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誠実とはなんぞや。いっぱい考えた2週間でした

新聞のある記事を読んだのは、いまから2週間前。以後ずーっと考えてました。わたしはどうしたらいいんだろう。わたしの中へ取り込めるのかって。

その記事は、NIKKEIプラス1(日経新聞の毎週土曜日に発行される特別版)の中にある、「なやみのとびら」という相談コーナーです。今回は脚本家の大石静さんが回答者でした。

相談内容をざっくり言うと。「前はこう言ってたよね?」と相手へつい聞いてしまう。みんな自分が言ったことをあまり覚えてない。話半分で聞き流せばいいのか?でした。

回答のなかで、グサっと心に刺さった文章があります。

もしかして、あなたは他の人よりも一貫した意見を持ち、真面目にきちんと筋の通った生き方をしているのに、なぜかあまり周りの人に好かれない……と自覚しているのではありませんか? そのことに矛盾を感じていませんか?

わたし、まさしく本当にこの文章に書かれたことを思ってて。なんで、どうして、わたしは愛されないの。こんなに真面目に生きてるのにおかしい。すごく思ってました。
だから読んだとき胸がぎゅっと詰まって、痛かったです。

大石さんの回答を読み進めるたび、カンカン頭を打ち付けられた思いでした。
そして最もグサっときた一文がこちら。

常に人を評価するまなざしで優位性を保ってるとしたら、嫌われちゃうと思いますよ。

好かれようとしてんのに、真逆の嫌われるだ。うーわ。わたし、やってた。身に覚えありです。

あんまし言いたくないけど。自分の中に、「ふふん」とばかりの上から目線の気持ちあるんです。これは相談者さんじゃない。わたしのことだ。自分へ図星過ぎて、頭を抱えました。

わたしの思う誠実とは、立場、条件が変わろうと、一貫していることでした。なんなら、「これ一点しかない」と信じ込んでたし。

「人は不条理で曖昧なもの。」大石さんは綴っておられます。簡潔な一文なんだけど、ずしりと重みを感じます。
以下は締めくくりの言葉です。

人の変節をかろやかに許せるようになれば、あなたは今よりずっと幸せになれる気がします。そして人からも愛され、断然生きやすくなるように感じます。

変節、曖昧、不条理。わたしの思う誠実から、最も取り除かなきゃと思ってた要素ばかり。

磨きに磨き、不要な要素を取り除いた誠実となったなら、わたしは愛されるんだ。ずいぶん励んできました。

なのにここにきて、逆要素を含んでこそ愛されるだと⁈
大石さんの回答にずいぶん納得したんだけど、心と頭の理解がおっつかない。理解するのに時間が必要でした。


気分を入れ替えようと思いました。「チ。」。思いきって読みました。前から気になってたマンガです。でも気分転換にならず、もっと沼にハマりました。

「チ。」を読んで思ったのが、一貫性というか。思考を一色で染め上げるってなんて恐ろしいんだろうってこと。

迷うこと、考えることはすごく豊かなんだという、大石さんの回答に通ずる思いを抱きました。読んだ結果、もっと身につまされることになったんです。

うわーん。やっぱりそうなのねー。
自分の中の抵抗する気持ちと、どうもそうなんだよの気持ちとで悶々だったし、いまも悶々。


で、結論は? なんですが。そう易々と、「今日から曖昧・変節・不条理も大切にします」とは言えそうにない。自分なりに磨いてきた、守りたいマイ歴史もあるもんで。

なので、「どうもそうらしいんだ。どうするわたし?」という感じで、丁寧に自分の中で対話をし続けようと思ってます。

今のわたしがしたいことは、色んな声を発する大切さ、聞く大切さを持つです。

長々とわたしの思考にお付き合いくださり、ありがとうございました。おかげさまで、ずいぶん頭の中が整理できました。

言葉になってよかった。嬉しいです。
では おやすみなさい

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