『遅刻してくれて、ありがとうーー 常識が通じない時代の生き方』
担当編集者が語る!注目翻訳書 第2回
『遅刻してくれて、ありがとう(上・下) 常識が通じない時代の生き方』
著:トーマス・フリードマン、訳:伏見 威蕃
日本経済新聞出版社 2018年4月出版
どうしてこんなヘンテコな書名なのか?
私がトーマス・フリードマン氏の本の日本語版を担当するのは、これで4作目となる。さすがに4作も担当すると、これが彼の著作のなかでどういう位置づけなのかが、なんとなくわかる。映画『スター・ウォーズ』シリーズに正史と外伝があるように、フリードマン氏の著作にも正史と外伝があると勝手に思っている。
全米図書賞を受賞した『ベイルートからエルサレムへ』(From Beirut to Jerusalem)、冷戦崩壊後のグローバリゼーションを描いた『レクサスとオリーブの木』(The Lexus and the Olive Tree)、日本を含めて世界中で大ベストセラーとなった『フラット化する世界』(The World Is Flat)といった作品が彼の正史であるとすれば、本作『遅刻してくれて、ありがとう』(Thank you for Being Late)はまさにその系譜だ。
正史と外伝の違いは何か? それは、フリードマン氏が時代の流れを切り取る「新しい言葉」を見つけたかどうかだ。そのため、正史作品はどれも書名が変わっている。「レクサスとオリーブの木」なんて、初見では意味不明だ。だが説明を聞けば「ああ」と腑に落ちるし、忘れない。
というわけで私は、Thank You for Being Lateはそのまま直訳し、『遅刻してくれて、ありがとう』でなければならないと考えた。
激変の時代だから、あなたもスマホを置いて、未来を考えよう
では、どうして「遅刻してくれて、ありがとう」なのだろう。本書の冒頭に、こんなやりとりが紹介されている。
フリードマン氏は、取材相手と朝食を食べながら話をすることが多い。だが、首都ワシントンの交通事情は悪いから、相手が時間通りに到着しないこともしばしば。そんなとき、彼は待ちぼうけを食らったことで「考える時間が見つかった」のに気づく。そして、何日も考えあぐねていたことを、じっくり思考できた。
いまや誰もが「忙しい」を口癖にする時代だ。内実は、スマホをいじったり、ツイートしたり、写真を撮ったり、誰かに何かを共有したりで忙しかったりもする。それを止めて自分の時間を確保し、テクノロジーの発展速度がどんどん加速している現実世界への理解を深めなければならない、と彼は説く。そのためには、誰かが「遅刻」でもしてくれたほうが好都合。だから「遅刻してくれて、ありがとう」なのだ。
2007年の大変化:『フラット化する世界』が見落とした重大事
ここでいったん、時代を2006年に巻き戻したい。その年、私たちは『フラット化する世界』の日本語版を刊行した。いまでもAmazonに掲載されている紹介文には、このような一文がある。
「数十年に一度、あらゆる人たちの考え方を変えてしまう歴史的作品が出現します・・・・・・『フラット化する世界』は21世紀で初めて出現した、そんな作品です」
2006年時点で『フラット化する世界』は「数十年に一度」の作品だった。しかし本作『遅刻してくれて、ありがとう』によれば、その1年後の2007年に世界は大きく変わっていた!
