関係ない人なんていない。『ラストマイル』
8月22日、会社で「コピー用紙が無くなったので発注してください」と頼まれる。なんで無くなる前に言ってくれないのかな、という小言を飲み込んで、「明日には納品されます」と返した。
8月23日、会社を休んで、映画館で『ラストマイル』を観ながら、ちゃんとコピー用紙は届いたかな、と思う。それが爆発しないといいのだけれど。
もう辛抱たまらず、『ラストマイル』を観た。『アンナチュラル』と『MIU404』がつながるシェアード・ユニバース・ムービーだなんて、こんなにワクワクさせてくれる日本語は中々お目にかかれない。
舞台は、巨大ECショッピングサイトの物流センター。もっともモノが動く「ブラックフライデー」の前日、届けられた荷物が次々と爆発する事件が発生。物流センターのセンター長・舟渡エレナとチームマネージャーの梨本孔は、数え切れないほどの大量の荷物の出荷を捌きながら、事件の謎に迫っていく。
爆弾魔の動機は何なのか。正体は誰なのか。エレナと孔はこのブラックフライデーを乗り切るため、刑事でもないのに犯人の思考や爆発物を仕込んだ方法について考え、答えを導き出さねばならない。しかし、二人は仕事上、物流センターを離れられない。だからこそ、“外側”の世界での様子を『アンナチュラル』と『MIU404』のメンバーが埋めていく。
4機捜のメンバーが足で情報を稼ぎ、UDIラボの法医学者たちが被害者の死体から埋もれてた真相に光を当てる。ただのファンサービスに終始せず、愛すべきあのキャラクターたちが各々の管轄で精一杯働き、事件解決という同じゴールへ向かっていく。思い返せば各作品のキャラクターが邂逅する場面は少ないのに、それでもクロスオーバーとしての満足度は高いのだから、驚きである。ミコトが、中堂さんが、志摩や伊吹たちが確かにあの世界で生きている実感に、涙してしまうのだ。あぁ、帰ってきた。
本作を手掛けるのはもちろん、監督:塚原あゆ子×脚本:野木亜紀子×プロデューサー:新井順子のゴールデントリオ。この御三方が揃った本ユニバースは、こと「社会問題をエンタメに落とし込む」手腕に長けていて、『アンナチュラル』『MIU404』では性差別や貧困、労働問題などに切り込み、それぞれが重たい問題定義を孕みつつ、最後は軽やかに着地する。社会派ドラマとキャラ人気を両立させ、時にはドラマの内容が現実の情勢を取り込んだり、あるいは予言のように響いたりする。その重厚なのに軽やかな作風は、私を含め多くのファンを虜にし続けている。
本作『ラストマイル』も、そのラインを踏襲している。扱うは、流通問題。インターネットで注文した商品が次の日には家に届く、かつては「奇跡」のような出来事がいつしか「当たり前」になってしまった現代において、その当たり前を破壊する者が現れる。生活のライフラインが絶たれ、倉庫は混乱し、現場のドライバーは積んでいる荷物が爆弾かもしれない、という恐怖に苛まれる。やがてそれは、大勢の命を人質に取った凶悪犯罪のように映る。しかし、その背景にあるものを深く深く見通すことで社会のメッキが剥がれていくことこそ、『アンナチュラル』『MIU404』の系譜に連なる作品ならではと言えよう。
※以下、本作のネタバレが含まれる。
少し個人的な話をさせていただくと、新型コロナが最も流行した頃合いに、「現場を維持すること」の難しさを痛感したことがある。未知の感染症を前に完全な予防策などあるわけがなく、一人また一人と病欠者が増え、しかし業務の量は減るわけでもない。そんな状況を騙し騙しにやり過ごしていく内に、「個人」の概念が薄れていく実感があった。仕事を回すために自分の休みを削ったり、あるいは他者にそれを強いたり。組織という大きな枠組みを前に、私や非感染者の社員たちの余暇時間や平穏な休日は犠牲となった。
