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高見順『死の淵より』を改めて読む その1

わたくしめ、中貝といえば、高見順研究。
卒業論文と修士論文では高見順の詩篇を扱いました。

何がいいって、ごたごたした「詩語」がなくて滋味深いところなんですね。

高見との出会いなんかはまた別の記事に譲るとして、ぼちぼちと数篇ずつ読んでいって軽いタッチで「よくない?これ、いいよねぇー!」みたいな記事を書いていこうと思います。

元のテキストは、読者の皆さんも参照しやすいように、青空文庫にあがっているものを使います。

『死の淵より』って?

『詩集 死の淵より』は、講談社より1964年に発行された詩集です。高見生前最後の詩集です。

そもそも高見順は小説家としてのキャリアの方が長い人でした。詩人から小説家になる人、キャリアの初めから詩と小説両方書く人はけっこういるのですが、キャリアの途中から詩を書き始める経歴は文学史的には少々珍しいの思います。

詳しい略歴はWikipediaに任せますが、簡単に言うと、高見順は病気をしてから詩を書き始めるようになりました。で、この『死の淵より』はまさに高見が1番苦しむことになる食道がんの手術前後に書かれた作品をまとめたものになります。

そして3章構成(+「「わが埋葬」以後」というセクション)なのですが、これが一筋縄ではない。それは……

と、総論をうわーっとのべてもいいのですが、改めてテクストと向き合うという意味もこめて、noteの記事では頭から読んで行きたいと思います。

1-0 序文

 食道ガンの手術は去年の十月九日のことだから早くも八ヵ月たった。この八ヵ月の間に私が書きえたものの、これがすべてである。まだ小説は書けない。気力の持続が不可能だからである。詩なら書ける――と言うと詩はラクなようだが、ほんとは詩のほうが気力を要する。しかし持続の時間がすくなくてすむのがありがたい。二三行書いて、あるいは素描的なものを一応書いておいて、二三日おき、時には二三週間、二三ヵ月おいて、また書きつゞけるという工合にして書いた。
 千葉大の中山外科から十一月末に退院した。手術後の病室で書かれた形の詩をこの※(ローマ数字1、1-13-21)に集めた。形のというのは病室で実際に書いた詩ではないからだ。手術直後にとうてい書けるものではない。気息えんえんたる状態のなかでそれは無理だ。しかし枕もとのノートに鉛筆でメモを取った。それをもとにして退院後書いたのが、これらの詩である。そこでやはり病室での詩ということにした。
 肋膜の癒着もあったせいか、手術はよほどヘビイなものだったらしく三時間近くかかった。爪にガクンとあとが残り、それが爪がのびるとともに消えるのに半年近くかかった。詩が書けはじめたのは(さきに退院後と書いたが実際は)その半年すこし前のことである。
「死の淵より」という題の詩をひとつ書こうと思ったのだが、できなかった。できたら、それを全体の詩群の題にしようと思っていた。それはできなかったのだが、全体の題に残すことにした。
(昭和三十九年六月十七日、再入院の前日)

いやーーー、さすが小説家だなぁ。と思うんです。書き方というか、振る舞い方というか。

小説よりも詩の方が気力が必要だけれど、小説には気力よ持続が必要で……というところもふむふむと思うのですが、

病に苦しんでいる今この時も文学にしたろ!という気概が凄い。「最後の文士」なんて言われていただけあるなぁ。

最後の段落に、「「死の淵より」という題の詩をひとつ書こうと思ったのだが、できなかった。できたら、それを全体の詩群の題にしようと思っていた。それはできなかったのだが、全体の題に残すことにした。」と書いてあるのですが、ここで浮かんだのが、ひとつの詩として書かれていたらどうなっていたのか?という問いです。

結果的には詩篇が複数重なって詩集全体の趣も深くなっている。レイヤーが複雑になっている。その一方で、このひとつの核心をついたものを書こうとしていたというポーズも取るのは、健気で真面目な感じもするし、にくい感じがする。

この前書きが、ノンフィクションの体を取りつつも、高見順の意図が張り巡らされた文章だということを痛感するのです。やはり高見順自身によって編集されているテクストであり、すると「ノンフィクション」とは何だろうということも考えさせられるのでした。

