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◆遠吠えコラム・「獅子は『迷い』ながらも若獅子を谷へと突き落とす」~「鎌倉殿の13人」第33話「修善寺」(※画像は大河ドラマ公式ツイッターより)
鎌倉を追われた2代目「鎌倉殿」・源頼家(演・金子大地)は、かつて父頼朝が配流された伊豆の地でひそかに再起を図っていた。鎌倉では北条時政(演・坂東彌十郎)が3代目実朝の外戚として政所別当(長官)に就任。さらに小四郎(義時、演・小栗旬)が相模守に任命されるなど、北条家は坂東での存在感をますます高めていた。御家人たちは北条家を恐れ、次第に北条家の人々と距離を置くようになっていた。そんな御家人同士の関係性のほころびに目を付けたのが、西の覇者・後鳥羽上皇。自らが名付け親となった幼き鎌倉殿・実朝に急接近を図り、鎌倉を陰で操ろうと画策する。伊豆で隠居していた頼家にも目を付け、実朝が鎌倉殿に就いて間もない不安定な坂東に揺さぶりをかける…。
鎌倉の権力闘争はさらに激しさを増し、ついには鎌倉殿をも死に追いやる事態に発展。第33話では、御家人同士の熾烈な争いの裏で幕府への影響力を高めようとする朝廷の存在も印象的に描かれ、クライマックス(承久の乱)に向けた静かな「助走」がすでに始まっていることを感じさせた。
今回も頼家をはじめ作品を彩ってきた千両役者たちが退場するが、史実を見ると、まだまだ見どころは満載のよう。本話では、抗争の最前線に身を置く小四郎の「迷い」が示唆された。義時の「迷い」とは?いざ遠吠え!
【「猛き者もついには滅びぬ」鎌倉のパワーゲーム】
伊豆・修善寺に追放された源頼家が、隠居中の自分を訪ねてきた三浦義村(演・山本耕史)に向かって「俺は必ず鎌倉に戻る。そして北条を討つ」と強く宣言するが、これは何も強がりで放った言葉ではないだろう。
鎌倉における血の抗争ではこれまで、圧倒的な強者こそが滅んでいる。頼朝第一の家臣であった梶原景時(演・中村獅童)も、頼家の乳母夫だった比企能員(演・佐藤二朗)も。いずれも、その強さゆえに他の御家人から恐れられ、その身を亡ぼすこととなった。3代目鎌倉殿・実朝の外戚として実権を握っていた北条時政(演・坂田彌十郎)とて例外ではないだろう。33話では、鎌倉で権勢をふるおうとする時政を恐れて御家人たちが北条家の人々と距離を置き始めていることが示唆される。一見盤石に見える鎌倉の権力基盤のもろさをよくよく表している。
鎌倉殿だった頼家ですら伊豆に追放されてしまったが、その「逆」もまたありうるということは歴史が示している。頼家のいる伊豆の地はその昔、父頼朝が挙兵し、坂東武士の棟梁として平家を滅ぼすまでに至った始まりの地。三浦に放った鎌倉帰還の宣言は、父頼朝の偉業を知る頼家の現実的な表明に他ならない。後ろ向きで表情こそ見えなかったが、三浦も内心は穏やかではなかっただろう。何故なら三浦は頼家以上に頼朝の偉業の内幕を知る人物だからだ。三浦から頼家の言伝を聞いた大江も、頼朝の「逆転劇」を知る者として、「謀反の芽は摘まねば」と警戒感を強める。
坂東の不安定な情勢は、頼朝が創設した鎌倉幕府の性質が影響していると考えられる。中世史研究者本郷和人氏は、鎌倉幕府の本質は「源頼朝とその仲間たち」による安全保障体制にあると述べている。具体的には、朝廷の地方組織である国衙などからの租税収奪から財産である土地すなわち所領を実力行使によって守ってもらえる代わりに、棟梁である「鎌倉殿」に奉公するという権力構造のことを指す‹1›。中高生の時の歴史の教科書でもおなじみの「御恩と奉公」だ。御家人たちにとって、自身の所領は非常に重要で、家の経済基盤とイコール。所領を脅かされるということは、飯の種を脅かされるということ。自分の家および所領で暮らす人々の生存にかかわることなのだ。自分たちの生存を守ってくれる力の強い上司として御家人たちの頂点、すなわち武家の棟梁として君臨していたのが鎌倉殿・源頼朝だった。
ただこの力の強い棟梁の存在はもろ刃の剣で、御家人たちはこの上司から所領を奪われたり、命を奪われるリスクと常に隣り合わせでもあった。だからこそ、鎌倉殿の傍らで発言権を強め、坂東でも一二を争う大国・相模と武蔵の実権を一手に握ろうとしている北条家のことを御家人たちは恐れたのだ。
本話では、御家人と北条の間に生じた関係性に亀裂が生じたのに乗じて揺さぶりをかける権力者たちが印象的に描かれていた。京の後鳥羽上皇は伊豆に隠居している頼家に接近し、実朝を擁する北条家との対立をさらにあおる。逆に頼家も朝廷に接近し、上皇から北条追討の宣旨を引き出して、パワーゲームの盤上をひっくり返そうと目論んでいたわけだ。
