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あなたは自分が好きですか? ―自分のことが好きになっちゃう杉山豊さんの話―

>杉山豊さんのプロフィール
・1980年生まれ。岐阜県出身。
・高校生で自分革命のために過酷な「ダイエット」に挑戦。
・家業の建築業を学ぶため、愛知産業大学建築学科へ進学。
・大学生で自分の好きなことを伸ばすために「ストリートミュージシャン」として活動。
・卒業後は、建築への道を捨てて、旅行代理店・菓子製造業・IT営業・出版社など様々な業種を転々とする。自分の力試しのために上京するも苦労の連続、自家用自動車管理業という運転手専門のアウトソーシング事業のベンチャーにて11年勤務し、何とか管理職まで登り詰める。
・33歳で結婚、その二年後に第一子を授かる
・37歳で会社を退職し、自分の生き方を見つめなおし、地域おこし協力隊の道を選択。
・現在は、家族を笑顔にする会社「waratte」と長野県地域おこし協力隊など、いくつかの職業を生業に、自分や家族、関わる人々を猛烈な勢いで笑顔にしている。
家族を笑顔にする会社waratteのHP ▶https://www.facebook.com/waratte.sugiyama/

― 現在はどのようなお仕事をされていますか。
現在は、家族の笑顔をはぐくむ会社「waratte」で、ぼくは夫婦カウンセラーや各種アドバイザー業務、珈琲焙煎など様々な業務を担当し、妻が乳幼児教育アドバイザーという育児をしているお母さんのための事業をしています。また、去年から長野県全体の地域おこし協力隊としても活動しています。

―長野県の地域おこし協力隊として、現在はどのような活動をされていますか。

現在、長野県内に350人くらいの地域おこし協力隊がいるんですが、県内の協力隊がどんな活動をし、どんな手助けが必要なのか調査して、必要な手助けをするための政策を考えています。

【自分の好きなところと嫌いなところ】


― 中高生のころはどのようなことを考えていて、どのように進路選択されていったのかについて教えてください。

ぼく、背が低くて当時は肥満児だったから、自分に全く自信がなくて、とにかく自分が大嫌いでした。実家は建築をしてたから、将来は家業を継ぐように言われていたんだけど、ぼくは家業を継ぐことに違和感があって。かといってやりたいこともなく、当時はあまり目立たないように生きていようと思っていました。

ま、そのわりには、学級委員とかやってたんだけどね。(笑)

― いやいや、目立ってるやん。(笑)

それから、当時は周りの人に「マジメだよね」って言われ過ぎて、「自分はマジメじゃなきゃいけないんだとか、ちゃんとしてなきゃいけなんだ」って思ってて、将来はちゃんと大学入って、ちゃんと就職をして結婚をして...みたいな。

ー なるほど。

でも今は、「ちゃんと、ってなんだろう」って思う。「ちゃんと」っていうものさしは、個々人がそれぞれに持っているのものさしであって、決まったものは無いと思うんだよね。

ー そうですね。名の知れた大学に入り、有名企業へ就職すれば幸せな人生を送れるという定説は、かつてのものになりつつあると思います。

周りは「ちゃんと」を求めてくるけど、ぼくはやりたいことがなかったし、かといって家業を継ぐイメージもできない。
見た目のせいもあって、中学生のぼくは、みんなにいじめられていると思ってた。それなら、環境を変えれば、いいんじゃないかと思って、あえて知り合いが誰もいない高校を選んだんだけど、中学のときと同じことが起きちゃって。

ー そうだったんですか...

見た目でいじられて、ぼくはまた、周りの人からいじめられてるって考えて。高校2年生くらいのとき、「自分なんてはいないほうがいいんじゃないかな」とか自分がいなくても世の中は変わらないし、「死んでもいいんじゃないかな」って思った時期があった。

でも、自分が死んだときのことを想像したら、母親が自分の傍らで号泣してる情景が浮かんできて、なんとなくだけど「あ、死んだらいけないな」って思いとどまったんだよ。ぼくの母親はかなり厳しくて、ぼくが甘えてたのは祖母だったんだけど、そのときとっさに思い浮かんだのは母親で。母のためにも死んじゃだめだなって・・・

ー そこまで思い詰めてたんですか…

そうやって思いとどまったはいいものの、どうやって生きればいいのかがわからなくて、高校2年生のその時期はすごく苦しくて辛かったかな。そうやってもがいていたとき、環境を変えても何も変わらないなら、もう、自分を変えるしかないなって思ったんだよ。

