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noteが取り持ってくれた、過去と今

あれ。過去のわたしも同じようなことを書いてらあ。自分のとぼけぶりに笑うと同時に、予期せぬ喜びがもたらされて。

自分の本音を、特に極みまでに感じきったものほど、わたしは疑心暗鬼になる。心の揺れ動きと、この先の未来にはどうなってたいか。そんな気持ちを込め、こちらの記事を書きました。


投稿した翌日だったかな。一見関係なさそうな、とある過去記事にスキがついたと通知が来て。続きで読んだではなく、どうもそれだけの単独だったみたい。はてさて、どんなだったけ。自分でも曖昧で、読み直し。その記事とはこちら。

タイトルを見てもらったら分かるように、これまた似たようなことを書いてる。自分で笑っちゃった。

内容は、もっともっと前に書いた過去記事をマガジンへ登録して下さった方がいて。おかげで、まさかのスキが頂けた。びっくり嬉しかったんだというものです。

さすが、わたし。ずーっと同じ感性で書いてるだけあるわ。今と通ずることが載ってるし。でも不思議だった。このタイミングで通知が来たからこそ、対比ができるんだもの。さもなくば、比べるなんてことしなかった。

ちょっと前をさかのぼれば、わたしは自分の価値観、感性全体を「いいと思うんだよ。わたしは思うんだよ。でも世間的にどうなんだろ」て不安視してた。

もっと、もっと前を辿れば、不安視どころか、「わたしってダメですか。でもこう感じちゃんです、思うんです」て恐る恐るで。されどこうして文章にして伝えたいほどの、ある種、傲慢さと強(したた)かさもあった。そうじゃなきゃnoteというSNSで発信しなかろうて。

ここに来て、「ええーい。周りくどい謙虚さとか、お伺いとかしてんじゃなく。そう思うなら言ってしまえー」の豪快さが加わって。ずいぶん解放されてる。そしてようやく、自分の根っこにあった部分、「昂った感情とて、わたしは自分を信じて進めますか」に行き着いたのかなって。

なんで強く思ったのに、自分の気持ちに疑いを持つんだ。正直、自分の中で葛藤してたし、ガッカリしてたんです。だからこそ言葉にし、自分を応援したかったのもある。

イヤイヤ、違うんだよ。たくさんのステップを経て成長してきたからこそ、本丸へやって来た。むしろ誇りたまえって、自分の背中をバーンと叩きたい。

noteてありがたいですね。こうして過去と今を結んでくれる。「同じテーマで書けばいい」。文章を習ってることばと広告さんが、よくおっしゃいます。

わたしは書いたことをすっかり忘れ、何度も同じテーマで書いちゃうんだけど。それでも、どうやったとて、全く同じ内容で書き記すことはできないんだ。改めて知ったのでした。

では また

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