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最後の最期まで、前社長らしかった
前社長のお通夜に参列した。
コロナ禍になってお通夜は劇的に変化した一つではないだろうか。
法人の代表をされた方のこれまでのお通夜は
会場の椅子が足りなくなるほどの参列者で溢れていた。
しかし今の時代は、椅子の間隔は広めにとられ、ご焼香のみして帰られるスタイルが定着されつつある。
だから、数百人が収容できる会場ではなくなった。
前社長のお通夜も例外ではなかった。お通夜の儀に参列したいが、今のご時世や何よりご遺族の負担を考慮して、残りたいが残っていいのか、直前まで駐車場でみんなと話し合った。
前社長が専務時代から社長として退任されるまで、秘書的立場にいた私は、「参列に残るか残らないか」は迷ってはいなかった。最初から「残る」つもりで来たからだ。
しかし、取締役でさえ、焼香をして帰ろうかと話されていて「お願い、皆さん、一緒に残ろう」と心の中で願っていた。
結局、半数は香典をあげ、ご焼香して帰って行かれた。
仕方ない、そういうご時世なのである。
私はAさんと一緒に会場に残った。
祭壇の社長の写真を見る。優しいお顔である。でも、私が知っている社長はもっと素敵な笑顔をされていらっしゃる。目をつぶり、在りし日の社長を偲んだ。
時間になりお坊様のお経が始まった。途中、焼香になった。
喪主である奥様、三人のお嬢様、と焼香が始まった。お孫さんらしき学生の男女もいた。
そして親戚の方が焼香になった。私は前側に座っているので後ろが見えない。
親戚の列は長かった。親戚が多く参列されていらっしゃると感じていたら、その中に会社の20代の社員の顔を発見した。
そう、ご焼香は遺族・親族だけでするスタイルが多いが、今回は参列している全員がご焼香するスタイルだった。
私も順番になり立ち上がってご焼香をした。
長いお経が終わった。ここでお坊様はどうされるだろうかと私は思った。
ここでお坊様が亡くなられた方のことを偲んでお言葉をされる場合と、静かにその場を去る場合がある。
私は心の中で前者であるように祈った。
お坊様はまずは前社長に深々と頭を下げ、そして私たちの方に向かれて再び深く頭を下げられた。
そして、静かに語られた。
前社長の戒名の意味を説明して下さった。一文字一文字、どのような思いで決められたのかを故人のこれまでの人生をなぞりながら語られた。
とても満足のいくお話だった。
帰らずに参列して良かったと思った。
私はお坊様のありがたいお話を聞くのが好きだ。
34年前に弟を亡くし、それからはたくさんの方のお通夜へ足を運んだ。
だからお坊様のありがたいお話を聞く機会が多かった。
お坊様が会場から去られ、弔電が読まれた。
そして最後に喪主の挨拶があった。
70代の奥様はどのようなお話をされるのだろうか。
葬儀会社が事前に用意して下さった定型文を読まれて終わる方が少なくはない。
奥様は静かに話された。
最初は定型文を口にされたので「もしかしてそれで終わりかも」と私は思った。
しかし、奥様は、前社長が退任されてからの最初の1年間はお孫さん達といろいろなところへ出かけられていたことを話された。
そしてご病気になられ、入退院を繰り返されたこと。
そして最後の日の事も話された。
ベッドに横たわった前社長はお孫さんの手を握られていた。
「水が飲みたい」と言われ、奥様が水差しで少し飲ませたら
「ごくごく飲みたい!」と言われ、その通りにされたとのこと。
頑固な前社長らしいエピソードだと私は感じた。
最後の最後まで、「らしい」社長だった。
そして、水を飲まれてからおよそ30分後に、お孫さんの手を握りながら、苦しむこともなく静かに天に召されたとのこと。
前社長らしい最期である。
ご冥福をお祈りいたします。
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