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絵とエッセイ㉖痛みを感じる制作

【無料公開2025年2月6日(木)~2月13日(木)まで】
*深い孤独感の表現があります。現在の制作に至るまでに必要な部分だったので書きました。ご了承ください(卯月螢)

サンキャッチャーのプリズムに照らされる、その絵を良いと思う。

丸形のキャンバスにアクリル絵の具を重ね塗りして、時にラッカースプレーを吹き付けて、再び色を重ねる。
ペインティングナイフでの着色に違和感を感じたら、手袋をはめてナイフの代わりに指と掌で着色する。
何とも良い、微妙な加減で絵具に皴が出来る。
筆では平ら過ぎて、ナイフでは固すぎて、ちょうどいい柔らかい凹凸ができるのが自分の手だった。
よく動画で、手を使い絵具をキャンバスに広げる動画を見てはいたが、まさか自分が手で着色する日がこようとは・・数年前には思いもつかなかった。
思いもつかない事と言えば〈色で絵を描く〉ことも数年前までは諦めていた事だった。

「自分は色が使えない」

ペンにつける黒いインクで自分の思い描いたイメージを、正確に紙に写し取る事を〈良し〉としていた頃は、網膜に浮かぶ絵のイメージはすべてモノトーンだった。
それが当たり前だと思っていたし、このモノトーンの表現で制作活動を続けたいと思っていた事に嘘は無い。
インクの〈黒〉で〈白〉の画面を埋めるのに言いようのない達成感があった。

自分が今まで伝えられなかった〈気持ち〉や〈言葉〉を綴るように絵で表現する。
線一つ一つが自分の言葉だった。
一枚の紙の中に、小説を書くように思いの丈を描いていく。
此処では誰にも否定はされない〈自分だけの世界〉

目の前の白い紙に自分だけの世界を描き出す。
声にできなかった【自分の気持ち】を描くモノに【語らせる】
それが私のペン画制作だった。
一枚一枚、描き続ける事に〈気持ちを描き上げた〉という達成感を経て、ペンで埋め尽くした後に〈まだ足りない〉と新しい白い紙に描いていく。
伝える事に飢えているようにその制作は止まらない、年数を重ねるごとに線が多くなっていった。

「まだ足りない、ここを埋めたい、埋め尽くしたい」
しかし描き上げても満たされる事は無く身体が疲れで固まっても、眼精疲労で視界がぼやけても、達成感を目指して描き続けた。

〈これが絵を描く事、何かを表現する事なんだ〉と固く信じて疑わない。
しかし、寂しさを覚える事もある。
それは、【色】で描けない事。

「色を使わないの?」
個展の時や展示で必ず問われる事だった。
何度か挑戦したけれど、ペン画のような達成感は得られない。
「もう自分は【色】で描く事は出来ない」
ペン画のモノトーンの世界が、自分が出来る最大限の表現方法であると、言い聞かせ、技術を磨くのに躍起になった。
描写やスクラッチなどペン画の技法を学ぶ為、展示を回り、原画を見たり動画を見たり、吸収することが喜びだった。

「絵を描く時が、唯一自分でいられる時間」
コロナ過での孤立感の中でも、在宅介護の忙しい中でも、思い浮かべば時間を割いて、絵を描く。
絵を描いて言葉を綴る事が唯一、自分を吐き出せる時で、この絵を描く時間があれば何とか生きていけるとまで思っていた。
(絵を描く以外は全て諦める)
コロナ過での在宅介護の中で不安が募り、追い詰められていても描ければ良いと思う事にした。
「満足しなくていい、描いた達成感だけがあればいい」
今思うと刹那的な気持ちで描いていた気がする。
その気持ちがいけないとは言わない。
その執着に似た気持ちが無ければ、その日々を生きていられなかった。

ただ数年後に違和感を覚える出来事があったのだ。

「自分の事を考える時間が出来た時に絵が描けなくなる」
父の介護が終わり、自分の事を考えられる時間がとれたのに、絵がまったく描けなくなってしまったのだ。
【絵を描く事が唯一自分の気持ちを吐き出せることができた】
ならば、描けなくなるという事は何も感じなくなってしまったのか?
描こうと思っても、何も浮かばない。
浮かんでも紙の上に表現しようとすると一瞬でいなくなってしまう。
「描きたい事が薄れていく」
自分が自分で無くなっていくような不安な気持ちに襲われる日々。
絵が描けないと同時に、これから自分はどうやって生きていけばいいのかも分からなくなってしまった。
「再び、絵を描く為に何をすればいいのか?」
「生きていく為に、どんな行動をすればいいのか?」

