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絶対的視点はない【音声と文章】

山田ゆり
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朝、目覚めたらぐっしょりと汗をかいていた。
どうしよう。着替えのシャツは用意していない。
このままシャツの上に、枕もとに置いた服を着ようか。

部屋の温度は16.9度。

上半身を起こす。途端にブルブル震え出す。
こんな寒い状態で汗で濡れたシャツを脱ぐのは無理かもしれない。

私は枕もとの服に手をやった。

しかし、一瞬考えた。
シャツをこのまま着続けると、いくら上に服を着ても
土台が冷たいから温かさを感じないかもしれない。

私は手に持った服を離し、思いっきりシャツをまくり上げた。
途端に冷気が毛穴のひとつひとつに入ってきた。
ブルブル小刻みに震えながら首でつかえているシャツを思いっきり脱いだ。
そして、シャツを着ない状態で服を着た。

シャツが最初に肌に触れるのが日常だから、シャツを着ないでいきなり服を着るのは私にとって「現状の外」のことだ。

シャツとは違い少しこわばった感覚が一瞬あったが、
しかし、シャツを脱いだことによってジトっとした感覚はなくなり
肌と服との間に空間ができて、その空間が暖かさを生んでいるようだった。

シャツを着ていなくても寒さを感じない。



このように、「これが自分にとって一番最適だ」と信じている現状がある。
「これが私らしい私だ」と思っていることでも、その現状とは違うことをしてみると
想像していたほどの不便さや不愉快を感じないことに気付く。


これは、絶対的視点がないということであり
この世は空(くう)で自我がないということ。

私は何者なのか?
親から見たら二女
子ども達から見たらお母さん
姉から見たら妹
夫から見たら可愛い妻

PTA仲間から見たら〇〇ちゃんのお母さん
会社の社長から見たら従業員
お店の店員さんから見たらお客様

相手が誰かによって「私」という意味が変化する。

さて、この中で「一番あなたらしいのはどれ?」と聞かれたらなんと答えるか。


( ^ω^)・・・

どうだろか?
多分、「一番自分らしい」のは答えられないと思う。
つまり、その時の相手によって自分の見え方が変化するからだ。

自分が何者か、それがその時の相手によって変わるということは
つまり
自分が何者なのかを定義できない。

逆に言うと脳内では何者にもなれるということである。



この世は空であり、自我は無い。

自分は何者でもないから
強い思いがあれば何者にもなれるのだ。







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山田ゆり
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