2007年はiPhoneが登場し、GoogleがAndroid開発を公表したスマホ元年であり、スマホはインターネットをさらに身近で重要なものにした。現在のクラウド・サービスの数々は、その基盤を支える企業VMwareがなければ成立しなかった。同社が株式公開したのも2007年だ。この年にはGoogleの研究をもとにしたHadoopが登場し、ビッグデータが手軽に扱えるようにもなった。エンジニアの協働を助けるGitHubの開発も始まった。
2006年末から2007年にかけては、ソーシャルメディアが拡大したタイミングでもある。Facebookが一般公開されて世界規模になり、GoogleがYouTubeを買収して成長を加速させた。Twitterが独立企業としてスピンオフしたのも2007年。サトシ・ナカモトはビットコイン開発に着手し、AmazonはKindleを発売し、Airbnbが考案され、IBMは世界初のコグニティブ・コンピュータWatsonを創りはじめ、DNAシークエンシング(塩基配列解析)のコストが劇的に下がった。
そう、私たちが「数十年に一度」の作品だと思っていた『フラット化する世界』には、このような劇的な変化が、まったく反映されていなかった。「数十年に一度」を凌駕する変化が、たった1年で起きてしまった。
「ムーアの法則」と指数関数的な成長の怖さ
なぜ2007年にこのような変化が折り重なったのだろうか? これは偶然ではなかった、と著者は『機械との競争』を引きながら論じている。この原因は、マイクロチップの性能が2年ごとに倍増するとした「ムーアの法則」が「チェス盤の後半」に入ったからだ、という。
チェス盤のマス目の1マス目にひと粒、2マス目にふた粒、3マス目に4粒、次は8粒、その次は16粒と、マス目ごとに倍々に米粒を置いていくとどういうことが起きるか? 最後の64マス目に到達するときには、2の63乗、つまり922京粒という膨大な数字になる。こういった幾何級数的な成長には、人間の想像力が追いつきにくい。
本書に紹介されているインテルのクルザニッチCEOの話によれば、1971年発表のインテルCPUの第1世代と第6世代とを比較すると、「性能は3500倍、エネルギー効率は9万倍向上し、コストは6万分の1」になっているという。1971年のフォルクスワーゲン・ビートルに同じ進化が起きたとすると、現在のビートルは最高時速48万2800キロ、燃費は1リットル当たり85万キロ、車両価格はたったの4セントとなる。こんなメチャクチャな性能アップを半導体は経験していた!
それが2007年に、ある「点」に達した。チップ性能向上が人間の想像力を超える飛躍的進化の段階(「チェス盤の後半」)に突入し、急激に世界を変えはじめたのだ。それによってAIと機械学習が可能になり、さらなる性能向上をAIが支援するようになった。半導体の性能向上と価格下落はクラウドを可能にし、グローバルなデジタル・フロー(情報、知識、資金、ソフトウェアといったものの流れ)を加速させた。
いま子どもに教えられるのは、「学びつづける姿勢」だけ
本書に登場するGoogleの研究開発機関「X」のアストロ・テラーCEOによれば、「1000年前には、科学とテクノロジーの進歩を示す曲線は、きわめてゆるやかに上昇していて、劇的に変わったと世界の人々が見たり感じたりするまでに、100年かかることもあった」。
だが1900年ごろからこの速度が上がりはじめた。テクノロジーが20~30年で「世界が不安なほど変わった」と感じられるくらい、大きな飛躍を遂げるようになった。そしていまでは、新しいテクノロジーの開発と普及速度がさらに速くなり、5~7年で不安に感じるほど世界が変わる。
仮に平均寿命を80歳だとしよう。1000年前には、生まれてから死ぬまで、劇的に変わる瞬間に1回も立ち会わずに済んだ。1900年ごろの人はおそらく2~3回。現在に生きる私たちは、少なく見積もっても10回以上の激変をくぐり抜ける必要がある。
社会が新しいテクノロジーを理解し、対応する法規制やシステムを作るのに10~15年はかかる。5~7年でテクノロジーが現れては消えていくのに、こんなペースでは対応が間に合うはずがない。教育も同じような問題を抱えている。大学までの16年間の教育を受けている間に、社会は3回変わる。カリキュラムはそれに追いつかない。
