桃里 (tori)
対象にとって己が良き存在であることが 正であり愛であると考えてきた。 相手にとってポジティブな存在 大切にしたいと思ってもらえる存在 特別な存在 その枠に入れない、入れなかった自分 相手にとって自分はたいした存在ではなかったと感じた時 正しく成れなかった自分を とにかくダメな奴だと否定した。 相手にとって自分がどんな存在で どんな風に思われることを 絶対的な正解とするのではなく どんな信念を持って どんな風に自分や人と向き合い続けているか、 そこにいつも偽りなく誠実
そういえば 間違った人を愛したと思ったことは 一度もなかった それは見栄でも強がりでもなく 今でもだいすきだったな、と思う 素敵な人を好きになったなと、何度も 学んだことも沢山あったし 幸せな時間もあったし 痛かった時もあったけれど それはそれで、大切な一部だから ありがとう、意外には特に何もなかった " 自分を本当の意味で 心から愛していなかったから 間違えた人を愛してしまった " と片をつけるのは そうかもしれないなと思うし そうじゃないかもしれないなと
最近になって、改めて 高校を辞めてからの7年間を 振り返るような時間がありました。 今になってようやく感じるのは 自分との信頼を育てることが 本当に大切だったなと思っています。 わたしがわたしでいいと、 好きなものを選ばせてあげられる勇気と 選んだものを育んでいく心 そして新しいもののために手放していく力。 自分を責め続けた時間も きっと否定しなくて良くなっていく 少しずつ許せるようになっていく自分と一緒に ゆっくり歩いていられたら 同じように悩んでいるだれかに さ
凪を愛した 穏やかさを手にして 風に恋した 気ままな旅をさせて 愛は贈るだけでは続かない 凪が揺らいだ ぼくらに終を与えて 風と泳いだ 忘れられない旅路を 水面に響く足音 どこかで鈴の音が聴こえたよ ただ揺らいでいたい 何もないような世界でただ一つ 宝物を探している あぁときめくように 何もないような世界でただ一人 あなたを探している 憶えていたあなたなら 愛することやめないでしょう 凪に赦され また生き永らえている 風に絆され あぁ未だ息和いでいる 忘れられ
真っ直ぐに満ち足りて輝いた自信を 一つ持ち続けることより 柔らかく穏やかで 信頼に満ちた想いを育てることの方が 心と本質に向き合う丁寧さを必要としていて 豊かな土にさえなれれば その土壌にこそ育つ何かがあって 多くの歌詞や言葉にあるように 探し求めているものはいつもただここにあると 都度気付かされそれを繰り返していく 育つ、学ぶ、繰り返す その喜びと恵みを感じている瞬間によって 与えられた土に触れる力は変わっていくし 触れる手には愛が灯る 育てるという動きは 日と
夜が覆い被さってきて ふと思い出したかのように 孤独を感じる時間があったとして 弱さとか脆さとか不器用さも 投げ出してしまいたいと思うよりも先に いとおしいなと思えるくらいには やさしく在りたくて 何者になろうと 何にもなれなくても 息を吐く喜びも息をする苦しみも知っていたい 庭に種を植えて育つ過程を楽しんで 太陽に恋をして時々の雨に涙を洗って 心でありがとうと思う そんな風に自分のことも 育ててあげられたらいいな
……うぅん…? とハテナを浮かべつつ、とにかくメモを取った。 " ワタシハヨネヅゲンシデモアリ、 ヨネヅゲンシデハナイ… " わかるようでちょっとわからない。 いやでも何となくわかる気もする… と思いながら。 自分とはどんな人間で、何者かを知る為に 他者と比較することで姿形を捉えようとすること 理解しようと努めること それらを二元性( 二元論 )というらしい 陰と陽、善と悪 光を見るために影を探す 愛を知るために孤独を感じる そうやって対になって捉えるのではな
人はみんな憶測でものを話すし それが経験から得たものだとしても 思い込みで人との距離を測ったりする わかってもらいたくて苦しいのは 私が私をわかってあげられていないだけで 許されたいのは私自身に 誰だって間違うし誰だって迷う、怖くもなる 傷つきたくなくて傷つけてしまうこともある 本音を伝え合える関係は それを受け入れた人としか出来ない それでも腹を割って話そうとすることが 相手の為にも、と言えるだろうか 相手の気持ちを知って安心したいから、 という自分の理由を隠して
