~無菌室から一般病棟へ~ ネガティブな過去を受け入れる
山田ゆり
00:00 | 00:00
※今回はこちらの続きです。
↓バッタさん~ネガティブな過去を洗い流す~
https://note.com/tukuda/n/n163d3558ee6e?from=notice
「これからの治療の方向性が分かりましたので無菌室から一般病棟へ移ります。」
佐々木医師はにこやかに弟に向かって話をした。
大学病院では数人の医師がグループを組んで弟の治療にあたっていた。
佐々木医師はその中で一番若い女医さんだった。
今年医師になりたてで、弟が初めての患者さんとおっしゃっていた。
土日祝日や深夜でも、ナースコールを押すと佐々木医師はすぐに飛んできてくださった。
化粧っ気のない、色白で目の下にはクマができているのに笑顔で接して下さり、弟には天使のように見えていた。
夜になるとのり子は弟のベッドの隣の床に布団を敷き、同じ天井を見ながらこれからの夢を語り合った。
その時、二人は佐々木医師のことも話題にした。
そして
「佐々木先生とは違う場所で出会いたかった。」と弟が言っていた。
のり子はうんうんと頷くしかなかった。
菌が全くない無菌室から一般病棟の個室に移る日がやってきた。
弟は自力で歩くことができず車いすに乗りながら病室まで連れていかれた。
その部屋は窓が開いていた。
これまで菌が体内に入ってくると危険だから無菌であることが第一条件だったのに、窓が開けっぱなしの部屋に通され、のり子はドキッとした。
弟もそれが一番気に障ったようでのり子にすぐ窓を閉めて欲しいと珍しくイライラしながら強い口調でのり子にお願いした。
ついさっきまで無菌状態の人が入る病室の窓を開けっぱなしにしている病院側の無神経な対応にのり子は不満をいだいた。
そして窓を閉めようと窓際に近寄ったのり子はもっとショックを受けた。
その窓に蜘蛛の巣が張ってあったのである。
蜘蛛の巣が張った開けっ放しの窓がある部屋に弟は移されたのである。
いくらなんでもその対応はないだろう。この部屋は一体、掃除されているのかと全てを疑いたくなった。
蜘蛛の巣のことは弟には黙っていた。
その事実を弟が知ったらどう感じるか想像できたからだ。
無菌室から一般病棟に移ることが決まった時、のり子だけ医師から呼ばれ次のことを言われた。
「無菌室に入る時に言った通り、無菌室を出るということは、終わりを意味します。」
弟はもう助からないということだった。
生きることを諦めていないのに。
のり子は、弟の親友に無菌室から個室に移ったことを電話で連絡した。
すると早速数人の友達が面会に来てくださった。
元気な弟にまた会えると思って集まったお友達はガラス越しでしか面会できないことと、その向こうには髪の毛が抜けてしまい色白で薬の副作用で膨れ上がった顔の弟を見て、集まった友人たちは愕然としていた。
のり子は
「弟は薬の副作用で今はこうですが、これから良い方向に向かいますので、これからも弟をよろしくお願いします。」とお願いした。
弟はうつろな目をしながらも来てくださった友人たちに「髪が抜けちまった」というジェスチャーを茶目っ気たっぷりにしていた。
具合が悪くてもサービス精神旺盛な弟である。
個室に移ってからの弟は高熱が続き、はぁはぁと息が荒くなってきた。
その頃はこれまでになく弟の容態が悪いため、今まで一度も休んだことのないワープロ教室も夜間のビジネススクールも、のり子は休んだ。
そんなことをしている場合ではない状態だと分かっていたから。
ある日、はぁはぁと荒い息を吐きながら
「かあさん」
と一言、弟は言った。
それが弟の最期の言葉だった。
「今夜がヤマです。伝えたい人がいましたら連絡をしてください。」
その日、医師がのり子を呼んでそうおっしゃった。
恐れていた日がとうとう来てしまった。
のり子は病院の公衆電話でまず家に電話をした。
すぐに両親はやってきた。そして家を片付けないといけない、そう言って帰って行った。
次にのり子は姉に電話をした。
弟が死と隣り合わせの病気だとは知らされていなかった姉は「どうして。。。」と何度も言っていた。
命が途絶える前に一目弟に会いたいが、こんな夜中に子ども3人を連れて出かけることは出来ないと言った。
