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『HUGっと!プリキュア』はあなたを肯定する、応援と愛の物語。

 まずは、経緯から話しますね。

 どうやら、今のプリキュアがスゴいことになっているらしい。濃いニチアサトークでいつも楽しませてもらっている桐沢たえ様もライダーやスーパー戦隊よりも先にプリキュアへの熱のこもったテキストを投稿されるようになり、放送日になると有識者が集う我がTLは大騒ぎだ。大人が感銘を受け涙する、それが今のプリキュア。

 一方私は、完全に乗り遅れてました。昨年の多忙ゆえにニチアサへの履修度がぐっと下がり、『仮面ライダーセイバー』の録画の消化率は30%にも満たないままHDDを圧迫し続けている。というか、プリキュアを観たことが無かった。「ニチアサ観てます」と言っておきながら、それはいわゆる「特撮」の分野のみで、プリキュアのTVシリーズは全くの未見。そんな自分が奮い立って『ヒーリングっど♡プリキュア!』を観ようと決意した時、非情な現実と直面します。なんと現行のプリキュアはサブスク配信がなされていないのです。

 プリキュア難民。真面目に働いて税金払って、そんな自分がまさか「観たいプリキュアに出会えない」だなんて、これが真っ当な社会と言えるのでしょうか。これが政府の掲げる「一億総活躍社会」とやらの正しい在り方でしょうか。憤りを覚えた私は「ならば!」と、過去のプリキュアを観ることにしました。

 以前こんな記事を書いた通り、プリキュアについては全くの無知というわけではありません。むしろ、「noteのネタになるだろ」という邪な想いで集大成映画をつまみ食いした(それはそれで感動させられたわけですが)ことへの負い目もあり、1シリーズでもしっかり観てみたいという気持ちもありました。とはいえ一年放送で50話近い大河ドラマに手を出すのはやはり腰が重く、こうして興味深々になった今じゃないと私はプリキュアと向き合えない。その想いで飛び込んでみました、『HUGっと!プリキュア』に。

 これから始まるのは、独身成人男性が初めてプリキュア1シリーズと向き合い、感銘を受け、涙し、抑えられない感動を吐き出すためのものです。そして今これを書いているとき、鑑賞したのは26話までです。折り返し地点ですでにキーボードを叩かずにはいられなくなっています。私は今、プリキュアに救われながら毎日を生きています。そういう話をします。どうかお付き合いください。

「正しさ」を真正面から描く『プリキュア』

「子育て」をテーマに、プリキュアが「子供を守るお母さん」として、赤ちゃんのため、人のため、世界のために戦う本作。突然現れた不思議な赤ちゃんを育てる中学2年生・野乃はなを中心に、母の持つ温かさ、優しさ、強さ、そして少女たちが抱く大人への憧れなどが描かれる。

 『HUGっと!プリキュア』におけるプリキュアたちのモチーフはママ。空からやってきた不思議な赤ちゃん・はぐたんのお世話をしながら、人々から未来を奪おうとするクライアス社と闘い、時にはいろんなお仕事にも挑戦します。育児にお仕事にプリキュアと、世のお母さん同様に様々なタスクを抱えながら、毎日元気にハッピーに過ごす少女たち。対する悪の組織は「会社組織」で、構成員ならぬ社員は稟議書を書き上司に承認され、怪人オシマイダーを「発注」してプリキュアに襲い掛かります。お母さんVS会社、この図式が刺さるのはむしろメイン視聴者の女児よりも、その親御さんの世代ですよね。

 この手のジャンルに疎い新参の発言ということで多めに見てほしいのですが、プリキュア制作陣にとって作品を届けたい相手は女児と、そしてその親御さんにあたるはず。世のお父さんお母さんが子どもに観せていい、観せたいと思わせる作品でなければ、女の子に届かない。そのためか、『HUGっと!プリキュア』で描かれる価値観はとても現代的で、大人でも思わずハッとさせられる描写がとにかく多い。ひとつ例に挙げれば、愛崎えみると兄・正人の関係を巡る一連のエピソードでは「世間一般の性役割に縛られることを真っ向から否定する」ことが描かれます。それを、ママが主人公の作品でやっているんだ、という点に、凄まじい気概を感じました。

