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けなしづらい空気をまとったズルい映画「関心領域」

スクリーンに映し出されるのは、どこにでもある穏やかな日常。しかし、壁ひとつ隔てたアウシュビッツ収容所の存在が、音、建物からあがる煙、家族の交わすなにげない会話や視線、そして気配から着実に伝わってくる。その時に観客が感じるのは恐怖か、不安か、それとも無関心か?

公式ホームページより

この映画の話を最初に聞いた時、「へえ、面白そうだな」と思った。
予告編を見て、さらに期待は高まった。

しかも今、この映画の内容と深く関係のある国によって虐殺が行われているのを知りながら、私は特に今までと変わらない生活を送っている、という(この映画が撮影された時には想定されていなかったであろう)事態によって、新たな意味さえ付与された。
これは見なければいけない、と思った。

× × × × × ×

・・・ちょっと期待を高めすぎたかもしれない。
面白いところもあるにはあったが、正直退屈した。

色々考えて作っているなー、というのは良くわかる。

何度か登場する黒い(そして赤い)画面。
ほとんど人に寄らないカメラ(人物に一番寄ったのは、白煙に包まれる収容所所長の顔をややあおり気味にとらえたショットだっただろうか)。
突然はさみ込まれるサーモグラフィーみたいな画調のシーン。
不気味な低音、そして聞こえてくるいろんな音。
何回か出て来るゆっくりとした横移動撮影のシーン。

ジャミロクワイのミュージックビデオで名を上げた監督らしく、映像の扱い方がなんとなくミュージックビデオっぽいな、という感じもあるが、別にそれが悪いということではない。

ただ手を変え品を変え、って感じで色々やっているわりには、どうにも引っ張り込んでくれない。
むしろそういう作為が邪魔に感じられる部分もあった。
ラスト近く、現在のある場所が映し出されるシーンがあって、そこはなかなかグッとくるものがあったが、あれは映画の力というよりは、あの場所が持っている力だろうし・・・。

× × × × × ×

で、まあ自分にとっては「退屈だったな」で終わる話なのだが、この映画、なんとなく批判しづらい雰囲気がある。
「退屈だった」
と言うと、
「ああ、あなたは退屈に感じましたか。わかりますわかります。でもね、あれは狙ってやっているんですよ」
みたいなことを言われるような空気を感じるのだ。
「その退屈さによって、あなたの関心領域があぶり出されるんです」みたいな。

まあそう思う人はそれでいいんだけど、なんかそれってちょっとズルくない?
「退屈だ」と言うことがあらかじめ禁じられているような空気はちょっと気持ち悪いな。

何か批判されたときに「それ、狙ってやってるんですよ」って言うのも、「しゃらくさい」と言うかなんと言うか。

あと、
「このシーンでこのことに気付かなければ、この映画の評価が全然変わって来るだろう」
みたいなのも見た。
YouTubeのおすすめ動画にたまに出て来る、
「この映画の、ほとんどの人が気付いていない○○について語ります」
みたいなのを思い出した。
あの手の動画は、そのタイトルとサムネイルだけで「アホか」と思って、見たことがないのだが。

ただこの話はなかなか難しくて、たしかにナチスドイツやアウシュビッツについて全く知らなかったら、この映画、何が何だかわからないだろう。
自分がそれなりに面白く観ることが出来たのは、やはりある程度は知識があったからだろう。
そう考えると、ホロコーストについてもっと詳細な知識を持っていればもっと面白いと思えたのかも知れない。
自分があまり面白いと思えなかったのは知識(と知識を土台とした想像力)が足りなかったからかも知れない。

でもその面白さって、「映画の面白さ」なのだろうか。

× × × × × ×

まあともかくこの映画、面白いと思うにしても思わないにしても、
「あーでもない、こーでもない」と言い合って楽しめる映画であることは確か。
(ここまで書いてきて思ったのだが、面白い、とか、楽しめる、という言葉を不快に感じる人がいるかもしれないな。これは自分の言葉の使い方の癖みたいなもので、もちろん「笑える」とか「愉快だ」という意味ではなくて、「興味深い」とか「心が動かされる」くらいの意味です)

その意味ではおススメかな。

ただ、ホロコーストを行う側の、「自分がそこにいれば普通にそれに加担してしまうだろうな」という怖さを感じさせる映画だったら、私はこの映画より「ヒトラーのための虐殺会議」の方をおススメしますが。

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