『アイカツプラネット!』は、なりたい自分に“出会う”物語。
スターズ!→無印と履修して、劇場版に間に合わせるために『フレンズ』『オンパレード』をスキップして全話観た『アイカツプラネット!』、2クールという話数で観やすく、実写×アニメという新機軸も違和感なく受け入れられました。25話のメイキング風景を観る限りだと、感染対策をしながらの息苦しい撮影現場だったとは思いますが、完成した作品は明るく前向きな主人公と作風も相まって、アイカツ!の“陽”の要素を感じられる、賑やかなシリーズという印象です。以下、簡単な感想を。
本作はシリーズでも新しい試みとして、本編中に実写パートとアニメパート(手描きと3DCG)が入れ替わり、それぞれの世界でのアイドル活動が描かれます。キャラクターもそれぞれ現実世界を生きる本名と仮想空間「アイカツプラネット」で活動するためのアイドルネームがあって、現実ではおなじみアイカツコールをしながらのトレーニング、アイカツプラネットならドレシアとの交流や仮想空間ならではの(=アニメらしい現実離れした)シチュエーションでの特訓が行われ、常にアイドル活動に向き合い切磋琢磨する仲間たちの様子が繰り返し描かれます。
本作が実写作品である、というところから生じているのか、それらのアイドル活動はまるで部活動のそれに近い印象を受けます。もちろん、アイドルである彼女たちはプロとしてお仕事に臨む意識を持ってはいますが、ジャージを着こんでの走り込みや教室でのちょっとしたオリエンテーション、一緒に帰って夢を語り合う……といった場面は学園ドラマでよく見る風景で親しみやすく、普段の学生生活とアイドル活動との距離感が近いように見える今作の作風はシリーズのメインのお客様である女の子たちにとって、より親しみやすくなった好例に感じました。授業を受けて、クラスメイトと談笑して、放課後はアイドル活動に真剣。そのメリハリがあるからこそアイカツプラネット!のアイドルたちは視聴者である女の子たちの“等身大の”憧れを掻き立てる、そんなお姉さんに映ったのではないでしょうか。
また、アイドルとしての容姿と名前があるというのは、近頃のVtuberブームを鑑みれば幼い世代にもすんなり受け入れられる現代らしさの表現かなと思いつつ、私たちの現実の事情と大きく異なるのがいわゆる“中の人”の存在が世間に公表されていること。アバターを着こんで活動するという実態の「ガワ」の部分をトレースしつつ、身バレがスキャンダルにならない世界観にすることで現実世界に蔓延る悪意を作品世界から切り離し、一方で「トップアイドル・ハナの中身が入れ替わっている」ことが前半の物語を引っ張る縦軸になるなど、新機軸ならではの新しさとターゲットの年齢層を考慮した気遣いが同居した設定に落とし込まれています。
わりと当初は誤読していたのが、「なりたい自分へ、ミラーイン!」というメインテーマについて。仮想現実を舞台に現実世界では異なる容姿と名前で活動するという行為には、現実と理想のギャップがあるからこその動機があるのでは、というのが鑑賞前の見立てでした。整った容姿は現実でのコンプレックスの裏返しだったり、あるいは願望や生きづらさから発生した性別という括りからの解放だったり、これまで私が触れてきた作品では仮想現実=現実社会でのままならなさを解消するための仮初めの姿で生きる場所、として描かれたものが多かったのです。ところが、『アイカツプラネット!』はそうしたステレオタイプには染まりませんでした。
例えば、梅小路響子は現実世界では文武両道でお淑やかなお嬢様でありながら、アイカツプラネットではパンクな服装をしたビートとして活躍しています。見るからに正反対な性格とキャラクターが提示されてはいますが、響子にとってビートは「息苦しいお嬢様生活の息抜き」としては設定されていません。普段の大人しい響子も、情熱的なビートも、それぞれが梅小路響子の中にあるものとして違和感なく同居し、まるでそれがスイッチのonとoffのように現実とアイカツプラネットとで切り替わる。ビートもなりたい自分の一つとして描かれつつ、同時に「女子もパンツスタイルで登校できるように校則を変えるよう働きかけた」過去があるらしく、現実を悲観して過ごすのではなく前向きに歩んでいく、作り手から女の子たちへ伝えたいメッセージを大きく背負った存在だったのでは、と思わずにはいられません。
また、なりたい自分にアプローチするのは何もアイカツプラネット内だけに留まらず、18話「オシャレ!」ではアイドルになったばかりのシオリを介して「オシャレは自分のためにするもの」「メイクは元気と自信がくれる」ことを描き、自分らしく生きるための手段の一つとしてオシャレを提案する手際も見事でした。幼い女の子であるほど、メイクは「大人がすること」の代名詞になります。そうした行為への憧れをポジティブに肯定してあげる優しさも、本作が女児アニメであることの使命として作り手の気合を感じさせます。
このように、本作はアイカツプラネットを逃避の対象として描かず、現実世界と地続きのままでアイドルとしての自分を高めること、あるいは夢に向かって努力する場所に特化して描き出しました。当初は明咲の代理としてアイドル活動に飛び込んだ舞桜も仲間との出会いやアイドルそのものの魅力に魅入られ、物語に区切りがつく23話では「みんなと楽しくアイカツしたい」というこれまでの道のりを「私のなりたい自分だから!」と肯定するまでに至りました。なりたい自分とは思い通りの容姿で生きることやその世界だけで輝くアイドルになるのではなく、自分のしたいことやこうありたいと思う姿、すなわち「生き方」に接続する言葉として選ばれたキャッチコピーではないでしょうか。
少し大人な話をすれば、本作も「データカードダス」の販促アニメであることからは逃げられません。ですが、作中のキャラクターがアイカツプラネットに突入する際のミラーイン=鏡に触れるポーズをゲーム筐体でも再現することで没入度を高め、マイキャラに思い思いのドレシアを着せてアイカツする楽しさを少女たちに与えつつ、アイドルとしてを超え一人の人間として“どう在りたいか”にまっすぐなキャラクターたちの背中は、年齢や性別を超えて現実を生きる私たちに前向きな気持ちを届けてくれる、そんな一作に仕上がったように感じました。
本作がアイカツ!なのか否か、それを語る尺度を私は持ち合わせていません。その代わり、本作が描いたポジティブなメッセージを、私は支持したいと思います。やりたいことに一生懸命になれるアイカツプラネット、そこで輝くアイドルたちの煌めきは、少女たちには憧れを、大人たちには元気をくれる光であったように思えます。そんなアイカツプラネットの世界に、今度は大スクリーンで再開できる日はもう間もなく。待ちきれませんね。