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君だけの為のノブレスオブリージュ

「推し活」と包括されるもの、またはそれに相当する趣味に興じている人々をSNSでよく見ている。

わたしの視界では主に『ラブライブ!』シリーズを筆頭とするアニメコンテンツファン日向坂46ファンを見る機会が多く、どちらも”アイドル”という共通点を持ちながら、2次元アイドルなら二次創作や楽曲の考察が、3次元アイドルならライブや楽曲、メディア出演に関するコメントが多種多様に存在している。このテキストをわかりやすく進めるためにでは以下より、ファンでいることを大雑把に「推し活」と称することにする。

彼らの生態はとても興味深く、ライブ観戦やメディア視聴を楽しんだする一般的な楽しみ方をはじめ、すっかり定番アイテムとなったアクリルグッズやぬいぐるみを美味しそうなご飯と一緒に写真に収めたり、先日は石板に点描してイラストを模写した大作を見た。その方はふだんから点描彫刻を作成しているようで、他の作品群も圧巻だった。


一般的なムーブメントに一捻りを加えた愛情表現(劇場公開中だった映画を背負ったライブにて、作品舞台が沖縄だったのでアロハシャツを着用するファンが多数いた中で、メインキャラが工事に加わるシーンをオマージュして黄色い安全ヘルメットを着用して参加していたファンがいた)を見ると気持ちが良くなるし、作品に対する真摯な批判は多角的に作品を深めるきっかけをもたらしてくれる。

そんな明るい側面の一方で、運営方針や発表される作品への不満など暗い側面とを持ち合わせるファンの様子はとてもおもしろい。それぞれがもつ理想と現実のズレに向き合う背景に思いをはせると、直接会ったことはないけどその人となりを知れた気になれる。

こういった推し活については、わたしも身近で性分に合っていて、他のファンと混ざった気になって日々楽しんでいるところだ。

だがしかし、これ以外にも推し活と称される行動のひとつに、過激な消費活動がある。AKB48総選挙の投票権に始まりライブチケット申し込みのためのシリアル抽選券など、俗にいう「積む」という行動。もしくは出演の貢献度の指標になってる(とされている)YouTubeなどの動画を繰り返し視聴する「回す」という行動。これは全く理解できない。

「積む」に関しては以前日向坂46の握手会に参加するために3枚ほど同じCDを購入してみた(その時は4名と握手した)のだが、独占的な価格設定に納得ができず結局それきりになってしまった。3枚のCDとともに後悔も残った。厳密に言えばこれは「積む」に入らないと思うのだが、仮に好きな人ひとりと数十秒会話するためにそれをするかと言われれば結果は変わらないだろう

この行動の真意としては、ファン本人が推しに対する奉仕、貢献による自己満足を得るためであることが大きいとわたしは思っている

そこでわたしは、消費を伴う「推し活」は現代的なノブレスオブリージュなのではないか、という仮説を立ててみた。仮説を立てただけ。

19世紀にフランスで生まれた言葉で、「noblesse(貴族)」と「obliger(義務を負わせる)」を合成した言葉。財力、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことをさす。身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会に浸透する基本的な道徳観である。

公益財団法人 日本女性学習財団HPより

この道徳観には富の再分配の機能があり、これは推し活の考え方に似ている気がしている。

自覚的消費行動を伴う買い支えは、本来であれば全く関与できない立場の人間が消費活動という形で参入できる体験であり、ファンが推しの活動費用を分配するその背景には、応援する人のためを思った奉仕の精神や活躍することに対する責任感、(過熱化すると)義務感を覚えてしまっているからではないか。

ノブレスオブリージュと推し活の明確な違いは財力の差である。「アイドルは日本が不況の時に流行する」というのをどこかで聞いたことがあるが、莫大な財産をもつ貴族とは違い、年収中央値が330万円の20代や400万円の30代では当然分配する金額も分配先もごく少数に限られてくる。

これらを踏まえて、応援する人のためを思った奉仕の精神と局所的な富の再分配を両立する推し活は現代にカスタマイズされた道徳観が下地にあるのではないかと思ったわけだ。

以上、わたしなりにノブレスオブリージュと推し活を重ねてみつめてみた。「奉仕の精神の由来はどこ?」や「なぜ富の再分配を意識するのか?」などほかにもいろいろと疑問が浮かび上がってきたので個人的にふたたび見識を広げて深めていきたいと思う。

みなさんが健やかで末永く推し活に勤しめますように。

おしまい。

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