約15年間、止まっていた記憶と時間の間で 父にも父の人生があって 悩んだこと、苦しかったこと、 それ以上に幸せだったこと、愛しかったこと 沢山あったんだなと思った とても長い間、ずっと会いたかった父は 昔憧れた"かっこいいお父さん"の面影を残したまま 不器用で、優しくて、どこか頼りなさげな かわいいお爺ちゃんみたいになっていた。 目が合えば、子どもたちを愛していると 心から溢れて伝わってくるほど とても優しい目をしていた。 私がまだ小さい頃、 ダメージジーンズ
似合う 似合わない こうなのかもしれない こうあるべき そんな枠から息を出して はみ出して ひとりひとりがもっと自由に もっとのびのびと あらゆる可能性を信頼して そこにワクワクしていられますように できるできないを乗り越えて 女だから男だからを飛び越えて いつでもたった一人の存在として 自分を信頼していられますように だれといても、ひとりのときも どこにいても、なにをしていても あなたは美しいと あなたは素晴らしいと 忘れないでいられますように 最高で最愛
劣等感って もしかしたら凄く 愛おしいものなのかもしれない そこから自分を囲う世界の 美しいところを見つけたり 闇であるように感じる日もあれば 隠さねばならない一面のように 恥ずかしく思う日もあるけれど むしろそれはとても愛しくて いちばん面白い部分で いちばん素直なところなのかもしれない 対比することで生まれる感情は 自分自身の輪郭を掴ませてくれる よき存在で、よき友になれそう .
日々、何かを追いかけたり 何かに追われて生きていると 体と心の限界にも 気づけなくなるもので 突然身体に不調が出て 休めないのに、と思いながら どうにも出来なくて倒れたりとか 何気ない言葉がうっかり刺さってしまって ふいに涙が出てきたりとか 本当はいろんな所から、いろんな方法で メッセージを発してくれているのに 見ないように、気づかないようにしながら 沢山のものを押し込めて息をしている 見えていないだけで 知らないだけで 電車の中でも すれ違っていく人たちも 街
" 今日を愛すること " 。 「この瞬間、今の一瞬一瞬を幸せに生きていたら それは自分を愛していることに繋がる 未来で何が起こっても、 今日があったから、と思えるように。 些細で、小さなことが かけがえのないものになっていくこともある 自分を愛するということは、今を愛することです」 ポロポロと泣きながら話を聴く私に 穏やかな笑顔で、とても優しく抱きしめて そう話してくれた人がいた
好きって何やろう この人のことが好きだ。と 自信を持って言える何かを見つけるには どうしたらいいのだろう 好きな気持ちはあるはずだけど それが友愛なのか親愛なのか 恋なのか愛なのか わからなくなる時がある 例えばタイプだから、とか これをしてくれたから、とか 表面で理解できる何かじゃなくて もっと深い、 この人じゃなきゃダメな理由 それが何かひとつでもあるなら 私が一番知りたい 気持ちに嘘をつくのも嫌だし 誤魔化して生きるのも嫌だから 必死に向き合ってみたり
高校を辞めて少しだけ早く 社会人になってからというもの ずっと、何だかもの凄く 大人になってしまった気持ちで生きていたのだけど。 東京の父は、35歳の誕生日に 「 Still young!! 」と言った。 何年も世界を旅して 沢山の人や心と対話して 多くのものを見つめてきたような 私にはまだまだ遠くて 眩しいと思っているその人が 自分のことをまだ若い、と言ったこと。 そのことになんだかとても驚いて 19か20の頃の私には 目から鱗、という感じだった。 St
自分と同じ温度で、同じ価値観で、 同じ感情で会話をしてくれる人と話す時 気分が良くなって、嬉しい、楽しい、 わかってもらえた、という気持ちになる それは私が好きな波動を そのまま返してくれることで 私がわたしを肯定できるから 人は誰しも 心のどこかに孤独を感じているもので 理解されない、苦しい、悲しい 自分は人と違うのか 自分だけがこうなのか 人とちがうかもしれない、 そんな漠然とした不安と葛藤を抱えている 同じ人間なんていないのだから ちがうからこそみんな