本作の大手ECショッピングサイト「DAILY FAST」では、ブラックフライデーを乗り越えるために800名ほどの派遣社員を動員し、商品のピッキングに当たらせている様子が描かれた。データと紐づいたパスで管理され、おびただしい数の商品が並ぶ倉庫を動き回る人たち。注文された商品を素早く見つけ、梱包し、物流に乗せる。そのためのシステムも整備され、効率よく仕事が進むようにあらゆるものがラインのように回り続ける。
そんな状況下で、ついに限界を迎えたのが山崎佑だった。彼は何も自殺をしたかったのではなく、自分を犠牲にしてでもあのコンベアを止めて、皆を立ち止まらせたかったのだろう。だが、無情にもコンベアは回り続ける。商品を届ける効率を止める要因は、あの倉庫では取り除かれる運命なのだ。たとえそれが、人間でも。
責任ある仕事を任され、懸命に働いてきたであろう山崎はしかし、壊れてしまった。筧まりかは、恋人が一人で飛び降りるのを、止められなかった。ブラックフライデーという、一度動き出したらもう二度と止められない流れを前に、山崎佑という「個人」は顧みられることなく、それでもコンベアは動きを止めない。現代社会は、こうした非情さによって回り続けている。
このことに胸を痛めつつも、しかし今の社会を生きる我々は、この非情さが支える利便性から抜け出すことなど、もうできない。今日注文したコピー用紙が明日届く世界でないと、仕事が止まってしまうからだ。
その皺寄せは、現場へと流れ着く。商品の配送を担うドライバーは、低賃金という過酷な労働条件を強いられながら、自分たちや荷物を届けた相手に危険が及ぶリスクまで背負わされてしまう。そのことに対する憤りも、荷物をちゃんと届けたいという使命感も、どちらにも感情移入してしまう説得力があり、故に苦しい。
この状況を引き起こしたのは、重大な労働問題に見て見ぬふりをしてきたDAILY FAST社にあるのは間違いない。同時に、山崎佑を追い詰め、無数のドライバーたちを苦しめているのは私たちの「欲望」でもある、という実態も見えてくる。筧まりかの犯行には、我々も少なからず加担しているのだ。今の社会が豊かになっていくことの負荷を誰が背負っているか、その答えの一片が、本作によって提示されていく、あの居心地の悪さ。
現代社会の歪みに囚われた悲しき物語はしかし、最後は希望の欠片を見せてくれる。『MIU404』の言葉に照らし合わせるのなら、筧まりかは「間に合わなかった」人物だ。彼女は恋人を失い、その復讐によって自らの命を断つ結果になってしまう。
一方で、事件の真相を追う者たちは、諦めず走り続けた。エレナと孔は巨大な物流倉庫を駆け回り、4機捜は現場や容疑者の形跡を追い求め、六郎は手術に必要な医療用品を探して走り回る。阿部サダヲ演じる八木さんも、胃を痛めながら事態収束のために奔走しただろう。
その最たるものが、最後の爆弾にまつわるクライマックス。自分が運んだ荷物だからと、警察に任せること無く運送先に駆けつけた佐野一家は、爆発から松本一家を救い出す。「間に合わなかった」人間の絶望から始まった事件が、「間に合った」人たちの頑張りによって終わりを迎える。最後の最後に間に合わせたのがメインキャラクターではなく市井の人々という着地も、かつてコスト競争に負けた洗濯機が窮地を救ったのも、これ以上ないほどに美しくて、涙なしには観られなかった。
母を想う姉妹の気持ちが報われることで、自らの危険を顧みず走った佐野一家は、ヒーローになる。いや、荷物が届くという「当たり前」を支える人たちは、誰だってヒーローで、格好いいのだ。この映画は、私たちの社会を見つめ、糾弾し、称賛してくれる。エンタメとして無類に面白く、同時に厳しくて、なぜだか活力を貰える。
『ラストマイル』は、精一杯生きている人たちの背中を押すというよりは、「頑張ったね」と労ってくれるような作品だ。その想いは、ラストのテロップのあの文言に宿っていると受け取ったし、作中における労働者への負荷が我々の現実と地続きである絶望と、そんな世界を良い方向へ変えるかもしれない希望の両方が詰まっている。現代社会を生きる全ての人にとって他人事ではない本作をどう観るか、現実の生活に何を持ち帰るかを、ぜひたくさんの人と話し合ってみたい。