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【読書メモ】『テレビ局削減論』(著:石光勝)
斎藤さんはSNSを駆使して無党派層を取り込むと、自民党や日本維新の会の地方議員らの支援も受けて票を固め、過去最多となる候補者による激戦を制した。
(『読売新聞』2024年11月18日)
昨日(2024年11月17日)に投開票がなされた兵庫県知事選、ゼロ打ちで"さいとう元彦(斎藤元彦)"さんが再選されたようです。興味深いのは、左右問わずのオールドメディア群がこぞって「SNSを駆使し、SNSで評価を高めた」といった論調である事でしょうか。
個人的には、今回は「典型的なオールドメディア群の闇(報道しない自由、偏向報道、風評加害等々)」を暴いたのが、インターネット(SNS)を社会インフラとして活用している「(偏在する)普通の人々」で、ある意味で日本の公教育レベルの高さが顕されたのではないか、なんて風にみています。
かつて10年ほど前にGoogleが予測した『第五の権力(2014年発行)』、久々に読み返してみるかな。
そんなオールドメディアさんご自身も、ここ最近ではインターネット(各種SNS含む)上のコンテンツを一次情報として後追いするケースも増えてきていると思いますが、、その事実を棚に上げて「自分たちが過ちを犯さない絶対者」であるかのごとく振舞ってるツケが回ってきたのではないかなぁ、、自浄能力、大事。
電波オークションの導入やクロスオーナーシップの規制など、早急に「社会インフラ」として実現していかないと「日本におけるオールドメディア群の衰退」には歯止めがかからないよなぁ、なんて考えながら思い出したのが『テレビ局削減論』との一冊、こちらは『第五の権力』よりもさらに前となる2011年の発行となります。
公正・中立なジャーナリズムとしての立場を確立しなければならない
まぁ、この一言にすべてが凝縮されているかな、と。
私自身、昔からそんなにテレビ(地上波)を視る方ではなく、それでも息子が小さい頃は仮面ライダーやポケモン、ドラえもんなどは一緒に視ていましたが、大きくなってから意識的に番組として触れるのは本当にスポーツくらいになっています。
私が学生の頃は自室にテレビを置くのは一つの目標(ステータス)でもありましたが、大学生になった息子はiPadでのYoutube視聴は日常的に行っているようですが、地上波はロクに視ていないと思います(アニメなどはアマプラのようです)。
私自身も映像コンテンツとの枠組みでみると、Youtubeが主軸(各地方競馬のライブが最近はお気に入りです)で、その他はCATVやアマプラなどのサブスクといったところ。地上波でのニュースは偏向報道(ひな壇芸人の品性の無さも)が酷すぎて時間の無駄にしかなりませんし、天気もウェザーニュースで十分です。
これは、SNSを含む各種インターネット系コンテンツで、いわゆる「識者」の発信に直接触れられるのが大きいからより一層相対的に「オールドメディアの価値が低下している」と個人的には。
もちろん、有象無象でもあるので受け手となる自分の「リテラシー」を高めておく必要はより一層求められますが、これはオールドメディアに触れる時も同じ事が求められますし、本質的な部分での接し方は変わらないかなと感じています。
さてこちらの『テレビ局削減論』、そんなテレビ(オールドメディア)の現状に警鐘を鳴らした一冊といったところで、現状の「食ってばかり」「通販ばかり」「どこも同じ」とは、確かに言い得て妙です。
そして問題意識としての「公正・中立なジャーナリズムとしての立場を確立しなければならない」との点も理解できる内容ですが、惜しむらくはどうして"現状が「食ってばかり」「通販ばかり」「どこも同じ」となっているのかに踏み込めていない"点でしょうか。
「権力機構やネット情報に対峙しうるのはテレビのみ」との気宇壮大さは結構ですが、自己分析も含めての実態を把握できておらず(しておらず?)、何ら具体策を提示できていないのですよね、、この書が出された13年前の時点で既に。
いわゆる電波オークションの導入やクロスオーナーシップの規制といった点を、意識して見ないようにしているのか、本当に知らないのかはわかりませんが、、
手に取った当時、既存のオールドメディア(テレビ・ラジオ・新聞)や芸能業界の根っこにある「既得権益」が醸しだしている腐臭に言及できない(自浄能力が無い)と画餅のままで終わり、衰退していくだろうなぁ、なんて風にも感じたのですが、、今回の兵庫知事選はそういった一つの結実ではないでしょうか。
個人的には、面白いコンテンツが配信される環境であれば地上波に限定する必要もなく、YoutubeやCATVの形態で十分と思います。そういった意味では「公衆電話」や「郵便ハガキ」と同様、「地上波テレビ」も社会インフラとしての役目を終えつつあるのかなぁ、なんて感じながら。