![画像1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/109212849/square_large_803b9ebc54673cf70806ca949ff71268.png)
母と私との距離が縮まる瞬間【音声と文章】
山田ゆり
00:00 | 00:00
※note毎日連続投稿1515日をコミット中!1515日目。
コミット達成しました!noteさんと、いつも「スキ」で応援して下さる皆様のお陰です。ありがとうございます。
引き続き、【毎日連続投稿1616日】をコミットします!
※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、
どちらでも短時間で楽しめます。
おはようございます。
山田ゆりです。
今回は
母と私との距離が縮まる瞬間
をお伝えいたします。
「お母さん!これ見て!」
三女が突然笑い出し、クッキーが入っていた大きな缶を私に差し出した。
何?どれどれ~。
中には母の若かりし頃の写真が入っていた。
恐らく、40~50代の頃である。
「おばあちゃんでも若い時があったんだね。」
三女が手袋の手をおなかにあてて笑いながら言った。
もうすぐ旧宅の解体作業が始まるため、三女と一緒に旧宅の片づけを急ピッチでしていた。
私は片づけの作業の手を止めそのアルバムを見た。
ご近所の奥様方と一緒に旅行した時の写真。
「若い」
それが一番に出てくる感想だ。
いつの時代も私にとって母は「年上の人」で母と私との距離は20数歳離れていた。
それは「母と子」の距離のようなものだ。
この距離は私が大人になっても縮まらなかった。
母が認知症になる前まで母と私はいくつになっても「親」と「子」だった。
しかし、今、目の前の写真の母は、還暦を過ぎた私から見るとかなり若く感じる。
母が75歳の時父が急逝し、その日から認知症の症状が出始めた。
そして、坂を転げ落ちるようにどんどん症状が進行していき、目はどんよりしてボーっとしている日が多くなっていった。
だから私の頭の中にはそういう母のイメージが強く残っている。
しかし、写真の中の母は、肌の張りが違う。
そしてあまり太っていなくて目が生き生きとしている。
その写真を見た時、母と私との距離が一気に縮まった気がした。
距離が縮まりすぎて母の方が逆にわたしより若い(笑)
晩年の母の記憶が強く残っている私にとって、母の若かりし頃の写真は「親」から「関係がかなり深い人」に変化する。
ぼんやりしていたり笑ったりしている85歳の母の写真を見る。
それは私がまだ経験したことのない世界である。
将来、私がその年齢以上になった時に85歳の頃の母の写真を見たら、私はどう感じるだろうか。
楽しみである。
たまには過去の世界でのんびりしたくなる。
老後の楽しみのためにもこれからも写真をとっていこうと思う。
今回は
母と私との距離が縮まる瞬間
をお伝えいたしました。
本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。
ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日をお過ごし下さい。
山田ゆりでした。
◆◆ アファメーション ◆◆
.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。
私は愛されています
大きな愛で包まれています
失敗しても
ご迷惑をおかけしても
どんな時でも
愛されています
.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。゚+..。*゚+
コミット達成しました!noteさんと、いつも「スキ」で応援して下さる皆様のお陰です。ありがとうございます。
引き続き、【毎日連続投稿1616日】をコミットします!
※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、
どちらでも短時間で楽しめます。
おはようございます。
山田ゆりです。
今回は
母と私との距離が縮まる瞬間
をお伝えいたします。
「お母さん!これ見て!」
三女が突然笑い出し、クッキーが入っていた大きな缶を私に差し出した。
何?どれどれ~。
中には母の若かりし頃の写真が入っていた。
恐らく、40~50代の頃である。
「おばあちゃんでも若い時があったんだね。」
三女が手袋の手をおなかにあてて笑いながら言った。
もうすぐ旧宅の解体作業が始まるため、三女と一緒に旧宅の片づけを急ピッチでしていた。
私は片づけの作業の手を止めそのアルバムを見た。
ご近所の奥様方と一緒に旅行した時の写真。
「若い」
それが一番に出てくる感想だ。
いつの時代も私にとって母は「年上の人」で母と私との距離は20数歳離れていた。
それは「母と子」の距離のようなものだ。
この距離は私が大人になっても縮まらなかった。
母が認知症になる前まで母と私はいくつになっても「親」と「子」だった。
しかし、今、目の前の写真の母は、還暦を過ぎた私から見るとかなり若く感じる。
母が75歳の時父が急逝し、その日から認知症の症状が出始めた。
そして、坂を転げ落ちるようにどんどん症状が進行していき、目はどんよりしてボーっとしている日が多くなっていった。
だから私の頭の中にはそういう母のイメージが強く残っている。
しかし、写真の中の母は、肌の張りが違う。
そしてあまり太っていなくて目が生き生きとしている。
その写真を見た時、母と私との距離が一気に縮まった気がした。
距離が縮まりすぎて母の方が逆にわたしより若い(笑)
晩年の母の記憶が強く残っている私にとって、母の若かりし頃の写真は「親」から「関係がかなり深い人」に変化する。
ぼんやりしていたり笑ったりしている85歳の母の写真を見る。
それは私がまだ経験したことのない世界である。
将来、私がその年齢以上になった時に85歳の頃の母の写真を見たら、私はどう感じるだろうか。
楽しみである。
たまには過去の世界でのんびりしたくなる。
老後の楽しみのためにもこれからも写真をとっていこうと思う。
今回は
母と私との距離が縮まる瞬間
をお伝えいたしました。
本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。
ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日をお過ごし下さい。
山田ゆりでした。
◆◆ アファメーション ◆◆
.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。
私は愛されています
大きな愛で包まれています
失敗しても
ご迷惑をおかけしても
どんな時でも
愛されています
.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。゚+..。*゚+
いいなと思ったら応援しよう!
![山田ゆり](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/10832478/profile_a12435e6ed0b664083ec3acff1a469e3.png?width=600&crop=1:1,smart)