
支配関係ではなく、好きな人たちと好きなこと過ごせる環境も作っていきたいですね。
さて、
“ロベスピエール“がその後どうなったかと言いますと、
結局反対派をどんどん処刑する過激的なやり方はそのうち反発を買い、
議会でクーデターを起こされ、
『革命裁判』によって自分自身がギロチンにかけられてしまいました。
志半ばでその道を閉ざした“ロベスピエール”でしたが、
さて、恐怖政治を敷いた彼は悪魔だったのでしょうか?
普通選挙を擁護した現代民主主義の始祖となった英雄だったのでしょうか?
簡単に答えを出さずに沢山の側面をありのままに見つめていきたいですね。
さて、
そんなこんなで共和制を夢見て市民の1番下から起こした革命もうまくいかず、
“ジャコバン派“以降、議会がぐずぐずになってきたところで、
人々は最終的に圧倒的なカリスマを求めるようになります。
そこで登場したのが、
あの天才将軍、
『ナポレオン・ボナパルト』だった。
▲ナポレオン・ボナパルト(Wikipediaより)
というふうに歴史は続いていくわけです。
面白いですね。
最終何が言いたかったとか、これを主張したかったとか、
そういうことは特にないので読みづらかったとは思いますが、
“ロベスピエール”のこの言葉には何か引っかかり、
一度自分の中で考えてみないといけないなとなったのでまとめてみました。
また引っかかった言葉、人物がいればまとめてみます笑
誰も興味ないだろうけど笑
ではでは。