『望むのは』この軽やかさ
古谷田奈月の本で絶対再読したいと思ってた『望むのは』。
このたび読めました。
やはりよい。
なぜいまだに文庫化していないのだろうか。S潮社様。聞いてますか新C社様。
ネタバレをなるべくせず、少しだけお話ししたい。
高校一年生になる小春、という少女が主人公。
お隣のご家庭に、長らく別の場所で暮らしていた一人息子が戻ってくる。
4月から同じ高校に通うという歩くん。
彼の母親=お隣の奥さんは、ゴリラである。
ゴリラである。
どういうことなの? と思うが、ただただゴリラである。
ゴリラの秋子さんは人語を話す。エプロンを身に着けている。
趣味はキルティングのトートバッグを作ること。
見た目がゴリラなだけで、中身はかわいくやさしいおばさま。
引っ越し直後に挨拶にいった小春たちは驚くが、すっと受け入れる。
特に小春の父母の態度はあっぱれなものである。
その後、彼らの間では秋子さんのゴリラ性は問題にならない。
この世界には他にも、パッと見「ふつう」ではない人たちが出てくる。
小春のクラスメイト・相沢くんの「友だちの友だちの親戚の子」は鯛だという。魚だ。
それについての高校生たちの会話は「うそお」と驚くところから始まるが、
珍しいよな、豪邸みたいな水槽に住んでるらしい、
という程度で終わる。
この軽やかさ。
いわゆる「常軌」を逸することが、このくらいの温度感で受け止められる世界だったら、どんなにいいだろう。
『望むのは』の世界にも、差別や偏見がないわけではない。
でも、いやいやそこ? その前にさ?……ってところを華麗に飛び越えていく人たちの世界である。
本に限らず、創作ができること――
――現実を、少しだけ変えること。
うんざりしてしまうような現実を少しだけ変えて、
「こうではない世界」のありようを描いてみせること。
2017年発行。6年たった。
「多様性が大事」、はスローガンとして定着したが、声高に叫ばなければならないのは浸透していないからだ。私たちの日常に。体に。
『望むのは』は「多様性」なんてフレーズを表面に出すような野暮いことを一切しないで、まだ見ぬ世界を創りあげている。
どのキャラも素敵だが、私のイチオシは美術の里見先生。
「きみがいったいなんなのかは、きみがわかっていればよろしい」
好き……!!
(↓古谷田奈月のデビュー作 ネタバレ感想↓)
(トップ画像はこないだ海岸で拾った貝殻)