なんとなく一緒にいること
久しぶりの投稿、わっしょい。
なんとなくドライヤーで髪を乾かしながら、なんとなーく思いついたんだけど、
なんとなく一緒にいることって何気結構大事なのかもしれない。
なんか最近、自分の周りで大事にしたいなぁと思える人が増えた気がする。
人を好きになるときはどんな瞬間ですか?
私は、この子私のこと好きじゃんって確信した時かなぁ。
自分のことが好きな人を好きになるとはよく聞くことですが、私も例外なくその典型で。
なんとなく一緒にバイトしてた、なんとなく遊んでた、なんとく一緒に授業受けてたとか。
苦手なわけじゃないけど別に特別好きなわけではない、そんな友達が好きに変わる瞬間って分からないようで意外と自分の中では分かったりする。
学生のうちは集団で何かすることが多いから、友達を作りやすいのかな。はじめ、ただのなんでもないクラスメイトだったけどなんとなく一緒に授業受けて、なんとなく他愛もない会話をして、なんとなく空間を共にしてたら結構大事な親友になってたり。
たぶん、なんとなく一緒にいるうちに、なんとなくその人の"人と為り"が分かってきて情が湧いてくるんだと思う。
大学生は「学生」と「大人」の狭間にいるから集団でありつつ、自由でもある。自分がどんな人を好きになる傾向にあるか、どんな人と人間関係を築きたいのかしっかり自己分析して自覚をもつ歳でもあると思う。どんな人と付き合うか自由だから、合わない人とは無理して付き合う必要性はない。
ただ、合う合わないって早急に決めつけるのはすごく勿体無いことだとすっごく思った。
正直、今私の周りにいて、私が大事にしたいと思える友達は最初なんとなく、合わないのかなと思ってた。
今まで遊んできた子とはタイプも趣味趣向も違うから、自分には合わないんじゃないかと思ってた。
でも違った。
時間をかけてその人が見えてくる。
もちろん、なんとなく長い時間一緒にいてみたけど特別好きって感情にならないこともある。
もしかしたらもっと長くいたら好きになる可能性だってある。
仲良くなるために長く一緒にいようっていう気持ちよりは、なんとなく、一緒にいたら仲良くなってたケースの方が断然信頼できる。
だから人間関係はタイミングとか運も関係してくると思う。
あの日あの時の行動が違えばもっと合う友達がいたかも知れないし。
でもそんなの知らない。
今知ってるのは、今ある世界だけ。
私はそれに満足してるし、今のこの世界がいいと思える。
今私が大事にしたいと思う友達は、なんで私のことを好きになってくれたのか分からないけど、もしかしたら私の知らない私の良さを知ってくれてるのかも知れない。
自惚れに近いと思うけど、友達には私の知らない私のどこかが良く映ってるのかも知れない。
それはすごくすごく嬉しいことで、ありがたいこと。
だから私はその人たちを大事にしたいと思えるんだ。
私は、何かに詰まったとき、
「私だけがいない世界」を想像してみる。
私だけがいない世界は案外うまく回ってるようで、それにホッとして、悲しくなる。
1人の人間ができることってそんなに個人差はないので、どこにおいても代役がいる。
私が出勤しなかったら?誰かが出勤する。
私が学校を休んだら?あの子は誰かと一緒にいる。
人がたくさんいて、代役が多数存在する中で唯一変わりが効かないのは親しい間の関係値かな。
例えば家族は私が私でいることを望んでる。
娘が2人いても姉は私の代わりになれない。
そして逆もそうだ。姉の代わりに私はなれない。
私じゃなきゃだめだとか他の誰でもない私がいいと思ってくれる人は信じていいと思う。
メンヘラみたい!!!
いっか!どうせ匿名だから!hahaha
でもみんなそうでしょ!?それを言葉にしないだけで心の底ではそう思ってるはず。
自分を自分として見てくれる人が欲しいって。
自分のこと好きでいてくれる人は大事にするべきだと思う。そして、人のこと好きでいられるその自分の心はもっと大事にするべきだと思う。
幸せじゃないときって人のこと思いやれないから。
なんかダラダラ書いてしまったけど、
要するにこの人が好き!って言える自分が私は好きかな。人のこと好きになれる感情が1番大事だと思う。
好きになるには時間が必要で、人間関係すぐ見切りをつけてしまうのは勿体無いな。
なんとなく一緒にいる、特別な感情を相手に対してまだ抱いてないその段階のとき、もっと一緒にいたら好きになれてた人がどれくらいいるんだろう。
でもたくさんいたとしても、もう遅い。
今の世界を大切にするべきだし、私はこれからを生きるから。
〜深夜、雨が屋根に打ちつけるバックグラウンドを聴きながら〜
おやすみ!!