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カンボジア式ルーレット

 それは二日前、先週の土曜日の事だった。
 
 夜勤の仕事が明け、私はただただ地下鉄の中を歩いていた。今週も仕事は終わった。取り敢えず。さっさと家に帰ってあんな所で起こった全てを忘れたい…何もかも自分が見ていた悪い夢だったのだ。そう考えながら鬱屈した気持ちでアンドロイドを開いたらnoteから通知が届いていた。何かまた公式からバッジが謹呈されたのだろう。noteは様々な理由をつけて俺にバッジを贈ってくれる。

 おっさんが数多く溢れているnoteの記事に20回/一週間のペースでハートマークを付けたから、それが、なんなのか。その様な真っ当な疑問すらここでは歯牙にも掛けられない。ただ普通に"noteというSNSを活性化させる行為"として評価される。国民の素性とか一切どうでもよく、ただ単にこの世に存在する文字量を少しでも増やしたいというモチベーションのみで動かされている、バロウズが言う所の言語ウイルスに芯から侵されきっているイカれた独立国家、それがnoteだ。土地も何も無い「無」から生まれた国家が、言語という「無」に執着するのは理に適っている。戦後の日本に適応された新自由主義に見る影も無くボコボコにされた、何かを書く以外に大したスキルを持っていない自分にはうってつけの避難場所である。
 勿論、この「一週間で20回スキしたから」というしょうもない理由で運営から賜るバッジも「こんなものをもらったとて、それがなんになるのか」という感想以外を持ち様が無い、しょうもない贈り物ではあるが、良く考えればこれらも立派な仮想通貨である。いつの日か数千万の金塊へと変わるのかもしれない。そういうバッジをまたnoteから貰ったのだと思った。が、違った。前回のnoteで、ほぼ誰からも何のリアクションも無いまま記事を更新し続ける虚しさをボヤいたのだが、その数日後に初めて記事にコメントが付いていたのだ。公式が通知していたのはそれだった。

 一番下まで各記事を読むとコメントが見れます。好意的な事を書いて頂いて、本当にありがたいことです…励みになります……このコメントをくれた方もnoteに文章を書いていて、それが本当に面白いので皆さんも是非読んでみて下さい。

 この記事の、「そこら辺の落ち葉を週刊少年ジャンプの切れ端で巻いてタバコの代用品として吸おうとした」という描写を読んで思い出したんですが、昔自分はバンドをやってまして。最初ボーカルを担当してたんだけど、別に曲が作れる訳でも無く楽器が弾ける訳でも無く歌が上手い訳でも無いって感じで。で、自分がバンドに貢献できる事って何だろうかと考えた時に、「ライブ中にエロ本を食べれば盛り上がるのではないか」と思い付いて。早速エロ本を見繕ってきて、練習として自分の部屋で適当にページを破ってそのまま食ったんですね。横浜アリーナとかで、幾千もの観客からの嬌声と共にスポットライトを浴びている自分を想像しながら。俺こそが日本のミック・ジャガーだと。頭の中では大音量でサティスファクションが流れてて。「俺は全然満足できねえぜ!」と。そしたらですよ。飲み込んだ紙片が喉に完全に詰まって呼吸が出来なくなって。「死ぬっ!!」 と思って。「エロ本食って死ぬっ!!」と。大パニックですわ。気が遠くなりながらもう本能で体が反応してて、水を無理矢理飲みまくってエロ本を胃に流し込んだね。近隣から苦情が来そうなレベルで咳き込みながら泣きながら苦痛でもんどり打って。ストーンズの「俺は全然満足できねえ!」で始まった筈なのに、いつの間にかナパーム・デスの"You suffer,but why"(君は苦しんでいる、でもどうして?)になってて。

 またさあ、誤ってエロ本を食べてしまった人だったら全員分かると思うんだけど、「自分の排泄物から裸の女性の写真が出てくるかもしれない」って可能性、メチャクチャ怖いんですよ。本当に。俺はそれから二週間位便器の中を見れなかったね。恐怖で。
 だから、紙は食べてはいけない。危険です。やめとけ。

 それでですね、そのコメントに返信を送ろうと思ったんですけど、幾分そんな事するのが初めてだから勝手が分からず、勘で「返信」っぽい所を押したら、なんかこういう表示が出まして。

 「報告する/削除」て。何で選択肢がその2つだけなんだよ。ターミネーターかお前は。対象に殺意を抱きすぎだろ。普通にコミュニケーションしたいだけなんだって、とか思いながらどうにか返信し、いやあ、嬉しいもんですねと思いつつ、「今日は休みだ〜仕事も〜無い〜」とSMAPの曲を口ずさみながら地下鉄を歩いている時に。
 その時にそれは起こったのだった。
 