姉のご主人様は県外に仕事に行っていて不在だった。
一番下が2歳の未就学児童3人を抱え、車の運転が当時は出来なかった姉は、病院に来ることができなかった。
のり子はあと誰に連絡すればいいか考えた。
入院当初、ほぼ毎日お見舞いに来てくださった弟の直属の上司であるTさんのお宅に電話をした。
すると奥様が電話に出られた。
Tさんはあいにく東京支社に出張中とのことだった。
残念だった。最期をTさんに看取ってほしかった。
のり子は弟がまもなく息を引き取ることを奥様にお伝えした。
奥様はとても驚かれていた。それもそうである。
職場には死ぬほど悪い病気にかかっているとは伝えていなかったから。
数か月したら職場復帰する予定でいると本人も周りも思っていたからである。
奥様に病名を聞かれた時、のり子は涙が溢れて言葉に詰まり言えなかった。
Tさん宅への電話を切ってから、弟のお友達に電話をしようと思ったが、あんなにたくさんのお友達がいるのに、のり子は弟からお友達の連絡先を聞いていなかった。
唯一、一人だけ電話番号を知っているお友達に電話をした。
その方も、今日がヤマだというのり子の話に絶句していた。
あんなに友達が多い弟なのに、のり子は連絡先を知らないから他に連絡できなかった。
たったお一人にしか連絡できなかったことがとても残念だった。
でも仕方ない。
もう、病室に戻ろう。
こんなところで長居をしている場合ではない。
のり子は深夜の病院の廊下を音がしないように静かに歩いた。
病室に戻り弟の傍にずっと座っていた。
どうして弟が死なないといけないのか。
家族の中で一番身体が丈夫でスポーツ万能じゃないか。
何かの間違いなのではないか。
しかし、はぁはぁと苦しそうに息をしている現実が目の前にあった。
のり子は弟の手を自分の掌で包んだ。
「ごめん。本当の病名を言わなくって。」
のり子は弟の手を頬に持って来た。
長くなりましたので
続きは次回にいたします。
※note毎日連続投稿1900日をコミット中!
1825日目。
※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。
どちらでも数分で楽しめます。#ad
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佐々木医師はにこやかに弟に向かって話をした。
大学病院では数人の医師がグループを組んで弟の治療にあたっていた。
佐々木医師はその中で一番若い女医さんだった。
今年医師になりたてで、弟が初めての患者さんとおっしゃっていた。
土日祝日や深夜でも、ナースコールを押すと佐々木医師はすぐに飛んできてくださった。
化粧っ気のない、色白で目の下にはクマができているのに笑顔で接して下さり、弟には天使のように見えていた。
夜になるとのり子は弟のベッドの隣の床に布団を敷き、同じ天井を見ながらこれからの夢を語り合った。
その時、二人は佐々木医師のことも話題にした。
そして
「佐々木先生とは違う場所で出会いたかった。」と弟が言っていた。
のり子はうんうんと頷くしかなかった。
菌が全くない無菌室から一般病棟の個室に移る日がやってきた。
弟は自力で歩くことができず車いすに乗りながら病室まで連れていかれた。
その部屋は窓が開いていた。
これまで菌が体内に入ってくると危険だから無菌であることが第一条件だったのに、窓が開けっぱなしの部屋に通され、のり子はドキッとした。
弟もそれが一番気に障ったようでのり子にすぐ窓を閉めて欲しいと珍しくイライラしながら強い口調でのり子にお願いした。
ついさっきまで無菌状態の人が入る病室の窓を開けっぱなしにしている病院側の無神経な対応にのり子は不満をいだいた。
そして窓を閉めようと窓際に近寄ったのり子はもっとショックを受けた。
その窓に蜘蛛の巣が張ってあったのである。
蜘蛛の巣が張った開けっ放しの窓がある部屋に弟は移されたのである。
いくらなんでもその対応はないだろう。この部屋は一体、掃除されているのかと全てを疑いたくなった。
蜘蛛の巣のことは弟には黙っていた。
その事実を弟が知ったらどう感じるか想像できたからだ。