そこで、「なんでぼくはこんなに自分のことが嫌いなんだろう」って思って、好きな自分と嫌いな自分をノートに書き出してみようって思ったの。思いつくままに書き出してみたら、嫌いな自分の記述で、あっという間にノートが埋まっちゃって。こりゃ自分のこと嫌いだわって納得して。

ー 自分が嫌いな理由は明確になったけど、それに気づくってとても勇気のいることですよね。

うん。その後、書き出してみたものを眺めてたら、どうにかできることと、どうにもできないことがあることに気づいたんだよね。背が小さいことって、高校生の今からめっちゃ小魚を食べたってそんな伸びるわけじゃないし。(笑)

― 小魚だけじゃね、牛乳も飲まないと。違うか~(笑)あ、続けてください。

身長とか、そういうどうにもできないことは受け入れようと思って。一方で、太っていることは、頑張ればどうにかなると思ったから、とにかく、どうにかできそうなことを上から順番につぶしていこうって決意して、何から始めていいか全く分からなかったけど行動してみることにしたんだよ。

― どうにかなることを一つ解決するだけでもかなりの時間と労力を要しますよね。

そう、これめっちゃ時間かかるよ。一番上に書いた「太っていること」を解決するだけでも3年以上かかったから。ただ、自分の嫌いな理由は一番上から順番に出てくるから、そこをつぶしたことで少しずつ「自分できるじゃん」って思えるようになっていったんだと思う。

ー あ、なるほど。ここでこの例を出していいのかわかりませんが、一番やりたくない宿題を終わらせると、後は意外と手を付けられちゃうなんてこと、よくありますもんね。

ダイエットできたことで、入学当時一回もできなかった懸垂が10回できるようになったり、校内マラソンの順位をどんどんあげていったり、嫌いな自分を克服することで自分のできることが増えていって、高校2年生の終わりくらいに初めて彼女ができるって経験もできた。

ーいろいろできるようになるって嬉しいですよね。

うん。そのとき、「自分を変えると、世の中って変わるんだ」ってはじめて感じることができた。特にぼくの場合は、嫌いな自分を変えていくことが自分の岐路になったように思っていて、これが、夫婦カウンセラーをやる原体験になったとも言えるのかなって。

ー 高校生の頃の体験が、現在のお仕事の原点になっていたんですか。
会社員時代を経て、現在は会社の代表と、地域おこし協力隊のお仕事をされていますが、大学から就職への進路決定はどのように考えていったんでしょうか。

ぼくは高校も大学も建築学科にいるのに、図面引くのは嫌いだし数字苦手だし、建築士としてはもう、致命傷だよね。その上、大学卒業したときは、自分のやりたいことがなかったから、自分のやりたいことを見つけるために、いろんな仕事をやってみたんだけど、、結局、ぼくは会社の中で好きなこと見つけられなかった。

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会社員をしてても、働いてるんじゃなくて、お金をもらうために働かされてるとしか思えなかった。とってもいい社長や同僚に巡り会えて、ほんとによくしてもらったんだけど、働かないと生きていけないって思ってたころは、仕事が全然面白くなかったんだよね。給料もらうために働いてただけっていうか…

まぁ、そんな会社員時代でした、という無理やりな着地でもいいですか?(笑)

― 今日は特別に、かすり傷程度の着地で済んだことにしておきましょう。(笑)

【自分だけは自分の味方でいる】

― 高校という環境を変えてもいじめられてるという感じを抱いていた状況から、自分が変わるしかないと思ったのはなぜだと思いますか。

環境変えてもだめだと思ったとき、ぼくは、死のうと思ったでしょ。でも、死ぬってある意味、環境変えるのと一緒じゃんって思ったんだよね。

― いやぁ...そう考えたんですか。

ぼくが今死んだら、自分の一番大事な人だけが悲しむ。そんな死に方は嫌だなと思ったのかもしれないね。周りの人がなぜ自分のことを好きじゃないのかを考えてみたら、とにかく自分が自分のことを好きじゃなんだってことを改めて感じたんだと思う。。

ー 自分が自分を好きじゃないんだって気づけたのはよかったのかもしれないけれど、気づいたときは、やるせない気持ちもあったんじゃないかって想像してしまいます。

周りの人が悪いわけじゃないんだよね。かといって、自分が悪いわけでもなくて。自分がこんなに自分のことを嫌いなのはよくないって思ったんだよ。

だって、自分以外に誰も肯定してくれない自分を、自分も否定している状況って、自分に一人も味方がいないってことだから。それなら、自分くらい、自分の味方でいてあげたいなって思って。自分の味方でいるための方法が、さっきの書き出す行動につながって、それが、自分を変えていくことにつながったんだと思う。

