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お蕎麦屋さんでいただいた大切なもの
静かな店内。お皿が重なる、蛇口から水が出る、「後ろ通りまーす」の優しい声、忙しいようで穏やかにマイペースに働く厨房の音がBGMだ。
背中越しなのに、2メートル程しか離れていない厨房での二人の姿がよく見える。向かいに座る息子と、カウンターに座る一組のお客しかいない。11:30に開店したばかり。
女性が湯飲みに入った温かいお茶を運んできてくれた。懐かしい雰囲気をまとったポットも一緒だ。少し前、息子にお水もあるけどお茶で良いかと確認してくれていた。
久しぶりの息子と一緒の鉄旅。最近は「乗り物を楽しむ」に加え「新しいモンスターをゲットする」という目的があるらしい。
お昼ご飯に、とある駅周辺で蕎麦を食べることになった。足と目を使い、スマホも使い、美味しそうな蕎麦屋にたどり着いた。どうやらご夫婦2人で営んでいるよう。小さなお店だ。
ジュワ〜〜、油だ、油。美味しい音が響き、次に美味しい匂いが漂ってきた。きっと、いや絶対、私たちの天ぷらだ。
何だろう、この心地の良い時間は。
丁寧に運ばれてきた しまった冷たい蕎麦と、揚げたての天ぷらを頬張った。私と息子、それぞれ5回は「美味しいね」と声が出た。
気づけば満席、外で待つ人もいる。ゆっくり余韻を味わいたい気持ちと、早く席を譲りたい気持ちがせめぎ合う。ちょうど良い納得の頃合いで席を立った。
「ごちそうさまでした」と言って3千円を払い、おつりを受け取った。「ありがとうございました」と言われ「ありがとうございました」と言った。
このお店には「料理はまだか」とイライラしたり「現金しか使えないのかよ」などと声を荒げる人はいなかった。
このお店には「偏差値がどうだ」「空間認知能力がどうだ」「コミュニケーションスキルがどうだ」などはどうでも良かった。
生きるとは、本当はとてもシンプルだ。
店を出た。駅へ戻るため、細い路地を息子と2人で歩いた。Googleマップが歩かせなかった道だ。オイ!コラ!ちゃんと歩ける道じゃないか。
蕎麦屋よりも随分と後輩であろう背の高いマンションの隙間を抜け、駅前の小洒落たカフェのロゴが見えてきた。もう蕎麦屋は見えない。
見えないが、美味しい蕎麦と天ぷらと、とても大切なものをいただいた気がしてならない。涙が出そうになるほどに。
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