【絵が描けなくなった自分はこれから何をすればいいのだろう】想像が、
つかない。
描けないのなら制作自体を辞める事になる。
(自分の気持ちを吐露する場所が無くなってしまう)
描かない自分を想像できず、描くこと以外、手にしたい要求も浮かんでは来ない。どんなに思い巡らしても【答え】が出てこない。
「どうすればいい、何をすればいい」
《自分の事が分からない》独りではどうしようもない。
だから、自分の気持ちを見つける為にセッションを受けた。

【これからどう生きていけばいいか】の問いに返ってきたのは【過去を振り返る】問い。
「何をしている時が、楽しかったのか」
「自分が楽しいと思えていた事は?どんなことが楽しかったのか?」
「〈楽しい〉と思った時にどんな感覚を覚えたか?」
問われても〈楽しい〉という単語が理解できなかった。
実感も湧かない。
そんな自分に、驚いて不安が増していく。
辛抱強く対話が繰り返される中でたどり着いたのは〈高校時代の美術部の記憶〉だった。

思い出したくない苦しい記憶。
その頃は今よりも、もっと刹那的で、もっと孤独に浸かっている暗黒時代。
家庭環境が悪くなり、喧嘩ばかりしている両親。
その怒鳴り声が私を責めている気がして、毎日耳を塞いで生きていた。
その時期が過ぎても【自分に対する不安感】は増していく。
「自分は生まれてきてはいけなかったのか?」
まだ社会に出ていない学生時代。
自分の世界は家と学校。
それ以外に何があるか?
どこに行けるか分からない、何も知らない時期だった。
【自分の存在価値が分からない】
不安が募り、精神的に追い詰められた。

人間は追いつめられると【感覚】が麻痺するらしい。
何処にいても不安で心が休まらない。
不安過ぎて息をするのも辛くなった時、プツンと何かが弾けた。
それから何も感じない。
食事の味も分からない、指を切っても痛みさえ感じない。
何も感じない、空虚な日々。

しかし、そんな日々にも救いがあった。
それは【美術部で油絵を描く時間】
誰も気にせず否定されず、心の風景を好きに表現できる場所。
美術部の時間が一日で一番安心できたし、唯一、そこが息を吸える空間だった。
自分の孤独感も家での孤立感も忘れ、ただ、絵を描く。
もっと言うなら、自分が描いた絵と感覚を共有するような一体感を感じるほどだった。
きっと、それが集中するという事なのだろう。
共感するような、陶酔感にも似た心臓の躍動を感じるのに、心の中はとても静かだった。
「嗚呼、生きてる」
思い出す絵は、退廃的な油絵だった。

壊れた聖母子像に、抱えられる兵士。
その頃はちょうどビジュアル系バンドにハマっていたので、その誰かをモデルにしていたと思う。
死んだように横たわる兵士。
腕が片方欠けていて、顔反面が割れた痛々しい聖母の像。
〈壊れた聖母子像に、瀕死の兵士〉
その痛みが苦しみが共有できたように、自身も痛覚を感じながら制作に没頭した。まわりになんと言われても良い、この一体感は私のモノだ。
「独りではない、孤独ではない、ここに自分の場所がある」
孤独感で苦しい日々に、唯一【自分】を表現できたあの時間。

「ああ・・楽しいのか、あれは」
語るうちに、内側からジワリと表に暖かモノが染み出してくるようなそんな感覚を思い出す。
その感覚を思い出した途端に、イメージが色着き始めた。
「〈楽しい〉という感覚は、この感覚なんだ」

絵を描いている事が〈楽しい〉のか?

時間としてはほんの数分間の出来事だったと思う。
心臓の躍動する感覚と共に、数年間なかった〈色彩〉がイメージとして網膜に溢れだした。
「色で絵が・・描けるかもしれない」
感覚が戻ってきたという確信があった。
その時の事は、今でも不思議な現象だったと振り返る。

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