松村禎三 ピアノ協奏曲第一番
昨日のTV番組で凄い日本人作曲家を知る
昨日、BSテレ東のエンター・ザ・ミュージックを見ました。指揮者の藤岡幸夫さんが、ゲスト(音楽家)とトークを交えながら、自ら指揮した演奏を紹介する番組です。
演奏途中でトークが入る番組スタイルは、音楽番組として好みではないのですが、今回の楽曲と演奏が素晴らしかったのでご紹介します。
今回、取り上げられたのは
松村禎三・作曲「ピアノ協奏曲第一番」
渡邉康雄・ピアノ、藤岡幸夫・指揮、関西フィルハーモニー管弦楽団
最近、日本の近現代作曲家が再評価されているようです。
昨年末Eテレ・クラシック音楽館でも、伊福部昭「シンフォニア・タプカーラ」放映され話題となっていました。2024年末での引退を表明している、井上道義氏の指揮による感動的な演奏でした。
松村禎三について
松村氏は、伊福部氏のお弟子さんでもあります。
早くにご両親を亡くし、音楽を志して上京するも、結核を患い5年も療養生活を送ります。その後は伊福部門下に入り、在野にありながら創作活動をされました。療養時から俳句を嗜み、俳人でもいらっしゃいます。
ピアノ協奏曲第一番
作家・水上勉との出会いで、自分の内なる古い響きを掘り起こされた松村は、「天地から立ち昇る自然なうたでありたい」「近年喪われてしまった、音楽の本来的な豊饒さを、再び回復したい」と望み、同曲を作曲。全体は一楽章構成だが、4部に大別され、終始ピアノは、オケを先導する形で、それぞれの部分の導入と終止を伝えてゆく。それはちょうど広大な大地に、わずかな起伏を見せる丘陵をわたってゆく風のようであり、常に同じように動きつつ、絶え間ない変化を見せ、この作品の一つの生命体としての動静を生み出してゆくのである。そして後半にあらわれる御詠歌の音階は、いつまでも耳底に残って響き続け、ピアノが立ち去った静寂の中に、遠い余韻となってのみこまれるのである。
(下記リンク先より引用、要約)
【ご参考】
初演ピアニストとして曲を献呈された、野島稔さんのインタビューが東京音大のリポジトリにあります。(松村氏との出会い、ピアノ協奏曲1・2について)
https://tokyo-ondai.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=1279&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1
渡邉康雄氏について
今回のソリストは、松村禎三と縁のある渡邉康雄さん。ご自身も指揮者でいらっしゃいます。
繊細さと力強さ、陰陽と清濁が混ざり合う独特の世界観の中で、変幻自在に音を変えながら天地の理(ことわり)を表現しているような感じ。ちょっと今の若いピアニストには見られないような、大編成のオケをも圧倒する芯の太い演奏でした。
いくら文章にしても、百読は一聴に如かず。松村作品の動画をご覧ください。
松村禎三・ピアノ協奏曲第一番の動画
こちらは、野平一郎さんのピアノ演奏です。
(12件のコメント中9件が外国の方で、すごく称賛されています)
後に野平さんは、渡邉さんをピアニストに迎え、オーケストラ・ニッポニカを率いて「松村禎三交響作品展」を企画。この企画内容と演奏が評価され佐治敬三賞を受賞しました。
その他の松村作品
すっかり松村作品にハマってしまい、youtubeで流しまくっています。
代表的な作品を、自分の好みで貼ってみました。
交響曲第一番
圧倒的な力を持つ交響曲。こちらも外国人の評価が高く、コメント5件は全て外国語!
チェロ協奏曲
チェロが所々で琵琶のように聴こえます。楽器を超越した不思議な感覚です。
阿知女
打楽器と共に、原始の祈りを捧げる巫女を演じるソプラノは圧巻。
縄文土器の美しさを取り上げた岡本太郎の「日本の伝統」を読んで、この作品を書き始めたそうです。
Totem Ritual(祖霊祈祷)
1970年大阪万国博のテーマ館地下展示室のために書かれた曲。「生命の誕生から人類の原始の生活、そして生命の根源的な発動である“祈り”を表現する多くの展示がなされていた」そうです。
暁の讃歌
インド古代の宗教書「リグ・ヴェーダ」の「暁の讃歌」から、林貫一の日本語訳を用いた混声合唱曲。天から降る讃美歌のように美しく、地から湧き上がる声明のように力強く、多民族的なリズムとメロディーが共存しています。
【ご参考】こちらに松村氏と作品に関する評論がまとめられています。
何故、こんなに凄い作曲家が知られていない?
(私がニワカというのもあるけど…)こんなにも凄い作曲家なのに、なんで今まで松村作品を知らなかったのだろう?
日本人作曲家の楽曲は日本のオーケストラが公演しないと、演奏機会も音源も無く埋もれてしまうのかな。
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以下、私事で失礼します。
私は開発関係の仕事をしているのですが、担当している中で、長い間全く手を加えられていない製品があります。
ところが、昨今の原料費高騰で、とうとうこの製品の品質設計を変更することとなりました。
そこで、いざ、その製品の開発記録を見直してみると…細かな記録がないのです。つまり、当時の暗黙知(皆が共有している当たり前の知識)や口伝で継承されていた技術が、記録として残っていない上に人の異動で途絶していたのです。
会社は書類だけで技術を蓄積している気になっているけど、それだけは途切れた技術を完全に再現するのは難しく、また、再度技術を積み上げるのには多大な時間とコストがかかります。
改めて、技術というものは書類の集合体ではなく、人の経験や知見に密接したものであって、人を通じて伝承していかないと、わりと簡単に途絶してしまうものなのだと認識しました。
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再び本題。
松村禎三のピアノ協奏曲第一番。
今のクラシック界は、この素晴らしい楽曲を次の世代に継承できるのでしょうか?
演奏経験者(指揮者、ソリスト、コンマス、メンバー)がいなければ、ゼロから構想を練り、未経験のメンバーで演奏を組み立てて行かなければなりません。プロと言えども、楽譜を見ただけで簡単に再現できるというものではないはずです。
特にソリストは、間違えずに演奏できる→暗譜する→作曲家や自分の想いを乗せて表現できるようになるのに、かなりの労力と時間を必要とします。
そうならば、コンクールやコンサートでの演奏機会が多い有名曲を習得した方が、タイパやコスパが良いに決まっています。余程のモチベーションが無ければ、リスクがある上に演奏機会も少ない日本人作曲家の難曲を、誰も習得しようとは思わないでしょう。
似たような演目が多い日本のクラシック演奏会。もっと、日本人作曲家の演奏機会が増えてほしいです。
そして、観客が日本人作曲家の作品を認知することで、もう一度聴いてみたい、別の作品も聴いてみたいと、新たなファンの裾野が広がることが大切です。
また、松村氏ご本人を知る渡邉さんから、若い音楽家へ継承の機会があればと願います。例えば、渡邉康雄さんの指揮で、若い演奏家がこの曲を自分のレパートリーとして演奏できたら、どんなに素晴らしいでしょう。
そして、ゆくゆくは、海外公演で演奏できるようになることを期待しています。
ところで…
「かてぃん」こと角野隼人さんのお母様は、渡邉康雄さんの生徒さんだったのですね。
渡邉さんも角野さんの実力を絶賛しています。
オタク気質の長文を最後まで読んでいただきありがとうございます。 またお越しいただけたら幸いです。