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本屋と令和、そしてnoteを始める

『逃げたかった』

映画、漫画、ニュース、ショッピング。
様々なモノが "携帯" というツールで完結する時代。
そして、それが当たり前である令和。

私は幼少期から本が好きだった。
小説、漫画、物語など自分の想像する声や人物像を描き、自分の幻想やタイミングで楽しむことができる本は、唯一没頭できる大切な世界だった。

仕事に追われ、パソコンや携帯を毎日触り、たいしてよくも知らない相手からの罵倒や、自分の成績に一喜一憂する日々が続く中、”本を読もう。”と思い、たまたま通りがかったスーパーに入っている本屋さんに立ち寄った。

しばらく本を探してもなかったため、まずは書店おすすめの本が並ぶところへ向かう。

久しぶりの本屋に期待を抱き、異様にドキドキしていたー。

しかし目の前に並ぶ本は、
炎上、デジタルタトゥー、SNSホラー。
その場で足がすくんでしまった。

まさに令和のその言葉たちから逃げるように
本を求めた自分は、"令和"にブロックされたのだ。

他人からの評価を異常に気にし、流れゆく情報に慣れ、短時間で情報を得ることが当たり前の世界に。

流行に乗らないのではない、乗れない自分・慣れない自分に違和感を感じてしまっていることが、現実として突きつけられてしまった気がした。


それ以上、私は本屋の奥へは進むことは出来なかった。


一文字ひと文字を読み進め、想像し考え、ちょっと戻ってさらに思考を深める。読み終えて、ふとした時に改めて浸ることができる、そんな時間がただただ欲しかった。

自分の脳みそを、現実ではない誰かの描く世界に投影したかった。

ただ『逃げたかった』

幼少期から大切にしていた自分自身を守るための逃げる手段を失ってしまった私は、誰かの世界に没頭するのではなく、自分の言葉を発することで気持ちを整理することを選んだ。

そう、私の選択は"当たり前"のように携帯を手に、noteに思いを綴ることしかできない"令和"の人間であることを思い知らされてしまったのだ。


だからこそ、承認欲求を持て余した20代の私が、言葉で紡ぐという令和に少し反抗した方法で残していこうと思う。

いつか懐かしいと新しい時代で読み返せる黒歴史として、
そして私がいつこの世からいなくなったとしても、私自身のアイデンティティとして残るように、いわば1つのエンディングノートになるように、できるだけ日常を細かく残していきたいと思う。

20代の私だからこそ残せる言葉で、感情で一緒に年を取っていくのだ。

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