無菌室から一般病棟に移ることが決まった時、のり子だけ医師から呼ばれ次のことを言われた。
「無菌室に入る時に言った通り、無菌室を出るということは、終わりを意味します。」
弟はもう助からないということだった。
生きることを諦めていないのに。
のり子は、弟の親友に無菌室から個室に移ったことを電話で連絡した。
すると早速数人の友達が面会に来てくださった。
元気な弟にまた会えると思って集まったお友達はガラス越しでしか面会できないことと、その向こうには髪の毛が抜けてしまい色白で薬の副作用で膨れ上がった顔の弟を見て、集まった友人たちは愕然としていた。
のり子は
「弟は薬の副作用で今はこうですが、これから良い方向に向かいますので、これからも弟をよろしくお願いします。」とお願いした。
弟はうつろな目をしながらも来てくださった友人たちに「髪が抜けちまった」というジェスチャーを茶目っ気たっぷりにしていた。
具合が悪くてもサービス精神旺盛な弟である。
個室に移ってからの弟は高熱が続き、はぁはぁと息が荒くなってきた。
その頃はこれまでになく弟の容態が悪いため、今まで一度も休んだことのないワープロ教室も夜間のビジネススクールも、のり子は休んだ。
そんなことをしている場合ではない状態だと分かっていたから。
ある日、はぁはぁと荒い息を吐きながら
「かあさん」
と一言、弟は言った。
それが弟の最期の言葉だった。
「今夜がヤマです。伝えたい人がいましたら連絡をしてください。」
その日、医師がのり子を呼んでそうおっしゃった。
恐れていた日がとうとう来てしまった。
のり子は病院の公衆電話でまず家に電話をした。
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次にのり子は姉に電話をした。
弟が死と隣り合わせの病気だとは知らされていなかった姉は「どうして。。。」と何度も言っていた。
命が途絶える前に一目弟に会いたいが、こんな夜中に子ども3人を連れて出かけることは出来ないと言った。
姉のご主人様は県外に仕事に行っていて不在だった。
一番下が2歳の未就学児童3人を抱え、車の運転が当時は出来なかった姉は、病院に来ることができなかった。
のり子はあと誰に連絡すればいいか考えた。
入院当初、ほぼ毎日お見舞いに来てくださった弟の直属の上司であるTさんのお宅に電話をした。
すると奥様が電話に出られた。
Tさんはあいにく東京支社に出張中とのことだった。
残念だった。最期をTさんに看取ってほしかった。
のり子は弟がまもなく息を引き取ることを奥様にお伝えした。
奥様はとても驚かれていた。それもそうである。
職場には死ぬほど悪い病気にかかっているとは伝えていなかったから。
数か月したら職場復帰する予定でいると本人も周りも思っていたからである。
奥様に病名を聞かれた時、のり子は涙が溢れて言葉に詰まり言えなかった。
Tさん宅への電話を切ってから、弟のお友達に電話をしようと思ったが、あんなにたくさんのお友達がいるのに、のり子は弟からお友達の連絡先を聞いていなかった。
唯一、一人だけ電話番号を知っているお友達に電話をした。
その方も、今日がヤマだというのり子の話に絶句していた。
あんなに友達が多い弟なのに、のり子は連絡先を知らないから他に連絡できなかった。
たったお一人にしか連絡できなかったことがとても残念だった。
でも仕方ない。
もう、病室に戻ろう。
こんなところで長居をしている場合ではない。
のり子は深夜の病院の廊下を音がしないように静かに歩いた。
病室に戻り弟の傍にずっと座っていた。
どうして弟が死なないといけないのか。
家族の中で一番身体が丈夫でスポーツ万能じゃないか。
何かの間違いなのではないか。
しかし、はぁはぁと苦しそうに息をしている現実が目の前にあった。
のり子は弟の手を自分の掌で包んだ。
「ごめん。本当の病名を言わなくって。」
のり子は弟の手を頬に持って来た。
長くなりましたので
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※note毎日連続投稿1900日をコミット中!
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