時政が武蔵守への就任を要請しているとの情報を朝廷側からつかんだ頼家は、武蔵の御家人で見栄えのいい男・畠山重忠(演・中川大志)に揺さぶりをかける。時政が武蔵守に就任し、畠山一族の所領である武蔵国の実権を握ろうとしていることを重忠に伝える。先述したように、所領は御家人に重要な経済基盤。所領の実権を奪われることは、一族の生存にかかわる。北条の娘を妻に迎えている重忠にとって、時政は義父にあたる。義父が自分の一族にとって不利益になるようなことをするわけがないと思う一方、頼家が嘘をついているとも思えない。重忠は、実朝の外戚として大きな顔をしだしている時政を心の底では疑い始めている自分に気づかされたのかもしれない。鎌倉に帰還後、時政に「武蔵は大丈夫ですよね」と恐る恐る尋ねるその顔には義父への疑念と一族の行く末への不安の色が浮かぶ。次の「乱」への助走が早くも始まっていることを感じさせた。「坂東武士の鑑」と称され、他の御家人からの信頼も厚い重忠を味方に引き入れることで、北条に懐疑的な御家人たちの吸収も見据える頼家したたかさも描いた見事な脚色だった。
伊豆市観光協会によると、頼家が伊豆で北条義時の手勢によって殺害された数日後、頼家を慕っていた13人の家臣が仇討ちのために挙兵しようとしていたところを見つかり、殺害されたという事件が起こっている‹2›。また、頼家は武芸に大変優れ、そう簡単に殺せるとは考えられていなかったため、入浴中にひもで首をくくって弱らせ、急所を切り取って殺されたという逸話もある‹3›。頼家がいかに勇猛果敢で人望もあり、いかに北条家から恐れられていたかを物語るエピソードだ。伊豆に幽閉されていた頼家が朝廷と通じ、「再起」を図っていたかは定かではないが、上記のエピソードを踏まえれば今回のアレンジは十分説得力がある。
そして何より、ドラマ上では今回あまり前景化はしなかったものの、頼家と北条の対立激化で幕府の弱体化を目論む後鳥羽上皇のラスボスしぐさの描き方も素晴らしい。弱体化を図る一方、源仲章を実朝へと接近させ、幕府に対する朝廷の影響力も強めようと目論む。実際、実朝の時代に鎌倉幕府と朝廷は接近していくことになる‹4›。
しかし、そんな実朝も、必ずしも後鳥羽上皇の影響下にあったわけではなく、自立した判断を下すこともしばしばあったそう‹5›。
第33話では、頼朝以来の宿老三善康信が実朝に和歌を教える場面が登場する。和歌の基本である七五調を、「た、た、た、た、た」と声に出してリズムを刻みながら教える元京都の貴族三善の姿がなんともほほえましかった。そんな三善だったが、突然部屋に入ってきた源仲章に「和歌は、帝が理想とする世について歌うもの」(大まかにこんなこと言っていたと記憶する)と切れ味よく論破され、すごすごと引き下がる。実際実朝は藤原定家や後鳥羽上皇の影響の色濃い「古今和歌集」や「新古今和歌集」の歌風に近い歌を詠むが、一方で「万葉集」の歌風に影響を受けた秀歌も残している。つまりは、「花鳥風月を思うままに歌う」(大まかにこう言ってた気がする)と不器用ながらに実朝に語り掛けた三善の歌論も少なからず体現していく。鎌倉殿として次第に後鳥羽上皇の影響から脱却して我が道を突き進む実朝の未来を暗示しているだろう。
【「見よ!この世は地獄だ」我が子を千尋の谷に落とす獅子・義時の「迷い」とは?】
33話では久々に運慶が登場した。馴れ馴れしい口調の端々に時々他人をドキッとさせる一言を放つ侮りがたいキャラクターだ。運慶は、15年ぶりに再会した小四郎の顔を見て、「小四郎、お前、悪い顔になったな」と言い放つ。数々の仏像や彫像づくりを通じて人の顔を創り出してきた彼は、他人の顔の変化やつくりには人一倍敏感だっただろう。血みどろの権力抗争の中で次第に鬼と化していく義時の本質を、彫刻家ならではの感性で端的に示した見事な台詞だ。
そんな運慶だが、小四郎の顔に「迷い」を見出す。そして「その迷いこそが、救いだ」と。運慶の言う「迷い」が具体的に何を現すかはドラマ上でははっきりはしないものの、私はこの「迷い」という言葉を聞いて膝を打った。何故ならばこの「迷い」こそが、鎌倉における権力抗争で生死を分ける重要なものだと考えるからだ。