 "それ"とは何かは書けない。そういう事が起こった、ことがその瞬間に判明した。いや、別に二股がバレたとかそういう不貞に関する事では無いです。そもそも一人とも付き合って無いし。ただ、実生活においての結構なトラブル、そいつが急に鎌首を擡げて私に襲い掛かったのだ。見慣れた筈の景色は一瞬にして色褪せて崩落し、私は自我を失った。一体どうすれば…何をどうすればいい……助けて……自分がここまで追い詰められた気持ちでいるのに、目の前の人達が笑顔でいる事が信じられない……これが東京………狂った街………

Velocity Girl - Crazy Town (Official Video)

 自分は、追い詰められると物事の区別がどんどんつかなくなってくる。一度歩道に出て信号の色を確認する。「緑色の信号」と「赤色の信号」の区別は、まだつく。しかし、「区別がつくから何なのか」がもう既に曖昧になってきている。この状態がもう一段階進んだら、もう、アウトだ。本当にヤバい。生憎雨まで降り始めやがった。映画や漫画の演出で「失意のドン底にいる主人公の周りで雨が降り出し、それは主人公の心象風景(涙)を隠喩している」というものがあるが、実際にそんな状態のパニック中年が雨による低気圧に見舞われたなら、そりゃあんた、鬱&鬱のダブルパンチで地獄の底までまっしぐら。ストレイト・トゥ・ヘルっすよ。今直ぐにでも谷岡ヤスジの漫画の走り方で大型トラックに飛び込んで全てを終わらせたい…いや、だめだ……
 私は呆然としながらも、この事態をなんとか解決しようと、然るべき施設へと赴く為に電車に乗り込んだ。電車に備え付けられた液晶テレビからは大喜利の映像が流れている。「久し振りに着たジャケットのポケットから出てきたら少し嬉しいものは?」何だろうか…現実逃避で普通に考えてしまう。"芸能人から貰った海藻"…いや、どうでもいい…思考が混濁している…マズい………
 「どうして人を殺してはいけないんですか?」という質問がある。その問いに、様々な人物が様々な知見を用いて、多くの人が納得できる様な答えを出している。しかし、それが何なのだろうと自分は電車内で考えていた。少なくとも今俺は俺自身を殺したくてたまらない。先日YouTubeで「コモドオオトカゲの捕食がグロ過ぎる……」みたいなタイトルの動画を見た。件の大トカゲが獲物に近づいてそのまま腹を掻っ捌き、まだ生きたままの動物の内臓をそのまま食うという最悪の映像だ。人間の生活も「他の生き物を食べる」というのが基本コンセプトにある以上、そのコモドオオトカゲの蛮行と地続きで繋がっている。そんな異常なシチュエーション下において、誰もが納得できるような答えを出して、それで万感の拍手を貰って、それが何なのか?もうそういう得点制のゲームじゃ無いんだよ。生きたまま内臓貪り食う狂ったトカゲと地続きの生活において言える事って「ウオオ〜!死にたくねえ〜!!」「ウワ〜!!殺したくねえんだよォ〜!!!」くらいのジタバタした言い分くらいしか無えよ。「どうして人を殺してはいけないのか?」という質問に対して「知るかァ〜!俺は殺したくも死にたくもねぇ〜!!!」くらいの語彙しか出てこない、他に言う事がなにも思いつかないのが真っ当な大人だとすら思う。生活というのは出来を競うゲームではないんだ……理屈を超えてでも生きないといけない単なる奮闘なんだ…生きるしかない………そういう事を電車内でぼんやり考えた。トラブルの内容を一切説明して無い為に全然ピンとこない例えだと思うが、要は、一発だけ弾を込めた弾倉を回転させてから自分のこめかみに当てて引き金を引く、つまりロシアンルーレットが始まったのだ。しかも、それは問題が解決するまでずっと続く。悪夢。

 ジェラール・ド・ヴィリエが1974年に執筆した小説「カンボジア式ルーレット」では、CIAの為に世界各国を股にかけるスパイ、マルコ・リンゲによるカンボジアでの特殊任務(その地にのさばる将軍の追放)が執拗な残虐さをもって描かれている。そこではその任務の危険性はカンボジア式のロシアンルーレットに擬えられ、この様に表記される。

「(中略)一度きみが、彼に向かって指一本でもあげるということは、弾が一発だけはいったリヴォルヴァーの弾倉を回転させて、顳顬(こめかみ)に銃口をあてて一度、引金を引くようなものだ。いつか必ず頭蓋骨を吹き飛ばすことになる」

 カンボジア式ルーレット……カンボジア式ルーレット…いつか必ず頭蓋骨を吹き飛ばすことになる………いつか必ず………なんで休みの日に俺はこんな目に……?定まらない思考と共に、私の頭の中では往年のジェロ・ビアフラが大仰に喚き始めていた。

