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発達障害の子を育てる苦労とは?①
・時代もあるよね
長女を出産したのは、20ウン年前になります。
よく泣き敏感な子で全然続けて寝てくれませんでした。
私が助産師をしていたので「赤ちゃん1人くらい余裕でしょ」と言われ、
里帰りなどはせず最初から1人での育児でした。
(もちろん元夫は寝ているだけであてにならず。)
「いやいや、助産師だからと言って時間が来ても交代は来ないんですけど!誰に申し送りすれば良いの!」という状態でノイローゼになりそうでした。
何故なら娘は立って揺らさないと寝ないし、寝ても新聞紙がカサッとなるだけで大泣き。
やっと3時間続けて寝てくれたのは生後3ヶ月すぎてからでした。私も3時間寝れて嬉しかったのを覚えています。
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あと、母乳しか飲んでくれず、全メーカーの哺乳瓶の乳首を買いあさり試しましたが嫌がって全くダメで人に預けることも出来ませんでした。
まぁ、ここまではよくある話ですし、
「神経質な私の子だからね」で済ましていました。
離乳食は、白米のお粥やご飯、決まったメーカーの決まった味のりしか食べない時期がありました。
どんなに手を込んだものを作っても、匂いだけで嫌がったり一口食べても吐いてしまいました。薬もどんなに工夫しても飲めず入院にまでなってしまったり、いくら説明しても無理やり飲ませようとしてきたナースと喧嘩になったことも。
・そう当時はね
当時はまだまだ「発達障害」は一般的でなく
1歳半健診などで引っかかっても結局は「感受性が強いのねぇ。音楽や絵をやらせてあげたら?」しかアドバイスはありませんでした。この言葉は他でもよく言われました。
・人見知り
そして1番、本当に幼少期で1番困ったのは「人見知り」でした。
一般的にも0歳後半ぐらいからの赤ちゃんの「人見知り」は、情緒の普通の過程であり、ちゃんと家族とそれ以外の他人を見分けつくようになった証拠で正常な事とされています。
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だけど発達障害のある長女は違いました。
その程度が酷く、期間も長かったのです。
最初は家族みんな普通の人見知りと思い、外で泣いても微笑ましく思っていました。
ただ8ヶ月頃から1歳半までパパにまで泣いて、パパを悲しませていました
2歳近くで自分からパパのところに行った時はすごい嬉しそうでした(笑)
あとは近所の優しそうなおばさんに「おはよう」と声をかけられただけで、ベビーカーの中で のけぞって大泣きするのです。
私とくっついていれば大丈夫かと思い、抱っこ紐で前抱っこし買い物に行っても知らない人と目が合うだけで私の髪を凄い力で抜けそうなほど引っ張り大泣き。
周りの人は「なんだなんだ」とただ見ていました。
ミルクは飲んでくれなくて母乳しか飲んでくれなったので非常階段でこっそり授乳し泣き止ませ、隠れるように帰りました。
当時は授乳室やネットスーパーは当たり前ではなかったのです。
ちなみに「おしゃぶり」もすっごく嫌な顔をして吐き出し使えませんでした
公園デビューもしたかったのですが、そんな状態でしたので行っても泣いて私から離れず。
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わざとみんなが帰った薄暗くなりかけの時間に行って、遊具を体験させて遊ばせていましたが
なんと猫ちゃんが通っただけで大泣きしたので「猫にまで人見知りかーい!」と最早突っ込んでしまいました。猫見知り?(笑)
その頃からでしょうか
「うちの子は幼稚園にも行けないかもしれない」と。
何回も相談しに行った時言われた「感受性が強いのねぇ」では済まされないのかも、と思うようになったのは。
・そして一番傷ついた言葉。
たまたま街中で会った当時の先輩助産師が、長女を見た途端また大泣き暴れ出したのですがそれを見て
「助産師なのに、どうしてそんな風に育てちゃったの?」
思い出しても辛くなります。
もう25年ほど経ちますがその言葉は、まだまだ続く娘の障害でのアレコレが起こるたびに私を突きさしてくるのです。
今なら言い返せるんでしょうけど
当時は私も時代も発達障害やアスペルガー(今は自閉スペクトラムなど)の知識がなかったんです。
さて長くなりましたが
ここまで読んでくださりありがとうございます!
次は波瀾万丈幼稚園編の予定です。
またよろしかったら見にきてくださいね!