1-1 死者の爪

つめたい煉瓦の上に
蔦がのびる
夜の底に
時間が重くつもり
死者の爪がのびる

前書きの後にこれを書くのズルい。構成は絶対に熟考されている。
「死者の爪がのびる」っていうのも面白い。ぱっと見、不気味で病の苦しみが伝わるなと感じるのですが、よく考えてみると死んでいたら爪はのびないよなと気づきまして。蔦も廃墟めっちゃ生えてるから不気味とは思うけれども、蔦ってそもそも生命力がめちゃくちゃあって枯れない植物だよなということも思いついたのでした。

「つめたい煉瓦」とか「死者」とか無機的なものや死を連想をする言葉と組み合わさっているのがミソですね。暗い雰囲気(夜)を出しながらも、それの一緒によく考えるとまだ生命が無くなっていないものが合わさっている。生がある限り、苦しみが続く、死が近づいてくる。そんな様子さえ思う。

……いや、5行よこの詩。深ぇ。
小説の方は「饒舌体」の名手で有名な高見ですが、この詩は饒舌の逆ですよね。黙るからこそ深くなる。高見順のことを知っているとなおのことこの少ない言葉が沁みるなぁ。

1-2 三階の窓

窓のそばの大木の枝に
カラスがいっぱい集まってきた
があがあと口々に喚き立てる
あっち行けとおれは手を振って追い立てたが
真黒な鳥どもはびくともしない
不吉な鳥どもはふえる一方だ
おれの部屋は二階だった
カラスどもは一斉に三階の窓をのぞいている

何事かがはじまろうとしている
カラスどもは鋭いクチバシを三階の部屋に向けている
それは従軍カメラマンの部屋だった
前線からその朝くたくたになって帰って
ぐっすり寝こんでいるはずだった
戦争中のラングーンのことだ
どうかしたのだろうか
おれは三階へ行ってみた

カメラマンはベッドで死んでいたのだ
死と同時に集まってきたのは
枝に鈴なりのカラスだけではなかった
アリもまたえんえんたる列を作って
地面から壁をのぼり三階の窓から部屋に忍びこみ
床からベッドに匍いあがり
死んだカメラマンの眼をめがけて
アリの大群が殺到していた

おれは悲鳴をあげて逃げ出した
そんなように逃げ出せない死におれはいま直面している
さいわいここはおれが死んでも
おれの眼玉をアリに襲われることはない
いやなカラスも集まってはこない
しかし死はこの場合も
終りではなく はじまりなのだ
なにかがはじまるのである

高見も、戦時中に陸軍報道班員として徴用されて、ビルマ(現在のミャンマー)に派遣されているんですよね。三階の部屋の人が本当にいたとしてもいなかったとしても面白い。従軍の実体験とカメラマンの略歴が重なる。三階の空間とがラングーンの地と混ざって、死神のようにカラスやアリが出てくる。

死への恐怖もりもりセットのフルコンボだどん。比喩としてはクリシェだと思うのですが、分かりやすくていい。(だからクリシェを恐れてはいけないなあとも思う。)

3連目が気になる。「さいわいここはおれが死んでも/おれの眼玉をアリに襲われることはない/
いやなカラスも集まってはこない/しかし死はこの場合も/終りではなく はじまりなのだ/なにかがはじまるのである」と舞台は現実、病院に戻る。とても単純に考えると、カラスやらアリの養分になるという意味でカメラマンの死体は生かされていて、そういう意味で別の役割が「はじまる」ことでしょうか。そして、現にカメラマンの死はこの詩の語り手に気づきを与えている。

それにしても「なにか」ってなんだ。こういう含蓄含めてくるところもズルいよな!(キャッキャ)

といってもまだ2篇目なのですよね。これからその「なにか」を読者が探すようにして詩を読んでいく、そういう仕掛けだとも言えそうです。本当にそういう意図があったとしたら凄い。憎いね!三〇!じゃなくて高見!(語感がよくない。)

さて、詩の語り手(あえて高見順とは言わない)がどのようなことを悟りえたのかを見ていくという視点が得られたところで、なんか書き物として「引き」が出来たので、第1回はここまで。

1週間に1本、2~3篇ずつ書いていきます。
よろしくお願いいたします。

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