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「#こんな社会だったらいいな」審査員特別賞を受賞しました


驚き、嬉しみ、感謝


note×日本財団ソーシャルイノベーションフォーラムの、
「#こんな社会だったらいいな」というコンテストに投稿していた作品が、審査員特別賞を受賞しました。

受賞の知らせのメールを頂いたときは、
「ん?」という感じで、
嬉しいというより実感が湧かず、徐々に驚きました。

3000件を越える投稿の中から選ばれたとのことで、
知らないうちに審査員の方々に読まれていたということがなんだか不思議な感じです。

正直に言いますと、
その文章はコンテスト向けに書いたものではなく、
何年か前に書いた文章に手を加えて投稿したものでした。
でも、だからこそ入賞を意識しないで普段通り書いたものが選ばれたということが、後々からいっそう嬉しく感じられました。


自分の書いた文章が賞を受けるという体験自体、初めてのことでした。
書くことへの勇気を得たような気がします。

作品を読んでくださった方、
ピースオブケイクのご担当者様方、
日本財団ソーシャルイノベーションフォーラムの事務局の方々、
審査員の方々に感謝致します。

見つけてくださったことが有難いです。

日頃より私のnoteを読んで下さっている方々にも感謝です。
反応がなければnoteを続けることは難しかったと思います。


分からないけど、書くのだ


作品のキーワードは、「事情」「孤独」「分かち合う」といったことでした。
もう一度自分で読み直してみたのですが、
それほど長くなく、割と抽象的な文章です。
私は一体あの時、“どんな社会”だったらいいなと思って、これを投稿したのだろう。


少しだけ私自身の話をします。

この10年を振り返れば、私には“分からないこと”が多すぎました。

一番分からなかったのは、自分のこころでした。

外見と違ってこころは見えない。
私は昔からその前提に立ちすぎて、そして拘りすぎて、
自分の内面に対しても他者の内面に対しても穿った見方をしてしまっていました。

“結局、自分の事情や本音なんて誰にもわかってもらえないんだ。自分にさえ。”

そういった孤独感があった時期が長いです。
いや、今でも、強い孤独感を感じることはたまにあります。



結局私は文章で何を伝えようとしているのかというと、
実は伝えたいことはいつも、そんなにはっきりしていません。

私は世の中の正解を知らない。

でも私が考えていることを言葉にして、
問いを投げかけることはできるかもしれない。
価値観の押しつけにならないように留意しながら、


「私には世界はこう見えていますよ。
あなたは?」


時にそんな気持ちで文章を書いています。
まぁたまにふざけた記事も書きますけど。
それもそれで表現なのです。


書くことは楽しいことか、苦しいことか、
一概にどちらとは言えません。

ただ、私を孤独から救ってくれたのも“書くこと”でした。

今でこそ、noteで皆様に見られるということを意識した文章を書くようになっていますが、
スタートは自分にしか見えない形での文章でした。

最近、noteで色んな文章を読ませてもらっていて、
洗練された文章は美しい、と感じることがあります。

でも、どんな表現の前にも、
言葉になる前の“生の心”があるはずです。

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私の宝物の一つは、この1冊の白いノート(MOLESKINE)です。

学部時代、卒業研究のためのメモ帳として使っていたものですが、
研究のために色々苦悩しながら考えていたことが生々しく正直に書かれています。
このノートの中では、洗練とは程遠い、調理前の言葉たちが踊っています。

これはもう、誰にも見せられないし、
自分にも理解できないようなグチャグチャ具合です。(笑)

でもそのグチャグチャは、こころの様相に似ていました。

紙とペンさえあれば、
私のこころは「分からない」ものから「言葉」に変身してくれました。
うん、とりあえずは。

たぶん他の人には分からないかもしれんけど、
とりあえず俺には分かったよ、と、書いたあとで少しだけ楽になりました。

「こころなんて見えないんだ」から、
「それでも表現してあげないと」へと、
自分のこころへの思いやりを持つようになりました。


私は一体あの時、“どんな社会”だったらいいなと思って、
あの文章を投稿したのだろう。

きっと皆には皆の心の表現方法があって。
私はそれが文章だっただけで。
喋ったり絵を描いたり歌を歌ったり映画を撮ったりダンスを踊ったり笑いを創ったり、ほんと色々。
ときには、なにもしなかったり。
それから、私は得意ではないけれど、
人と人をつなぐということができる人もいる。


全部はわかりあえない。
何度でも言うけれどこころは見えないんだから。
でもだからこそ表現するんだ。
切り取りでしかなくとも、私は書く。
最初はぐちゃぐちゃなままの言葉でも。
洗練された美しい文章も。
情緒を知性が上回って鼻につく日があっても。

私はグチャグチャな自分のこころを、これからも表現してあげたい。
わかりあえないこころを、他者とわかちあえるものにするためにも。

孤独と孤独感は違う。
孤独感を作り出しているのは、こころや社会の方なのかもしれない。
こころや社会に殺されないでほしい。

もしもあなたに大変な事情があったとして。
あなたが期待する程、それを相手に分かってもらえる保証はない。

でも私には世界はこう見えているんだって、言っていいと思う。
言っていい場所が、あっていいと私は思う。

ひとりひとりが、勇気を持ってこころを表現できる、
そんな社会だったら、いいな。




さいごに
コンテストは終了していますが、
他の受賞作、受賞作以外にも素敵な作品、考えさせられる作品がたくさんあります。#こんな社会だったらいいなのタグで、ひとりひとりの表現は残り続けるので、是非ほかの作品も読んでみてください。
私も読めてないものがたくさんあるので少しずつ見ていきたいなと思います。

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梟
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