― 誰のせいにもしないところに、豊さんの優しい人柄が滲み出ていますよね。素敵です。単純な質問として、自分以外に誰も肯定してくれない自分を否定することはよくないとか、自分が自分のことを肯定してあげないとって思ったのはどうしてですか。

すごく孤独で、ほんとは誰かに「辛いよね」って言って欲しかったんだと思う。それを言ってくれる人が自分の周りに誰もいないって思っていたから、自分の状況や気持ちを誰にも話せなかったし、話さなかった。でも当時「お前今、辛いよな」ってSOSを出せない自分を肯定してくれる人がいたらどれだけ救われたかわからない。だから、ぼくは今、そんな大人になりたいなって思ってる。

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ー なるほど... 「大丈夫か?」の一言が必要な子は今もどこかにいるかもしれませんね。

【自分と向き合うとは】


ー 過去のインタビュの中で、豊さんは、お子さんが生まれてから、自分の生き方を見直されたとお話していたんですが、自分の子どもに伝えたいことはありますか。

自分と向き合って決断してきたことで今があると思うから、いい就職もいい大学もどうでもいいから、「自分と向き合うことはやめないで欲しい」って思う。自分の子どもだけじゃなくて、若い人たちも、自分の納得いく生き方をして欲しいと思う。


― 自分との向き合い方に正解はないと思うんですが、こういう方向で向き合ってみたらいいんじゃないかなど、ご自身の経験を基に伝えるとしたらどのようなアドバイスやサポートをなさいますか。

「自分の生き方に責任を持つ」ってことを伝えたいかな。

ぼくが高校生で「役者になりたい」って言ったとき、母は「行きたいなら行きな」って言ってたんだけど、「ぼくにお金がないことをわかってて、あんな言い方をするのはずるい」って母親のせいにして、結局はひとりで上京する勇気がなくて上京しなかったんだよね。親と絶縁状態になってでも役者を目指して上京する人はいるのに、当時のぼくは、自分で責任を取れなかったんだと思う。

もしそのとき母に応援してもらって役者を目指して上京していても、うまくいかなくなったら「ほら、母のせいで失敗した」って言っちゃってたと思うし。

ー 豊さんのお母様は「本気でやりたいなら、自分でやると決めて、ちゃんとその責任を取ればいいよ」ということを伝えていたんじゃないかと思われたんですね。

そうだね。自分で人生の選択をしていいんだってことに気づいたら、なんでも自分で選択しなきゃいけなくなった。だから、もし、受験や進路で悩んでいる子がいたら、ぼくはその子に「ほんとに自分で決めたの?」「本気でそこへ行きたいの?」って聞くかな。むしろ、それ以外は聞かない。

ー なるほど。

自分で決断をするときに、自分が後悔するかしないかとか、ほんとうにこれでいいかどうかっていう自分との対話をやめなければ、自分の納得いく生き方ができると思う。ぼくが会社員という生き方をやめたのは、自分で選択した生き方をしようと思ったから。

ー 正解の人生なんてなくて、「自分の納得いく生き方」をすることが大事ですよね。



【本当にしたくてできないことはない】


― これまでのお話のなかで、豊さんが「やりたいことをやっていれば幸せだよね」ということをおっしゃっていてんですが、どうすればやりたいことがわかるんでしょうか。

何十時間やってても楽しいこととか、考えるとわくわくすることってみんな一つはあるでしょ。ぼくは会社員時代にそれが何なのかについて考えてみたんだよ。

それで、ぼくが時間をかけても楽しいと思えて、こんなことが仕事になったら幸せなのにな~って思ったのは、恋愛相談だったの。人の恋バナを聞いて、「そんな恋愛してるんだ~」とか「バカだねぇ」って言ってるのって楽しいじゃん。(笑)

ー 我を忘れて恋に夢中になってる人をニヤニヤと…(笑)

高校生のときから、女の子の恋愛相談に乗ることが多かったから、ぼくははどうやったら恋愛相談が仕事になるんだろうって考えてみたんだよ。
恋愛相談する人って、ただ聞いて欲しいだけの人と、お金を払ってでも相談したい人がいるでしょ?それってどうやったら見分けられると思う?

