向いてないからやらないことは本当にできないのか
最近、26歳〜29歳っていういい感じそうな歳のほとんどをコロナ禍に費やしたことに「なんだかな〜」みたいな気持ちになる。
怠惰なのでこの期間、自己研鑽なんぞせずに転職を2回もしていた。やっぱ磁場がおかしくなっていたんだなぁ。自分と向き合った結果、グルーヴのあう職場に出会えたことはよかったけれど。
そんなことは置いておき、華々しくなりそうだった20代後半という期間をコロナ禍に使ってしまったことに、どこか悔しさを感じている。
だからか、最近の人生へのモチベーションみたいなのがすこぶる高い。
前々からいくつかの仕事や事柄に対して、「わたしの出る幕はない」「向いていない」と決め込んでいたのだけど、最近のモチベ爆高なわたしは「果たしてそうかしら?」と問うてくる。
そんでもって、やっちゃってるのだ。
そして、やっちゃってみるとわかるのだ。決めつけていたことの半分かそれ以上はただの思い込みということ。中には本当に向いていないこともあるけれど、向いていないながら手間暇をかければ何とか形にはできる、それなりになる。
思えば、小さい頃って、いろんなことがしたいと思っていて、やってきていたと思う。いつのまに自分にキャップをかけていたんだろう?
そんなことを思うと、思い当たるタイミングが多々あるんだけど(思春期や青年期、自分を大切にできる環境に身を置くことってとても大切だよね)。そういう天井や動き幅みたいなのを自分で決めていたのはやっぱり自分だったんだろうなって、天井を超えてみるみたいなことをすると思えるんだと気づいた最近。
他人に対しては、思い込んだり決めつけたり、管理的・支配的にならないぞ……なんて思うことができるんだけど、意外と自分に対してできてないことって多い。
自分に対する不寛容というか見捨てるみたいなムーブに気をつけたい。
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