「あなたは米津玄師でもあり米津玄師ではないのです」と言われた話。
……うぅん…?
とハテナを浮かべつつ、とにかくメモを取った。
" ワタシハヨネヅゲンシデモアリ、
ヨネヅゲンシデハナイ… "
わかるようでちょっとわからない。
いやでも何となくわかる気もする…
と思いながら。
自分とはどんな人間で、何者かを知る為に
他者と比較することで姿形を捉えようとすること
理解しようと努めること
それらを二元性( 二元論 )というらしい
陰と陽、善と悪
光を見るために影を探す
愛を知るために孤独を感じる
そうやって対になって捉えるのではなくて
世界はもっと混沌としているということ
これがタイトルの一言にも繋がってくるよう。
「全てを含んでいて、同時に何者でもない 」
という捉え方
「わたしはあなたでもあり、あなたでもない」
その感覚を掴みたくて、身近な場所で
身近な人に置き換えていった
これがまたとても面白い
私はあの人でもありあの人でもないんだなあ
私はこの人でもありこの人でもないのかあ
そうやって世界を眺めていると
不思議なことに
目の前に起きていること、その存在も
やさしい気持ちでゆるせるようになる
余裕がない時であっても、ほんの少し
愛おしいかも、と思い始める
憧れていたあの人にも
家族だと思う人にも
愛したい人にも
たった今会ったばかりの人にも
私が相手に投影しているもの
内の深い場所で
共鳴しているものがあると気づく
その事実が見えるようになる
あなたが抱える影は
私が抱える影でもあり
私にある光は
あなたにある光でもあり
同時に、どちらでもない
…と考えながら思い出した
そうだ、ジャイアンだ。
「お前の物は俺の物。俺の物も俺の物。」
と彼は言う。
なんか近いような気がする
全てが含まれていて、何にも含まれていない
ということが
愛も憎も、光も影も溶け込んだ世界で
自我のない魂がゆらゆらと
何にも縛られず漂っているように感じて
それがただ自由で
とても居心地がよかった
ただ自分を感じて
自分のままに生きる
全てを含んでいて
同時に何者でもないから
そんなようなことを学んだ
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