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愛しあう二人はお互いだけがいればそれでOKか(グオメ2)

『グッド・オーメンズ』シーズン2を完走しました。
ネット上では日々卓見が披露されており私など何も新鮮みのあることは言えないのですが、書いてしまったんで投下します
 
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※ネタバレ前に ニャンクッション

我が家のロミオとジュリエット(ではない)

愛しあう二人

私はドラマを視聴する習慣を持たない人間なのですが、
Good Omensは父のアマゾンプライムで見せてもらっており。
このたびめでたくSeason 2が公開されまして、
――阿鼻叫喚のるつぼの中に我々ファンはのたうち回っているわけです。
 
愛しあう二人が、何組か出てくる本シリーズ。
 
ガブリエル・ベルゼブブは全てを捨てて二人だけの世界に行ってしまう。
絵に描いたような駆け落ちを決めやがった。
(ここだけでうおおおおああがああってなるんだけどそれ以上にその後が)
 
それができないのが、アジラフェルとクロウリー。
クロウリーはそうしたいんだけど、アジラフェルにはできない。
 
シーズン2では明らかに二人の距離は近くなってて、一緒にいるのがナチュラルというか、本屋でアジラフェルの座っている椅子にクロウリーが腰かけるところとかなんだお前らなんなんだいやみなまで言うなわかっているんだ感があってすごくいい、すごくよかっただけにラストで叩き落された
 
シーズン3を……シーズン3をくれ今すぐにだ!!(血涙)
 

……嗚咽をおさえて、もう少し書きたい。
クロウリーがあまりにもかわいそうだ、というのはわかる、でも
クロウリーが望む、ケンタウルス座アルファ星に二人だけで逃げる、というのは、私にはどうも「正解」というか、望ましい未来のように思えないんだな。
 
アジラフェルはHeavenが(最終的には)善なる側(善たりえる側)だと信じていて、クロウリーだって当然戻りたいはずだと思い込んでいる。
それが大きな誤りだというのはその通りなのだが、
クロウリーが提示する逃避行もまた、アジラフェルが望むものではないと思う。
 
私は恋愛というものを全然わかっていないので、そう思うだけなのかな。
愛しあう二人がいるとする。
二人には、お互いだけがいればそれでいいだろうか。

愛しあう二人にはお互いだけがいればそれでいいのか

「恋のときめきは3年しかもたない」と聞いたことがあるが、
そうでなくても、完全にお互いの存在しかない状態(※現実にはほぼありえないが、ケンタウルス座アルファ星はそんな感じでは)って、本当のところどうなんだろうって。
閉塞感を感じる……気がする。
「オレにはお前しかいない」って、重くないか。苦しくないか。
 
「愛」が「依存」に変質しないためには、
それぞれに、お互い以外の「よって立つもの」が必要なんじゃないか、と。
それって社会だったり他人だったりするのでは、と。

 
あとね、クロウリーはアジラフェルさえいれば他は何もいらないのかもしれないけど、
アジラフェルはこの地球を愛している。世界を愛している。
彼に食べ物の味を教えたのは、クロウリー、あんたじゃないか。
世界の楽しみ方を教えたのは、あんたじゃないか。
 
アジラフェルの愛は、このすばらしい世界を君と一緒に楽しみたい、そういう愛なんじゃないか。
だから、make a differenceするために、この世界を終わらせないために、Heavenへ戻ろうとする。
 
クロウリーは「地球はもう救いようがないから二人だけで逃げよう」って言ってんだよね。
(まさかそのお手本になるのがブブガブとは……)
そうすると、「世界」、「社会」はすっぽり抜け落ちてしまって、
二人は真空の中で暮らすことになる。
ともに楽しめるものがないままに。
他によって立つものがないままに。
これは究極の、出口のない共依存関係なのではないか。
健全で、長持ちするものとはとても思えない。
 
(※シーズン2では、クロウリーが人や動物を助けちゃうシーンが何度も描かれる。
本当はクロウリーだって自分とアジラフェルを包む世界を愛しているはずで、そのことをアジラフェルは見てきてわかっているんだよね)
 

私が愛する君の幸せとはなんだ

万が一、私に「あなたを幸せにします」って言う人が現れたら、言おうと思っていることがある。
「あんた私の幸せが何か知ってるんか」。
 
……こう言ってやろう(?)と思ってから20年近くたったが、
幸いなことに、まだ誰も言ってきていない。
人を見る目があるんだなみんな。よいことだ。
おかげで、この世の悲しみが一つ増えずに済んでいる。
 
いっつも思う、愛しあってつきあったり結婚したりしたはずの二人が、
なんでそうなるんだろう、って。
 
「盲目」の短い期間が終われば、あとは愛は意志の問題だろう。
その愛に基づいて、相手に贈り物をしようとする。
でも、本当に相手が何を欲しているかは、わからないことが多くて、
贈っているつもりなのに受け入れられない、
欲しいものが与えられない、
そういうすれ違いが結局、そういうことになるんかな、って。
 

二人の愛の持続可能性と、世界の祝福

愛しあう二人が周囲に祝福されるってことはかなり重要なことなんだろうと思う。
(実感したことがないので全部推測だが)
「結婚」とは「契約」だと思うが、それは社会的契約である。
二人だけの問題ではない。
もう「結婚」なんて制度は廃止した方がいいのでは、と思うこともあるが、
たとえ廃止したとしても、社会的に祝福される、認められるってことは必要不可欠な気がする。
 
『ロミオとジュリエット』に代表される、困難があるからこそ燃え上がる恋、は伝統なんだろうが、極めて短い時間だから成立するのであって、
安定した社会とその祝福の上にこそ、二人の愛って持続可能なんじゃないかと。
 
持続可能な愛。
「世紀の大恋愛」真っ最中の二人なら、そんな矮小なものは自分たちの永遠の愛には関係ないと、言い切るだろう。
でも……
 
(「恋愛」の話なんか柄にもなくしちゃったがアジラフェルとクロウリーは人間ではなく性別が備わってもいないし肉体に縛られてもいないはずなのでふつうの「恋愛」ではないとは思ってるんですよじゃああれは何かと聞かれるとやはり「愛」だとしか言えないああ私には「愛」もわからんというのに何を書いているのか!?)
 
シーズン3では、
アジラフェルさえいればいいクロウリーと、
クロウリーとともにこの世界を愛したいアジラフェルの思いが、
ともに昇華されて報われるはずだと、信じている。
 
ナイチンゲールの歌声―愛の祝福に、たどり着けるはずだ、と。




※駄文をお読みくださって感謝感激
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