Dead Kennedys - Holiday In Cambodia(2022 Mix)

 その後電車の中で感極まって静かに泣きながら、結局はどうでもいいのだ、といういつもの結論に達した。どうでもええわこの位のトラブルなんて。今更こんくらいの事で俺が鬱になって自殺するとでも思ったら大間違いなんだよ。もう俺は生きていくしかないんじゃ!!理屈ちゃうねん!!!邪魔すんなボケが!!!!電車から降りると曇り空だった外は晴れており、なぜか清々しい気分で私は空を見上げてしまったのだった。その間にも弾倉は無慈悲に回転を続けていたのだが。

一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
 
 そして次の日の午後、どうにか…そのトラブルは解決した。
 家に帰り、「どうにかなったなあ…」と思いながらあぶらだこの「生きた午後」でも聴こうと思ったのだが、CDが見つからなかった為に佐々木希の「噛むとフニャン」を聴いた。生の喜びを実感しつつ。とにかく、どうにかなった。無事だった事への気持ちが昂りすぎて放置していたエアコンのストリーマの掃除までしちゃいました。

 本当にインターネットがなかったらこんなもんの掃除なんて絶対に無理だったね。「高電圧注意」と明記されていて、さらに中に金属製の部品すら鎮座している謎の物体をぬるま湯につけるとかガイダンス無しでは恐ろしすぎるよ。そんな勇気無いって。よう土曜日にあそこまで自暴自棄だった人間がせこせこと越冬の準備とか出来るもんですな、あんたの絶望その程度でっか、という意見もあろうが、その程度なんすよ。俺の絶望なんて。乗り越えればどうにかなるんです。多分。そして、どうにか生きていくしか無いのだ。

 で、自分はnoteで洋楽の和訳をやっていて、今週だけは絶対に無理だと思ったんですよ。こんな精神状態でそんな悠長な事できるかよって。でもまあ、気持ちも落ち着いたし、やりますわ。さっきも貼ったベロシティ・ガールってバンドの「ポップ・ルーザー」って曲です。「ポップな負け犬」って事ですね。

Velocity Girl/Pop Loser

昨夜 私はからっぽの気持ちだった
あなたにキスしたかったけど
あなたは行ってしまった
私が甘党だから こんな目に遭うんだろうな
一日中を屋根の上で過ごしたい
昨夜は車の中で 曲を作ったの
もう少しで終わりそうな所で朝になったけど

あなたが全て決めていい
私はいつでも あなたが好きなだけ 
ラ・ラ・ラ・ラ

ずっと同じ事を考えていたのかもしれない
私が買った全てのレコードを
あなたに見せてあげたい
イライラして前を見据えながら
バス停でバスを待っている時に急に気付いた
あなたも同じバスに乗っていた事に
あの曲なら作り終わったの
昨日乗っていた地下鉄の中で
それで 乗り過してしまったんだけど
でも いい具合に出来上がったの

あなたが全て決めていい
私はいつでも あなたが好きなだけ
ラ・ラ・ラ・ラ

時間が欲しいの
これ以上バカな事をしないようにね
時間をちょうだい
でも あなたが待つ必要はないわ

あなたが全て決めていい
私はいつでも あなたが好きなだけ
ラ・ラ・ラ・ラ

一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
 
 という訳で、なんとか生きて行きましょうという内容の記事でした。最後に、土曜の午後、気が狂う寸前の精神状態で夢遊病者の様に街をほっつき歩きながら、頭の中でずっと鳴り続けていた曲を貼ってこの文章を終えたいと思います。

Frank Zappa/Trouble Every Day

 という事でね、皆さんも、窮状に陥っている方もいるかも知れませんが、なんとか生きて行きましょう!俺もなんとか生きます。「生きてるって言ってみろ」って曲があるけど、大抵の中年はもうそんな事を言う元気すら無いと思うんですよ。でも、代わりに周りの人達に向かって「死んだらイヤだ〜!!」とかダダをこねるくらいなら、まだできると思うんですよね。みんなそうやって、他人からのワガママを真に受けた結果として生きていけばいいんじゃないですかね。いや、「俺は生きているのだ」としっかと主張できる人がいるなら、勿論それはそれで素晴らしいと本当に思うんですが。でも、南沙織の「17歳」の歌詞、「私は今〜 生きている〜」ってあれ、「17歳」の曲だからね。若者の曲だから。青春を通り越した人達は助け合って生きるのが一番楽なんじゃないかと思います。それでは、また来週〜!

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つやつやと実っている稲穂
幼少の頃、川で遊んでいたらカッパを見た事があります 。緑色の巨体が音も無く草藪を掻き分けて現れた時の衝撃を、私は未だに忘れる事ができません。そいつは甲高く鳴き、小さな眼で私を睨み付けてから近付いてきました。頂いたチップは大切に使わせて頂きます

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