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読書感想文『タイタン』
書店で見かけて、読みたいなぁと思っていた書籍が、いつの間にか文庫本になっていた。それくらいの年月このハードカバーを本棚に寝かせていたのかと思うと、なんだか申し訳無さで胸がいっぱいになってしまう。
その一冊は、野﨑まど著、『タイタン』という。
野﨑まど。その名前だけで、自ずと期待値が跳ね上がってしまう。映像作品であれば『正解するカド』『HELLO WORLD』『バビロン』の原作者と聞けば、“最悪”のトラウマがフラッシュバックする方もおられると思う。異方存在とのファーストコンタクト、自殺の善悪など、社会を揺るがしかねない問題提起を題材に、意外性のある設定を用いて普遍的な着地へと落とし込む話運びは、読み手の想像力を心地よく刺激してくれる。
そんな野﨑まどが『タイタン』で我々に投げ込んだフックとは、「うつ病になったAI」という、これまた想像の隙間を突くような出だしである。
【AIと人類を巡る超巨弾エンタメ小説が文庫化】
今日も働く、人類へ
至高のAI『タイタン』により、社会が平和に保たれた未来。
人類は≪仕事≫から解放され、自由を謳歌していた。
しかし、心理学を趣味とする内匠成果【ないしょうせいか】のもとを訪れた、
世界でほんの一握りの≪就労者≫ナレインが彼女に告げる。
「貴方に≪仕事≫を頼みたい」
彼女に託された≪仕事≫は、突如として機能不全に陥った
タイタンのカウンセリングだった――。
アニメ『バビロン』『HELLO WORLD』で日本を震撼させた
鬼才野崎まどが令和に放つ、前代未聞の超巨大エンターテイメント。
作中世界は、AIの発達が人間から「仕事」を奪い去った未来。人々は活動時間のほとんどを趣味に割くことができ、貨幣流通すらも過去のものとなった世界では買い物は「収集」に置き換えられる。仕事、オフィス、給与といった概念が教科書でしか見たことがないとされるのが“普通”で、一握りの就労者が“変わり者”とされる世界。
主人公の内匠成果は趣味として心理学を研究する“普通”の市民であったが、強引な方法で彼女は「仕事」をする羽目になる。人類の生活を支えるAI「タイタン」の一つである「コイオス」に、処理能力の低下が発見された。今は他のタイタンで補っているが、このままではそれも賄いきれず、人類社会そのものの崩壊を招く危険性がある。心理学の専門家として選ばれた成果に課せられた仕事とは、コイオスとの対話にてその原因を探る、「カウンセラー」としての役割だ。
AIに仕事を奪われる!という危機感は耳なじみがある。ところが『タイタン』の世界ではそのフェーズはすでに過去のものとなり、人々はとっくの昔に労働に意義を見出すことを捨て去っている。従来の仕事はAI=タイタンが代わりに行い、起きている時間の全てが余暇時間となった人類は、思い思いの日常を謳歌している。本作はそれを人間性を欠いたディストピアとして描くことはなく、「仕事」をしたことがない人々が連想する負の側面、責任を伴う、嫌いな人間とも付き合わなければならない、精神疾患を発症する恐れがある等々のイメージを提示することで、彼らにとっての過去=読者にとっての現実がむしろディストピアのように感じられる反転が面白い。我々はまだ、AIに仕事を奪われてすらいないのだ。嘆かわしい。
私はこのnoteを通じて『タイタン』の読者を増やしたいので、本作の見どころを大きく二つに分類したい。一つは、「AIとの対話」そのものである。コイオスとの対話を命じられた成果だが、その前段階としてコイオスを対話可能な状態にする必要がある。プログラミングされた機械音声ではなく、コイオスの「人格」とコミュニケーションしなければならないのだ。
そのために、人間の脳を模した造りであるコイオスが「自分」を目に見える形として出力できるようトレーニングを行い、“彼”の意識が人間の形を成すところまでを見守る。対話が可能となった後は、あなたは仕事をするために造られた「タイタン」であり、同時に「コイオス」という個であると認識させる。私とあなた、成果とコイオスという自他境界を確固たるものとさせ、コイオスが抱える不調、すなわち「悩み」を自覚させる。私は以前、大学の授業で心理学を薄くかじった程度の知識しかないが、成果がコイオスに対し「臨床」を実践し、認知行動療法で問題解決に挑む過程は、実に馴染むものであった。とあるチャプターのタイトルが「傾聴」であったところに、嬉しくなってしまったほどに。
かくして、成果はコイオスをAIという無機物ではなく、自ら思考する一人の個人として扱うことで、誰よりも“彼”の芯の部分に触れることができる。人間を対象とした治療法がAIに有効なのか、前例のない試みに対してぶっつけ本番で挑む彼女だが、失敗すれば人類社会の崩壊を招きかねないという、途方もない責任がのしかかってくる。人生初の仕事でミスしたら、何十億人が死ぬ可能性があるのだ。仕事が日常の私でも、ご免こうむりたい。
もう一つは、「【仕事】とは何か」を問う全体のテーマそのものだ。私は決して今の仕事を好きだと胸を張って言えないが、それがなければ生活が出来ないことを知っているから、毎朝同じ時間に起きて、オフィスへ向かうことができる。それに対し『タイタン』の世界では、すでに仕事で報酬を得る必要性すら皆無の世界である。お金のため、という言い訳が通用しないのだ。
そんな世界で“あえて”働くとは、どんな意味を持つのか。何せ、就労者であることが異端であり、自分や家族を蔑ろにしている非道な存在として後ろ指を刺される社会である。そんな世界で働くことは、それだけで真っ当なステータスを放棄する行いである。その前提でなお働くことの意義を模索する成果とコイオスの旅路は、読者であり労働者である我々にたくさんの気づきを与えてくれる。極端な舞台や設定から普遍へと収束する、まさに野﨑まどの真骨頂が今作も冴えわたる。
ところで、先ほど“旅路”というワードを用いたのだけれど、本作は成果とコイオスがとある目的地へ向かいながら様々な「仕事」に触れる、ロードムービーの形をとっている。その旅を実現するにあたり、本作はかなり奇想天外で、とても映像映えするギミックを一つ、中盤に用意している。『タイタン』と題された作品ならこの展開も予想できたはずなのに、私はその場面で面食らってしまった。故に、これ以上の情報を得ることなく、本著を手に取ってほしい。そして、私と同じくらい声を挙げて笑っていただきたいところだ。
本来であれば人に造られ、人に従事するのが役目であるAIが、なぜか人と対等となって「仕事」とは何かと思考する。奇妙な建付けだが、仕事と切っても切り離せない日常を送る我々にとって、この旅の果てに辿り着く答えの意味は大きい。“二人”が対話の果てに獲得した一つの“納得”は、現実を生きる私たちが働くに値する意味に「言葉」を与える、重要なヒントを授けてくれる。仕事のない社会という作中の理想郷が、我々の社会を映す鏡になっているところに、SFの面白さを感じることができる。
「今日も働く、人類へ」というキャッチコピーが秀逸だ。これにより、本作と無関係な成人の数は大きく絞られる。映像化への期待を寄せずにはいられないエンタメ性も有しており、年明け早々に広くオススメしたい一冊である。もしこのnoteをきっかけに本著に触れた方は、「いい仕事をした」という意味でのいいねを、私に贈っていただきたい。
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