雨亭
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短く、深く、伝えたいこと
思い出した 18歳で家を出て台湾に来たことを コロナ鍋の中1人空港に降り立った時の胸の高鳴りを これから始まる生活にワクワクして 新しい土地で新しい自分と暮らすと決めたあの初夏の日を もう4年も経ったのか あの時より少しだけ現実を知って少しだけ経験を得た 短いようで長かった 振り返ればちゃんと足跡がある 毎日が週末のような四年の日々 3ヶ月後荷物をまとめて空港を発つ日私はきっと 涙と鼻水が止まらないかもしれない こうやって少しずつ大人になってゆく 時
この人は、たとえば私が何気なく描いた絵や、なんとなく2つ作った押し花の片方、あるいは綺麗な写真だけが印刷されたハガキなどをプレゼントした時、それらを生産性のない物だと判断し、遅かれ早かれ捨ててしまうような人間なのだろうな、と感じ取った瞬間に気持ちが離れるのである。
チーズとワイン 黄色信号と急ぎ足 パーカーと短パン 帰り道と豆花 夕日と寝起き 台湾と夏 言葉と手紙 1人と2人 あなたとわたし
今のお気に入りの曲から順番に聞いてたら、一年以上前失恋していた時にヘビロテしていた曲が流れて、あの時から思っていたより時間が経ってないことに気がついた。 帰宅途中の耳から流れるその曲は、真夏のフェスで流れそうなアップテンポな機械音とハスキーな女性が歌う「私を置いていかないで」というフレーズがチーズとワインのような相性の心地よい洋楽であって。 何度も繰り返すそのフレーズを聴いているうちに、ブワッと全身に鳥肌がたった。 それはまるで、振り向き際に荒波に飲み込まれたかのように
去るも、残るも、それもまた人生 去るならばただあなたの後ろ姿を見つめようと思います またいつかどこかで交わったならば、それを運命と呼びましょう 運命が繋いでくれた奇跡なら、それを宿命と呼びましょう
明日も明後日も永遠に続く未来が怖い 誰かのためにとか 何かのためにとか 今はただ、そんな原動力はなくて 良くも悪くも今日という日が完璧で やりたいことも、やり残したこともなくて 今日も自分のために生きて 明日もきっと生きているから生きる なんとも惰性的で悲観的な私だろう ただ淡々とすぎて行く日々の中で 次の角を曲がってパッと消えられたら本望なのに
『親友』 『花鳥風月』 『わたしの名前』 あの子が描いてくれた習字 貰ってからずっと部屋の壁に飾ってある あの子は「適当に書いた」と言うけれど 紙の上で強かに踊るあの子の字が 一人暮らしの静かな部屋を照らすので
夏の終わりの哀愁と 冬の始まりの静粛と そんな季節に挟まれて 緑の葉がオレンジに変わり 生ぬるい風からスゥっと冷たい風になり 地面に散る夏の花びらが 俯き歩く私に 秋の訪れを唄うのだ
高校生までずっと手書きの手帳とカレンダーを使っていた 毎年友達と新調しに行くのが楽しくて、ついでにペンやシールやマスキングテープも買って、年明けは良く文房具屋に何時間もいたものだ テストの予定や、遊ぶ予定、何もしない日も何かを書いた 手帳とカレンダーが私の予定で埋まっていくのが好きだった スマホで予定を管理するなんて、断固として拒否! ありえない! と思っていたけれど、大学に入ってまもなく、私の鞄の中から手帳が消え、部屋からカレンダーが消えた その代わりに私の手元
丸くて大きな垂れ目はパパ譲り 大きな手のひらはママ譲り 昔話を人に話す癖はおばあちゃん譲り 引き出しに色んなものを詰めるのはおじいちゃん譲り 同じものを3つ買う癖は妹たちがいるから なんでもおもしろ話に変えちゃうのはM子の影響 写真が好きなのはI子の一途な感受性に惹かれて ギターを弾くのは先輩という師匠がいるから 沢山の要素に囲まれて、世界に1人だけの私がいる 個性のモザイクは遺伝と縁だ
2019年から2020年に変わった日のことをよく覚えている ちらほらと雪が舞う12月31日だった 私はよく意味もない写真を撮るが、この日友人に指摘された 無闇に写真をとって未来の自分に残そうとしても無駄だと そんな画面越しの景色を残すなら、もっと今を生きろと それでこの友人は私にフィルムカメラをプレゼントしてくれた 2019年最後の日はお天気雨だった(お天気雪だろうか) キリのいい数字になるから、いっそ私の人生から沢山のものをマイナスしてみた(ちょうど高校卒業の年だ
私は中高6年間、新体操部に所属していた 新体操には細かい評価基準が沢山ある 背筋、指先、足先、軽やかさ、ステップ、柔軟、表情、衣装、体の動き、リズム感、手具の使い方… “1分半の演技の中でどれだけ美しく踊るか" それを競うのが新体操という競技だ 新体操の大会は半年に1回しかない 選手は1分半の演技を半年間かけて練習する とにかく痛く、とにかく厳しく、とにかく辛く しかし楽しく、軽やかに 美しく踊るには日々耐えなければいけない痛みがある しかし、だからこそ美しく、
少し前まで美味しいと思っていたものが、なんとなく違う味に感じて、あの時の私から一定の時がたったのを感じた。 それは、美味しいものをたくさん食べて、美味しい時間をたくさん過ごした中で、少しずつ"一番"が更新されて来た証拠なのだ。 嬉しくもあり、少し寂しくもあった。 ずっと続くと思っていたけれど、あっさりと、次々に、その日は過ぎてしまうし、思い出も味も蓄積されてゆく。 大好きは大好きのままでいたいけれど、いつまでも思い出に閉じこもることはできなくて、味も、人も、私自身も、
昨日の大雨はさよならを言うにはちょうどいい土砂降りだった。 アスファルトを打つ雨の音は台湾の雨季らしい、声を掻き消すほどの激しさで、遠くで響く地鳴りのようだった。 雨粒の一生ほど短いものはないと思う。 でも宇宙からみた人間など、雨粒の一生にも満たないのだと、秒速7メートルにも満たないのだと思う。 明日も雨かな。 今日の雨粒を両手ですくって、明日に連れて行くことはできるかな。 雨粒は明日を知らないまま、晴れたら乾いて消えてしまうから。 p.s.私の大好きな友達が撮っ
夜明け前のキッチンでクッキーを焼こう 海岸に座って海を見よう なんとなく隣町まで行こう なんでもない日にワインを飲もう たまには好きなものだけ食べよう 同じ匂いの洗濯物を一緒にたたもう 素敵じゃなかった日の終わりにお花を買おう 眠れない時は朝日が昇るまで待とう 世界はこんなにも広いのにちっとも丸くないねって笑おう