「アントニオ猪木をさがして」。不世出の破天荒一代記。本編で語られなかったあの件も。
京王新宿店にて開催中。「2024 超・燃える闘魂 アントニオ猪木展」に行ってきた。開店の朝10時早々から多数の来場者たちが、貴重な展示物を眺めて写真を撮っていた。サービスも良くグッズを購入した人はベルトのレプリカを持って写真撮影ができ、皆で「1,2,3,ダァー!!」の掛け声をしてと賑やかなイベントになっていた。26日水曜日まで開催。
改めてアントニオ猪木という人のカリスマと愛されぶりを実感。一度は生の本人をこの目で見たかったという思いで帰宅後に見た「アントニオ猪木をさがして」。氏のルーツ、ブラジル農家から始まり、新日本プロレス旗揚げから現役引退までの選手としての栄光が主に語られる。テレビ朝日「ワールドプロレスリング」の貴重なアーカイブから当時の熱狂を体験できる作品。
口コミで突っ込まれていた芸能人の出演と挟み込まれるドラマパート。
正直、それやるなら他の取材もできただろとも思わなくもないが、関わった出演者はいずれもプロレス有識者である事は確か。そして猪木問答の誓いを守った棚橋弘至が夢を語る後輩の前で見せる表情が、様々な思いの混じった味わい深い顔だった。
一方でここでは触れていない内容も多い。
例えば元夫人の倍賞美津子。新日本立ち上げに辺り、多額の資金援助をしたとされる団体の母と呼べる方で、敵地パキスタンでペールワンの腕を折った猪木に無数の銃口が向けられ、付き人の藤原喜明が「生きて帰れないと思った」と振り返る程の危機的状況で「私は平気だからアントンを頼むわ」と言ったという女傑な逸話が。昭和芸能史を生きた人の修羅場は凄まじい。倍賞千恵子は義弟の猪木をどう見ていたのだろう。
小川直也vs橋本真也の「1.4事変」についても一切触れられず。現役引退後、新日本の社長として強権を発動していた猪木は弟子の小川に何を指示したのか。最近YouTubeを始めた小川だが、結局具体的な言及はせず。今作でも、この件はおろか小川と橋本の名前すら出ていない。
「いつ何時誰の挑戦でも受ける」の精神でK-1・PRIDEにも選手を送り込んだ。本作では「総合格闘技のプロデュースを手掛けた」とだけ触れていたが、K-1で中西学が負け、中邑真輔vsアレクセイ・イグナショフは中邑が勝ったが判定で揉めて、永田裕志は大晦日前日に(当時の人類最強、60億分の1と呼ばれた)エメリヤーエンコ・ヒョードルと戦わされた。外敵のボブ・サップはIWGP王座を20日足らずで返上と相次ぐブランド失墜と迷走。そして黒歴史、アルティメット・ロワイヤル。。
新日本を倒産寸前に追い込み、団体を去り立ち上げたIGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)も芽が出ず。相次ぐ迷走に巻き込んだ人数も相当数いただろう。確かIGFのパキスタン大会で宿泊先のホテルがチェックアウトした翌日に爆破され、1日遅かったら生きて帰れなかったという話も聞いた。この話だけ切り取っても映画1本作れると思う。
ただ、それ含めて語る要素が非常に多く、それぞれのアントニオ猪木が皆の中に生き続けている。こんな破天荒な生き方が出来る人は今の世に現れるのか。多分、現れないのだろうなと思った。