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マーガレット・アトウッド『侍女の物語』
マーガレット・アトウッド『侍女の物語』
Margaret Atwood “The Handmaid’s Tale” (1985)
斎藤英治 訳
キリスト教原理主義者たちのクーデターによって誕生した、極端な身分制度と徹底した監視による国家。そこで「侍女」としての役割を強いられた主人公オブフレッドは、ただ出産のためだけに生かされていた。女性たちは働いて稼ぐことはおろか全ての権利を奪われており、生殖能力のみが価値基準となっている。
凄惨な日々の中、過去となってしまったかつての人生をいつか取り戻すことを希求するオブフレッドだったが…。
ある点においてはジョージ・オーウェル『一九八四年』より悲惨で、名前すら取り去られた状況があらゆる人間らしさの喪失を象徴している。現在の名称「オブフレッド」はフレッド氏の所有物という意味だ。
言葉は消されており、本や字を読むことも禁じられている。商店の看板も絵柄で示される。言葉を消し去ることで、人々が思考する道具を取りあげているのだ。考え実行するのはごく一部のエリート層のみというわけだ。
色による差別化が図られ、産む女たちの赤、支配する側の青として表されている。視認による差別が明確に管理されている。
背く者や反体制者は公開処刑され、見せしめにされる。
じわじわと自由が狭まり気づいたときには自らにも危害が迫ってくる様や、国の体制が転覆されたあと偽造パスポートを使って国外へ脱出を図る件は、ナチス・ドイツに迫害されたユダヤ人たちを想起させる。
同時に思い起こすのは奴隷制度があった時代のアメリカであり、実際に逃亡を手助けした「地下鉄道」という組織も言及される。侍女たちは独自の情報網を秘密裡に確立しており、それはまた体制側も周知のことなのかもしれない。
読み進めていくと、核戦争後なのか生物兵器なのか、環境が汚染された世界で、ウイルスだったか遺伝子が影響を受け健常な子どもが生まれにくくなっている設定なのが見えてくる。男たちも著しく生殖機能を失っているのだ。
優れた映画のように、だんだんと主人公の素性が明らかになってくる。年齢であるとか、前の職業、女性の権利について行動した母の記憶、そして暴力的に引き離され生死すら不明の夫と小さな娘…。
奔放な性格で、どこまでいっても反抗し続ける友人モイラという存在は、主人公の対比というより、あり得たかもしれない一側面なのかもしれない。この独裁国家ですらモイラに関しては持て余し、規定された枠外へはみ出していく様子は痛快ではあるが、しかし長くは生きられないだろうことも容易に予想される。
約150年後に発見された音声録音テープから起こした研究発表の形を採っている。そうすると、2045年ぐらいの近未来か。しかし、2025年のアメリカを眺めていると、行き着く先はここではないだろうか?とすら思える。権力や富は一握りの強者にさらに集中し、女性たちや少数者は虐げられる。
喋り言葉による独白の回顧録となっていて、だからこそ話の時系列が前後したり、あっちこっち行ったりもする。そして一人称の語りだったのもそれ故か、と合点がいく。
見たままの詳細な描写、逡巡する内面、フラッシュバックするかのような過去の映像的記憶。それらは鮮明で、見ることや話すことも限定され続けた束縛からの渇きゆえかもしれない。ごく稀にしかコンサートに行けない音楽ファンが異常なまでに耳を澄ませるように、たまにしか映画館に足を運べない映画ファンが内容に完全に没頭するように。
何より、思い出しながら語る際に話が脚色されているだろうと自覚しているところに冷静沈着さも見て取れる。
架空の物語で誇張もあるとはいえ、ほんの一世代も巡らない数十年のうちにこれほどまでの管理国家が設立できるものだろうか?とも思ったけれど、戦前のドイツや日本を例に挙げるまでもなく、社会が一気に偏り暴走することはすでに歴史が証明している。
意外にも開かれた終わり方であり、だからこそ続篇が書かれたのだろうが、主人公を含めて登場人物たちがその後どうなったのかは判然としない。
街の中心部は平穏のようでいて、そこかしこから不穏な空気が漂ってくる。壁の外では戦争中らしい、内戦なのかもしれない。読み手も主人公と同じく詳しいことは知らされない。こちらが想像するしかないし、その余地は充分にある。
くだらない冗談だったはずの「奴らに虐げられるな」という一節は、立場と状況で全く意味が変わって、その重みづけは反転する。
結局のところ最後に人を生きようとさせるのは不屈の精神なのか。
この国家の対極に位置する、人間性や愛とか恋を最大の武器として信じたオブフレッドは生き延びて、自分の人生を奪い返したのかもしれない。はたまた、そうではないのかもしれない。