 また、オープニングでは主人公である野乃はなが「なんでもできる!なんでもなれる!」と元気よく語り掛けてくれます。これは単に、将来どんな職業にも就けるよ!というメッセージのみを意味しません。男の子だって女の子の服を着てお姫様になってもいいし、アンドロイドがプリキュアになってもいいのです。本作は「自分らしさ」を貫こうとする意志を尊重する価値観が度々描かれ、若宮アンリくんやルールーとえみるのエピソードを通じて、「他者の心を縛る」ということが真の悪であると、テレビの前の女の子と親世代に教えてくれます。なにせ敵組織が未来を奪う=時間を止めることを目的に侵略してきており、可能性を奪う存在に立ち向かうのが今作のプリキュアなわけで、「あなた自身を損なわせない」ことを絶対の正義として描くことは、子ども向け番組として120%正しいと、私は信じています。

 ところで、キュアエールこと野乃はなちゃんを象徴する「なんでもできる!なんでもなれる!」のこの台詞、一見裏打ちのない無責任なエールに感じる人もいるかもしれませんが、この言葉は相手を肯定する無条件の愛、すなわちママそのものです。人間は、誰かに愛され、必要とされていると自覚することで、誰かを愛することを学ぶのだそうです。はな本人は自分に特筆した才能がないことに悩み一度はプリキュアへの変身能力を失ったこともありますが、実は彼女こそがママ=プリキュアたる一番の素質を最初から持っていた、という感動が回を重ねるごとに増していきます。

あなたの心を「HUG」する

 日曜朝に放送されていることもあり、私自身プリキュアも敵の怪人を倒して、ゲストキャラクターのお悩みを解決してまた来週!というルーティンを重ねていくんだと思っていましたが、甘かった。『HUGっと!プリキュア』は敵であるオシマイダーを「癒す」ことで騒動を治めるのです。

 オシマイダーとは、「トゲパワワ」と呼ばれる怒りや悩みなどのネガティブな感情から生み出される物質?を媒介に生まれる存在。それに対しプリキュアたちは、オシマイダーを力で圧倒することはせず、「心のトゲトゲ」を祓ってその戦意を失わせます。イメージとしては「成仏」が近いでしょうか。それは26話時点でも常に徹底されています。

 クライアス社の幹部(というか課長)チャラリートは、度重なる失敗により自信を喪失し、自らが強大なオシマイダーに変貌してしまいます。圧倒的な力に苦戦するキュアエール。そんな彼女の前に、「プリキュアの剣」が顕現します。これを手に強敵を打破!するのがヒーロー番組の定石ですが、キュアエールはこう言います。

「違う!それは私のなりたいプリキュアじゃない! 
 必要なのは剣じゃない!」

 決して前番組(スーパー戦隊や仮面ライダー)を貶める意味はないということを前置きしながら、これはプリキュアにしか出来ない決断だと、心底震えました。ヒーロー番組なら、屈強な敵に逆転勝利する場面で視聴者はカタルシスを得ることができるし、もっと言えば「おもちゃの販促」という大人の事情においてもそっちのほうが“強い”。ですが、『HUGっと!プリキュア』は販促のためにテーマを曲げるようなことはありませんでした。プリキュアの剣は「メロディソード」というステッキへと変わり、エール・アンジュ・エトワールの三人のプリキュアによる合体技「プリキュア・トリニティコンサート」を演奏するための楽器として、より強い「癒し」の力を授けたのです。