変化のペースに合わせつつ、社会で自立して稼ぐ能力を子どもに身につけさせるには、「学びつづけることを教える」しかない。大人も同じだ。誰もが「生涯学習」から逃れられない。100歳人生時代だから、70歳でも「生涯学習」が必要だ。現実は、かくも厳しい。
幾何級数的な発展のパワーは、地球も壊す
さて現在、地球には73億人が住んでいる。そのうちミドルクラス以上の生活を安定的に送っているのは、わずか10億人。そこへ移行しようとしている人が・・・・・・35億。
誰もが発信でき、世界中の情報にアクセスできる世界で、35億は自分たちの手にできないものを10億のミドルクラスから見せつけられている。この35億の「期待感」に社会が応えられなかったら、そこにISISやアルカイダのような過激思想が忍び込む余地が生じる。
一方、35億がミドルクラスになって車とエアコンと冷蔵庫を持ったらどうなるだろう。現在、ブラジルのエアコン普及率はたった7%で、インドはさらに少ない。全員がエアコンを使ったときのCO2排出増は想像を絶する。しかし、暑いのを我慢しろと言う権利は誰にもない。いまできるのは、現在の4.5倍という途方もない人数が私たちと同じ生活を送る前に、持続可能でクリーンなエネルギーに移行することだけだ。
それができなければ、みんなで灼熱の地球に住むしかない。
「壁を造る」よりも、「ハリケーンの目」に入る
こうやって書き連ねていくと、暗澹たる気持ちになってくる。子ども時代から一生懸命に勉強したことも、テクノロジーの進化スピードのせいですぐに陳腐化する。そこそこの生活を送るには、歯を食いしばって最新テクノロジーに追いつき、自動化、ロボット化、デジタル化できない「協力、共感、柔軟性」といった社会的スキルを身につけるしかない。
こうした社会の変化を、フリードマン氏はハリケーンの暴風雨に喩える。それから逃れるために「壁を造れ」という大統領もいるが、それは無駄なあがきだとフリードマン氏は喝破する。それよりも「ハリケーンの目」に入るか、それを創り出せ、と。「目」とは、健全なコミュニティのことである。
彼が育った時代と場所(ミネソタ)は、「ミドルクラスになることが到達点」だったし、一生そこにいることができた。二大政党は極論を主張せず、政治的妥協を重んじた。大企業は利益の5%を教育や芸術に寄付し、株主還元よりも社会的責任を果たした。彼の父親は1973年に亡くなるまで年収2万ドル程度だったが、家を買うことができ、ゴルフ場の会員になれ、周りと同程度の暮らしと自動車が持てて、公立学校で満足のいく教育が受けられた。両親は祖父母よりもよい暮らしをしていたし、次世代はさらによくなるはずだという思い込みを、微塵も疑わなかった。
フリードマン氏はマイノリティのユダヤ人として育ったが、当時のミネソタでは白人社会に溶け込むことができた。ミネソタにはコミュニティ全体に互いを信頼する気持ちがあり、「多元的共存」を受け入れる気概があった。次の一文は、「ハリケーンの目」となりうる健全なコミュニティを創るうえで、避けることのできない態度を提起している。
「真の多元的共存は、フェイスブックの投稿、インスタント・メッセージ、ツイッターの出会いでは築かれない。真の多元的共存の強力な支えとなる価値観は、ダウンロードできない。昔ながらのやり方でアップロードするしかない」
日本は、いま、政治的な分離の時代に生きている。昔はできていた中庸な判断、政治的な妥協がうまく働かず、議論がまったくかみ合わない。そんなときに、コミュニティの力を再度信じて、日本全体を「古き良きミネソタ」にして、社会の激変を共にくぐり抜けるには、どうしたらいいか?
それは左翼と右翼がネットで空中戦を繰り広げるのではなく、「昔ながらのやり方でアップロードするしかない」のだ。その具体的な方法と重要性は、フリードマン氏が12章以降で説明しているので、ぜひお読みいただきたい。「本書においてきわめて魅力的で、読み応えがある」と、訳者の伏見威蕃氏も述べている。
『遅刻してくれて、ありがとう』は、テクノロジーの最先端から、私たちの生き方、そして次世代に何を遺すべきかまで、議論のフレームワークを与えてくれる。そして空疎な議論をしている時間がないことも教えてくれる。
執筆者:金東洋(日本経済新聞出版社 翻訳書編集長)