ネガティブなもう一人の自分を否定しない
※山凪悠斗さんの画像をお借りしました。ありがとうございます。
「もう還暦を過ぎたのだからのんびりしようよ」
と言う自分がいる。
これまでずっと働き続けてきた。
家族の為に、いや、正しくは決算など仕事が楽しくて続けてきた。
そのために会社を優先して家族との時間を削ってきたという負い目がある。
一方で、「この世とお別れする瞬間、あれもしておけば良かった、これもしておけばよかったと、後悔してもいいのか」と問う自分もいる。
その瞬間、私は何を思うのだろうか。
それまで頑張ってきた人生を後悔の念で塗りつぶしたくはない。
この世とのお別れの時は
「ありがとう」
その言葉で締めくくりたい。
AとB、どちらにするか迷った時は「~しなければいけない」ではなく
「~したい」と思う方を選択すればいいと言われる。
そして、その未来を思い描いた時に心の底からワクワクする気持ちが湧いてくる方を選べばいいと言われている。
しかし私は、どちらも「~しなければいけない」ような気がするし
「~したい」と思っているような気もする。
はっきりしない性格なのである。
そんな自分は駄目な人間だとつい思ってしまうがそうではない。
後ろ向きな気の弱い私が常に私の中にいる。
ネガティブなエネルギーを持ったその子は
私が失敗しないだろうかといつも心配してくれている。
つまり、私の足を引っ張っているのではなく、
私のためを思って心配してくれているのだ。
ネガティブな思いは、「私が失敗しないように」という肯定的意図があってのこと。
だから、そのネガティブな私の存在を否定するのではなく
「そうだよね。そう思いたくもなるよね」と肯定しながら
では、自分はどうするかを考える。
ネガティブなもう一人の自分の存在を否定しない。
小さな子どもをそっと見守っている母親のように
私が失敗しないように
傷つかないように
と心配してくれているのだから。
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