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待つのだって、変わらないことだって、誰かのおかげで成り立ってることに変わりはない。
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どうも、本や学びやmerkki(メルッキ)店主の、じーもです。
ついこの間、こんな記事を書いたんですが、
書いた後で、またいろいろ考えちゃって。
結局自分よがりだよなぁ、とかいろいろ。
我ながら、立派に豆腐メンタル発揮中だなぁ、と。
カッコよく書いてたけど
前の記事では、「いつその時がくるかわからないから、効率的じゃなくても、お店を開けて待ってます。」みたいなことを書いているんですけど(ちゃんとそういう気持ちはもってます)。
よく考えてみると、これ。
効率的とか、そういう意味じゃなくても。
いつ来てもいいように→部屋を暖かくしてる→電気を使ってる→発電しなきゃ電気は使えない、わけで。
つまるところ、節電や原発問題に、たとえ関心があったとしても、現実問題大量の電力消費に一役買ってしまってますよ?って。
そして原発に対して否定的な意見があろうと、電気が自由に使えているのは、そこで働いているひとたちのおかげであって。見えない、感じることができていないだけで、自然環境(例えば寒さ)に逆らって生きるということは、つまりは、この場にいない誰かのおかげで今があるってことなのかもしれない、と。
もちろん、お店の場合なのでわかりやすく冬の電気はそうなのかもしれないんですけど。
待つ、っていっても。待っている状態を維持する必要があるわけで。
ということは、その人にとって維持することが難しい状態になれば、待つことはできなくて。じゃあその状態を維持するために何が起きているかと言うと、その人はもちろん。その人以外の、その場所にいない人たちのおかげでもあるってことだと思うんです。
だから、カッコよさそうに、この前の記事を書いて。書き終わって。それから、ふと。「あ、とっても都合のいいことだけ言ってるのかも」って思っちゃったんですよね。
変わらないって変わること?
現状維持、と聞くと世間ではマイナスのイメージがあるかもしれません。
でもたぶん。現状維持にもいろんなパターンがあると思うんですよね。
一旦下がってまた戻って来たのか。
下がりながら上がりながら現状維持なのか。
ただ止まっているのか。
どの時点を切り取るのかにもよるのかもしれませんが、結局表面だけではわからないことが多い気がしています。
水面の白鳥は優雅に泳いでいても、水中では必死に泳いでいるのかもしれないし、バトル漫画に登場するみたいに早すぎて止まっているようにしか見えないのかもしれない(実際にそういう状況はあるみたいですよ。ホースから勢いよく出る水とか)。
だからほんとの意味でずっと変わってない、ということはそうそうない気がします。
じゃあ中身が変わっちゃったら、変わらないっていうことはできないの?
個人的に思うのは、ゆとり、だと思います。
ゆとりがあるからこそ、変わっていないようにできるんじゃないか、と。
というか、何か求められても、ゆとりがあれば対応ができる、だから一見すると変わっていないように思える、のではないかな、と。
じゃあ、ゆとりをもつためにはどうすればいいのか?
それはひとりでしないこと、な気がします。
ひとりでできることは限られているでしょうし、何より、すべて自分でしようとすれば、そりゃ限界が来ます。限界が来なくたって、ゆとりまで確保することは難しいような気がします。
そう考えると、変わらないためにも、変わって変わらないようにするためにも、結局、それは誰かのおかげなんじゃないか、ってことです。
どれもこれも
どれもこれも、誰かのおかげで今があるなら、自分なんていない方がいいんじゃないのか?そんなことを考えてしまいそうになります。
でも、抜けちゃいけないのが、自分も、誰かにとっての「誰か」なんじゃないか、ということです。
結局、自分ができることなんてたかが知れてるし、誰かのおかげで今が成り立ってる。
同時に、自分も誰かにとっては、その「誰か」として今を紡いでいるんじゃないか、って。
そう考えることは意外と大事だと思うし、忘れがちなことな気がします。
世の中は複雑で、難しくて、わからないことだらけなので、つい、わかりやすいことやシンプルなことに目が行きがちです。
でも人間は良くも悪くも脳が発達して考えたり感じたりすることができる生き物になりました(これもきっと、変わってないようですごく変わりながら今に至っているはず)。
だから、自分なりに大切にしたいことや外せないこと。心が壊れてしまうようなことを避けることなんかは大事かもしれませんが、案外そう割り切れるものでもないし、言いきれるものでもないのかもしれません。
でもとりあえず、誰かのおかげで成り立ってるし、自分もその誰かなんだ、ということは、一旦忘れずにいようと思っています。
最後に
わかったようなわからないような、そんな文章になってしまいました。
たぶんこれを書き終えた後、また何か思ってしまうこともあると思います。
そうやって、あれやこれやと迷走しながらも、今を生きてみるしかないのかな、と思っています。
いつもみなさん、ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
では。よければ、またお会いしましょう。