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働き方改革は結局のところ人生の配分を考えることじゃないかと思う。

写真が好きだ。デザインもまぁそれなりに興味が深い。
面白そうなことを学ぶことも好きだし、野遊びにガジェット、スポーツや映画を見ることも好きだ。最近は少し金融にも興味が向いてきた。もちろん愛する我が子と、それから妻と過ごす家族の時間も大好きだ。

それらは同時に、すべてやりたいことである。

だから「これは仕事で、こっちは遊び。ここから先はプライベート。」のようなカテゴリー分けは自分には無くて、ぜんぶ「やりたいこと」というフォルダーに入っている。

働き方改革という言葉が表立って久しく、「ノー残業、定時上がり」が叫ばれるようになってきていて、おとといくらいに書いたルールのあり方にもあるけれど、「定時で上がること」が目的になってしまっているという声もちらほらと聞こえている。もちろん時間内にきっちりと仕事を終わらせて定時に上がることはとても素晴らしいことだけど、“ワーク”と“ライフ”があまりにもはっきりと線引きされていることに、個人的には違和感を覚える。


前述の通り、自分にとってはすべてが「やりたいこと」のフォルダーに入っているからだろうということは容易に紐解くことができる。或いは、追われてしまっている(生きていくために仕方なくやっている)“やりたくない仕事”と“プライベート”みたいな分け方に聞こえるからか。


どちらにせよ、個人的にはすべてが「やりたいこと」であるから、はっきり言って時間が足りない。足りなすぎる。

そうなると、次の意識の向き先は「どうやって時間をつくるか」というところとなり、仕事柄つまるところはどうやったら生産性が上がるのかという部分に落ち着きそんなことを日々考えながら過ごしている。

それがまた結構充実していて、その意識を持つようになって残業は格段に減った。

自分のいる業界は不夜城や午前様がまかり通っている業界だけれど(実際、今の働き方に落ち着くまでは普通に徹夜もあったしほぼ毎日午前様だった。下積みアシスタント時代なんかひどい有様であった)、今は月平均20〜30時間程度でないだろうか、残業は。一日あたり1時間程度。
もちろん案件が詰まってたり突発的なトラブルがあって残ることもあるけれど、一方で定時で上がることもだいぶ(いやかなり)増えた。

そうなると子どもとお風呂に入ってキャッキャキャッキャとする時間もできるし、寝かしつけた後は妻とゆっくりと過ごしたり、撮りためた写真を現像したり、こうしてnoteを書いたり副業に精を出したりする時間を作ることができている。
毎日午前様だった頃に比べてメンタル面の安定はしてるし、ワークライフバランスは比較的とれているのではないだろうか。


つまるところ、大切なことは生産性や時間の配分、考えることの精査等を見直すことで、そして、見直したらそれを実行してみることなんだろうと思う。
ワークライフバランスの本質は(自分にとっては)そこで、本質として捉えるモノコトは人それぞれあって良いと思うのだけど、それぞれが言葉の本質を理解しないままワード“だけ”先行で進んでしまっても、そこに明るい未来は見えないのだろう。




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