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教師〜イメージと現実のギャップ〜
「はたらいて笑顔になれた瞬間」というお題を見つけました。
私は高校で教員として働いているのですが、
笑顔になれた瞬間・・・
結構あります。
もちろん辛かったり、ため息がでたりするようなこともありますが、
わりと笑顔で過ごせていると思います。
「教師」という仕事ですが、私も「教師」になる前はいろんなイメージを持っていました。
◯月給に見合わない激務?
よく「やりがいの搾取」という言葉で揶揄されます。
確かに、ただ授業をするだけでは教師は務まりません。
その授業のために教材研究、資料作り、採点、データ処理、面談、生徒指導、保護者対応、地域連携、部活動・・・・
挙げればキリがありませんし、その多くは手当らしい手当もでません。
この「やりがいの搾取」という言葉については、
教師になってみてからも『確かに』と思ってしまいます(笑)
◯手のかかる生徒は、熱意を持ってぶつかれば心開く?
教師もののドラマは多くあります。
『ごくせん』『GTO』『スクールウォーズ』などなど
その多くは、手のかかる生徒vs熱血教師の構図です。
しかし現実は、そう上手くはいきません。
警察のお世話になったり、家庭の状態が悪すぎて介入できなかったり、
ぶつかろうとしたらフェードアウトされることもザラです。
もちろん私の力不足も多分にありますが、ドラマのようにはいかないんです。
このことは、イメージ ≠ 現実 のいい例なんじゃないかなと。
◎それでも「笑顔になれた瞬間」は多くある
そんな「教師」という仕事ですが、それでもやはり魅力的です。
その中でも特に卒業式は格別なものがあります。
「結局、卒業式かよ」
はい、私もそう思います。ベタですよね。
世間のイメージとしても、3年の担任として卒業生を出すというのは、教師の代名詞的なシチュエーションとしてありますよね。
ただ、その本当の魅力は・・・なってみないとわかりませんでした。
実は先日、3年生担任として卒業生を出しました。
このクラスですが、まぁ手がかかりました。
その中でも一番堪えたのは、女子の揉め事です。
行事を機にクラスの女子どうしで揉めてしまい、結果として4対1の構図ができてしまいました。
その「1」になった生徒ですが、なかなか私の話に聞く耳を持ってくれませんでした。
私が「4」の方の味方をしたと思っていたらしく、私のことを敵扱い。
この時は、気持ちが伝わらないもどかしさと、何もできない自分への苛立ちが募るばかり・・・
ただ、毎日毎日、その子に声をかけ続けました。
「おはよう」「最近なんか楽しいことあった?」「勉強はどう?」「進学先は決めた?」・・・
こちらの目も見ず、「はい」と頷くだけ。本当に辛かった。
しかし徐々に、一言、二言、、と会話が続くようになりました。
また、ケンカ相手の生徒との仲直りは叶いませんでしたが
他のグループに声をかけ、クラス内でも居場所を作ることができました。
そして卒業式。
その生徒とは、最後まで笑顔で話すことなんてできませんでした。
しかし、放課後。
職員室の私の机上に、一通の手紙が置いてありました。
中には、その生徒からの手紙。
短く、淡白でしたが、声をかけ続けたことへの感謝が綴ってありました。
あぁ、無駄じゃなかったな。また頑張ろうかな。
そう思わせてくれたエピソードでした。
そして来年度は新1年生を見ることになりました。
自分も、そして生徒たちも笑顔で過ごせる1年にしたいと思います!