頼朝が亡くなってからの鎌倉における権力抗争を見るに、散っていった者の多くは、「迷い」なく己の理想や野望に突き進もうとしていった者たちだ。例えば梶原景時は、頼朝第一の家臣としての自負を胸に、鎌倉殿となって間もない頼家を支える一心で幕政をまとめ上げようとし、結果他の御家人とのハレーションを生んで鎌倉を追われた。比企能員も頼家の嫡男一幡の外戚として鎌倉で権勢をふるおうと目論み、義時が提案した東西分割統治の妥協案を反故にしてでも自身の「野望」を優先したことで、ついには北条に滅ぼされた。そして今、比企を滅ぼした北条家の家長・時政が、りくにそそのかされるがままに坂東で権勢をふるっている。婿の所領である武蔵にも手を出そうと目論んでいる時政には今のところ「迷い」の色は見られない。
「吾妻鏡」では頼朝の随一の家臣と評されている義時だが、あまり目立つことなく、鎌倉殿に仕える一重臣であり続けていることが史実ではわかる。例えば実朝が暗殺された事件では、右大臣拝賀の式典が行われていた鶴岡八幡宮の中にはおらず、敷地の外の門に控えていたことが同時代史料の「愚管抄」で指摘されている‹6›。
行政運営もかなり慎重だったようだ。実朝が政所を設置するまでの4年間、義時が自身の名で発給した文書はわずか5通。対して時政は実朝後見人時代の2年間に発給した文書26件が少なくとも確認されているという‹7›。時政を追放し、幕府の最高責任者として実権を握ったものの、独善的に権力を行使することを抑制していたことがうかがえる。
義時の慎重さは、承久の乱においてもみられる。後鳥羽上皇の標的にされて焦った義時は、守りを固めて守りを固めて朝廷軍を迎え撃とうという「慎重論」に出ている。大江広元に京宇都へ攻め上るよう提案されるが、それでも不安だった義時は、病床にあった三善康信に助言を求めており、三善から「(大江の言う通り)京へ攻め上るべし」と勧められてやっと京都への進軍を決意している‹8›。史実では最後の最後まで義時は「迷い」続けていることがうかがえる。
「これしか道はない」。義時が折に触れて口にする言葉だ。回を追うごとに義時の着物の色が黒に限りなく近づいていることが多くの視聴者に指摘されている。これは、熾烈な権力闘争の中で次第に暗黒面へと落ちていく義時を暗示しているともいわれているが、運慶が「救い」と言っていた「迷い」は今後どうなってしまうのか。少なくとも33話の義時は、自らの内なる「迷い」をどうにか振り払おうと苦悶しているように見えた。
例えば、幕府に反旗を翻そうとしていた頼家の暗殺を御家人たちが決断した場面。頼家追討の決定に対して激しく反論する太郎(泰時)を、義時は「甘い!」と断ずる。太郎は父の諫めにかまわず、幼少期からのマブダチの頼家を逃がすため伊豆の修善寺へ走る。だが義時は、伊豆へ向かう太郎を止めなかった。時房から太郎を止めなかった理由を問われ、「あれは昔の私だ」と答えた。昔の自分を重ねた太郎のことがやっぱりかわいいんだなあ、と思っていたら、とんでもない。義時の選択は結果として、万寿が非業の死を遂げる惨劇の現場に太郎を立ち会わせることとなった。この時の太郎は、第15話「足固めの式」で、鎌倉殿の権威を高め御家人への支配を強化する目的で有力御家人上総広常が惨殺された現場に居合わせた小四郎と重なる。あの出来事を境に小四郎は坂東を治めることが一筋縄ではいかないことを徐々に理解し、「鬼」へと変貌していく。「見よ、この世は地獄だ」と、未熟な太郎に厳しい現実を突きつける小四郎の姿は我が子を千尋(せんじん)の谷から突き落とす獅子のごとし。甘かった昔の自分と何とかして決別しようとしているようにも見えた。昔の自分と重なる人物がまさかの最愛の息子なんだから、決別しようと思ってもそう簡単にはいかないよな。辛すぎる。
ただな、小四郎よ。頼家の死とどう向き合い、この先の血の抗争の中をどう歩んでいくかは、太郎が決めることだ。小四郎の思いを受け継ぐのか、はたまた小四郎とは異なる選択をするのかは、太郎にしかわからない。案ずるな小四郎。太郎は後に、御成敗式目という類まれなる武家法典を作り上げ、坂東はおろか日の本を立派にまとめ上げることになるんだぞ。え?御成敗式目知らないって?そうか、小四郎、お前が死んだ後のことだったな。
【参考文献】
1.本郷和人「承久の乱―日本史のターニングポイント」(文春新書、2019年)
2.伊豆市 観光情報 特設サイト (city.izu.shizuoka.jp)
3.大隅和雄訳「愚管抄-全現代語訳」(講談社学術文庫、2012年)
4.坂井孝一「承久の乱-真の『武者の世』を告げる大乱」(中公新書、2018年)
5.4に同じ
6.大隅和雄訳「愚管抄-全現代語訳」(講談社学術文庫、2012年)
7.呉座勇一「頼朝と義時-武家政権の誕生」(講談社現代新書、2021年)
8.4に同じ