 自信を失ったチャラリートに対し、力の象徴である剣を否定し、「応援」するために奇跡を起こす。傷ついた心に寄り添い、後ろ向きな想いも抱きしめて他者を肯定する。言葉にすれば陳腐に聞こえ、しかし実行するのは難しく、どう教えるべきか悩ましい「」というものを、『HUGっと!プリキュア』は全身全霊で描き続けます。おそらく、最終回までその姿勢は変わらないはずです。

「愛」のプリキュア

 先ほど、「愛」というワードを使ってしまいました。愛とは当然様々な形があるもので、親から子に向ける愛、異性愛に友愛、無数に形があるからこそ「愛とは何か」を語るのは難しく、定義は人の数だけあるでしょう。そんな中、これまたド直球に「愛」をその名に掲げるプリキュアがいます。キュアマシェリとキュアアムール。ぼくの推しです。

 キュアマシェリ=愛崎えみるは、プリキュアに憧れる小学6年生の女の子。キュアアムール=ルールーはクライアス社の社員(バイト)にしてアンドロイド。ルールーがはなの家庭に潜入したことをきっかけに知り合った二人は、少しずつ友情を深めていきます。

 前述した「自分らしさ」にまつわるエピソードとして、えみるは女の子らしさを押し付けようとする家柄となりたい自分の狭間で迷い、ギターと歌をルールーやアンリに肯定されることで、ルールーは仕事への責任(クライアス社社員なので)と自分の中に芽生えた解析不能な何か=心との不一致により一度は“修理”されるも、プリキュアによって解放されます。そうして「自由」を手にした二人はプリキュアを目指すことに。

 しかし、変身に必要なプリハートが残りはあと一つしかなく、プリキュアになれるのはあと一人。ついにミライクリスタルを生みプリキュアへの資格を得た二人は、最後まで互いを想い、相手の夢を応援します。ですが、二人の夢はそもそも「ふたりでプリキュアになること」で、どちらかが諦めることは夢じゃない。だからこそ二人は叫び、願います。

「私は、えみると一緒にプリキュアになりたい!」
「私も、ルールーと一緒にプリキュアになりたい!」

 大切な親友を想い、なりたい自分を諦めない。そんな二人の口上は「あなたを愛し、わたしを愛する」というもの。誰かを応援するのも大切ですが、それには自分を愛することが前提なのです。それゆえに、自分らしさやなりたい自分を阻害されることは、あってはならないこととして作中では描かれます。

 家族の目(旧態依然としたジェンダー観)を気にせずギターを弾けるようになったえみると、心のままに生きられるようになったルールー。大切な友達に肯定された自分を愛し、自分を愛してくれた友達を愛する。互いが互いを想う大きな愛は、「ふたりはプリキュア!」という奇跡を起こしました。そしてその愛は二人の中だけで完結するものではなく、辛い気持ちに苛まれたあなたを癒すものであることは、二人がプリキュアであることがその証左なのです。

未来へ

 ついに折り返し地点まで来ましたが、クライアス社は大胆な組織改編を実施し、森田順平&土師孝也の日本屈指のイケおじ声優が経営陣に就任したことで、ぼくは今履歴書を書き入社試験を受ける一歩手前まで来ています。ちなみにLINEスタンプもあります。わりと社員の気持ち次第で直帰できるっぽいクライアス社、やはりホワイト企業なのでは?という想いが日に日に濃くなっていきます。

 はじめてのプリキュア、自分でもどうしようもないくらい心動かされ、泣き、感銘を受けています。無知ゆえに、今の女児アニメがどんな試みをしているのか、子どもたちにどんなメッセージを届けようとしているのかを全く知らないまま、プリキュアを観てこなかったことに本気で後悔しています。残る後半戦、すでに鑑賞後のロスが確定したくらいに思い入れたっぷりの『HUGっと!プリキュア』と、まずは全力で向き合ってみたいと思います。完走したらまた書くかもしれません。

その後

↓完走してないのに書いちゃった↓

↓完走しました↓


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