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BUYMA noteはじめました

~コロナで失業→BUYMA初心者→目標月収100万円までの道のり~

はじめまして、イタリア在住のtumutumuと申します。

最近、BUYMAのパーソナルショッパーに登録し、活動を開始しました!

ちょっとだけ自己紹介をしますと、大学卒業後、大手旅行代理店→現地旅行手配会社→複数の非営利活動法人の勤務を経て、2010年にフランス一人旅をした時、パリの3つ星レストランでパティシエをしていた日本人に一目ぼれしたのをきっかけにパリに移住、大学留学しました(我ながら単純ですね。しかし行動力があるって言って欲しい)。残念ながらその恋は成就しませんでしたけど。。。

パリには人やモノを50%ぐらい素敵に見せてくれる「パリマジック」っていうのがありますw

その後、日本に帰国し、国内最大手不動産会社に就職。充実した毎日でしたがこころのどこかでいつも「ヨーロッパに戻りたい。。。フランスはもういいから次はイタリアかな?」と考えながら虎視眈々とその機会をうかがっていました。というよりお金がたまるまでちょっと待ってただけですが。

フランス帰国から約4年後の2017年12月、晴れてイタリアに移住してきたものの、言葉も話せませんし、ましてやものすごい失業率のイタリア。初めから就労ビザのサポートまでしてくれて雇ってくれるイタリアの会社なんてほぼありません。学生ビザで1年間語学学校に行きながら、半年ほど経ったあと就職活動をはじめました。

ビザも切れかかった11月末、あるご縁から日本の食品関係の会社でイタリアへの輸出担当と新しく設立した現地法人の経営するレストランを含めたマネジメントを任せられる日本人を探している方に出会い、就職。めでたく学生用の滞在許可証から就労用の滞在許可証に切りかえ成功。成功までに無能な弁護士、前払いした代金を持ち逃げされた弁護士1名、ようやくまともな弁護士と3人の弁護士さんにあたりましたが。

弁護士がお金持ち逃げとか、日本じゃありえませんよね。しかしここはイタリアなのです。

就職活動を始めた7月ごろから11月までに送った履歴書はなんだったんだ。。。というほど、あっけなく決まった就職。1年間の学生期間を経て仕事にありつける人はほとんどいないし、今仕事でイタリアに滞在している人でも雇用主が滞在許可証の切りかえをサポートしてくれず、10年以上学生の滞在許可証で滞在している日本人を何人も知っています。就職に4ヵ月もかかりましたが、そういう意味で私は非常にラッキーだったと言っていいとおもいます。

そんな幸運も1年半で終わりを告げます。コロナウイルスの影響で、私が扱っていた日本の高級食材は需要がなくなり、日本にある母体の会社の経営も危うくなったため、無期限雇用契約を交わしたにも関わらず失業してしまったのでした。

社長も辛そうで「今までいろいろ体制を整えていただいたのに申し訳ない・・・」と言われたとき、私は自然と「私は世界のどこでも生きていけるのでぜーんぜん大丈夫です!」とこたえていました。

不思議と恨みを持ったり、悲観するような感情は湧かなかったんです。

イタリアは世界でも初期の頃にコロナによる大打撃を受けました。毎日救急車のサイレンが鳴りやまず、毎日たくさんの方が亡くなり、元々不況だった経済ももはや死に体です。

もしかしたら今の仕事を続けられないかもしれない。という予感は、解雇を言い渡されるずいぶん前、ロックダウンが始まったころからありました。約3ヵ月、仕事や買い物、通院以外の外出を禁止され、家に引きこもりながらYouTubeやオンラインニュースをよく見るようになりました。

毎日のように有識者が「コロナ後の世界はどうなる?WITHコロナどうやって生きる?」みたいなことを論じているのを見て、

世界は変わった。

これからは働き方も休暇の過ごし方も買い物の仕方もすべてが変わる。

と感じるようになり、

世界が変わるならば私も変わらなくては置いて行かれる、でもこれは自分の人生を変える良いきっかけになるのかもしれない。特に収入源が会社勤め一択の世界はもう終わりが近い。

そう考えていたので、情熱を持って取り組んでいた仕事だったので無念ではありましたが、仕事を辞めなくてはならなくなったと知った時も切りかえが早くできたのではないかと振り返ることができます。

ロックダウンが開けた5月末頃から、少しでも生活の足しになればと思い、BUYMAの何人かのパーソナルショッパーさんと契約を結び、高級ブランド品の買付をアルバイト感覚ではじめることにしました。当時はまだ会社に勤めていましたが時間が比較的自分でオーガナイズできる管理職だったためです。

私は自分で購入したものとプレゼントでいただいたものを合わせても人生で片手で足りるほどしかブランドものと呼ばれるものを持っていません。どちらかといえば、ブランドものをジャラジャラと着飾っている人なんて、非常に表面的で中身のない、お金は持っていてもブランドものでしか自分の価値をアピールできない人間なんだ。そう思っていたタイプかもしれません。

なので、このブランドもの買付の仕事を始めたのもあくまでも生活のためであり、ずっとこの仕事をしたいなんて思っていなかったし、全く興味もありませんでした。

6月末で会社を辞めて、買付の仕事もそこまでなくプータローになった私は、日本に本帰国することも視野に入れて、日本に帰るまでに思いっきりヨーロッパのバカンスシーズンを楽しもうと、旅行ばかりしていました。7月から9月の上旬までで日帰りも含めると15回ぐらい旅行したと思います。

8月頃からだんだん買付をご依頼いただく回数が増えてきました。日本人が海外旅行は今年いっぱい無理そうだから何か自分の欲しいブランドものでも買おうと考えたのか、契約しているパーソナルショッパーさんのお店が人気が出てきて注文が増えたのか。また、ロックダウンで止まっていたブランドの生産ラインもほぼ通常に戻ってきて在庫が増えたということもあるかもしれません。

だんだん、お店の店員とも顔なじみになり、ほぼ毎日一流のものに触れていくうちに、ブランド品に対する私の見方も変わってきました。目もそれなりに肥えてきたんだと思いますが、やっぱり一流のものって一流なんです(だいたいは)。

ヨーロッパにはお金持ちがいかにもお金持ちらしい格好で出歩いている人はほぼいません。でも街のブランド街を歩いていると、「あ、あのシニョーラのバッグ、シャネル秋冬の新作!私も買った!(お客様のだけど)」などと気づくようになり、その上品でさりげない着こなしにうっとりするようになりました。

結果、この仕事、私に結構向いているかも?となったわけです。ちょうど映画「プラダを着た悪魔」のアン・ハサウェイ演じるアンドレア役みたいに、ファッションに全く興味のなかった主人公が、ライターの夢を叶える第一歩として入社したファッション雑誌会社で、悪魔のような上司とアパレル業界の闇に揉まれつつ、ファッションの価値にも目覚めていくみたいな。

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都合の良いたとえですね。すみません。

せっかく興味をもった世界だから、買付のお仕事だけじゃなくて、自分らしいショップを運営してみたらどうなるだろう?

私は何の特別な取り柄もない人間ですが、周りの方には恵まれる星のもとに生まれているみたいで、これまたすごいタイミングである方とのご縁が久しぶりにつながり、オンラインショップの経営に関してアドバイスをいただけました。

人間万事塞翁が馬。

どんな不幸なことが幸運につながっているか、人生わからないものです。

まだまだ右も左もわからないショップ運営。このnoteでは、その記録を備忘の意味も込めて書き綴っていきたいと思います。

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