― うーん… それは難しいですね。

難しいよね。でもぼくは本気で恋愛相談を仕事にしたいと思って、とにかくいろんなことを調べて、「夫婦カウンセラー」って仕事があるってわかった。そこからは恋愛に特化したカウンセラーって日本にどのくらいいるんだろうとか、その人たちはそれだけで食べていけているかどうかってことについて、まずは自分で調べてみて、それから実際に会いに行ってどんなことを話してるのかってことについてとにかく勉強した。これ絶対好きなことじゃなかったらここまでできないよね。きっと。。

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ー まずは、情報収集をされたんですね。

「行動に移すかどうか」が、本気で仕事にしたい人かどうかの分かれ道だと思ってる。

例えばこれも実際に今やってる仕事のひとつだけど、珈琲の焙煎をしてイベントで販売もやってるんだけど、「コーヒーが好きで、それを仕事にできたらいいな」と言っている人が毎日インスタントコーヒーしか飲んでなかったら、仕事にできるかな??

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ぼくもはじめは毎日インスタントコーヒーを飲むことからのスタートだったけど、どうやったらもっとおいしいコーヒー飲めるのかってことを毎日考えるようになって、粉からドリップしたらどうか?ドリップの方法を変えたらどうだろう?豆から挽いたらもっと美味しいんじゃないか?自分で焙煎してみたらどうかな??ってどんどん行動して研究して、今度はそれにどれくらいの価値をつけていくらで販売したら仕事になるんだろうって考えて今に至ってるんだよ。

本気で何かを仕事にしたいと思ったら、どうやったらお金になるかまで落とし込んで考えないと続かないよね。

ー そうですね。

今の世の中にない仕事って、割に合わないか、誰もやったことないか、誰もやりたくないことのいずれかだと思ってて。

誰もやりたくないことや、誰もやったことがないことならきっと、めちゃめちゃお金にはなるよね。ぼくがが今やってる恋愛・夫婦カウンセリングはその中で言えば、割に合わないことだと思うんだけど、その仕事だけで食べていこうって考えなければ続けていける。

協力隊をしたり、珈琲販売したり、好きなことをいくつか組み合わせていけば可能になるよね。時代の流れでそれだけでも充分食べていけるときが来るかもしれないけど、今はそうやって仕事にしてる。

ー なるほど。今の世の中にない仕事を作る、しかもその際、仕事を組み合わせて生業にし てくことが重要そうですね。


ー 最後に、改めて、中高生に伝えたいことはありますか。

「今自分が夢中になれることや、楽しいと思ってることが全部仕事になるよ」って伝えたい。普段やってて、もっとずっとやっていたいって思うことを仕事にするほうが、幸せでしょ?やりたいことをやるためなら会社に勤めてもいいし、自分で会社を創ってもいいし、個人事業主になって事業をやるでもいいんだけど、やってみたいことを、やってみればいいんじゃないかなと思うんだよね。

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例えば、何かをすることで100円稼いだときに、100円も稼げたと思うか、あれだけやったのに100円にしかならないって思うのか。100円じゃ足りなくて、1000円稼ぎたいと思ったら、次はどうすればらいいかを考える。仕事って、そんぐらいの感覚で考えたら、もっと楽しくできるんじゃないかなって思ってる。

ー なるほど。お小遣い稼ぎの延長で仕事というものを捉えてみるということでしょうか。仕事は楽だよ、というわけではなく、もっと自由に仕事というものを捉えることができるんじゃないかということですね。

会社も大人の世界の中でも、それぞれの「ちゃんと」を持ってて、会社の「ちゃんと」というものに沿って働くのか、ぼくみたいにちょんまげ結ってひげ生やして社長するのか、そういうことを含めて、全て自分で選べば、後悔しないじゃん。

ー ちょんまげ結わず、ひげ生やさずに社長する、の選択もありですね。(笑)

そうやって、みんながもっと楽しく仕事をして、生きてるって楽しいなって思える世の中になったらいいなと思いながらwaratteっていう仕事をしてます。

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あ、いい着地。(笑)

― すべて計画してここへ着地したと。(笑)

偶然です。(笑) 行き当たりばったり。そういう言葉だいすき。(笑)

ー 豊さんとお話していると、「もっと自由に、ありのままに生きていいんだよ」って言われているように感じて、自分がいつの間にか築いてしまっていた社会や仕事の概念から開放されて自由になっていく気がしました。 本日はありがとうございました。