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未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す 中学デビュー【音声と文章】
山田ゆり
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入学式の早朝、のり子は自転車に乗り、中学校の玄関に貼られたクラス分けの表を確認しにいった。
「どうか、A君と違うクラスでありますように」
番長的立場のA君から1年間いじめを受けたのり子は小学校を卒業してから今日まで、指を組んで神さまに拝む姿勢を何度もしていた。
眠る時もその祈りは眠りに入るまで続けていた。
そして、彼とは別クラスになったことを知った時、初めて眼鏡をかけたあの瞬間のように、世界が突然明るくなった。
薄暗い夕暮れから一気に朝が来たような感じがした。
これでもう下を向いて歩くことは無くなる。
のり子は嬉しくて嬉しくて、涙を流しながら自転車のペダルを踏み、家に一旦戻った。
入学式には母親と一緒に行った。
私服だった小学校とは違い、今日からのり子はセーラー服で通学することになった。
毎日スカートを履いていく。胸に結んだ青色のスカーフが大人になったようなこそばゆい思いだった。
これで全て上手くいく。
これまで2クラスしかなかった小学校から5クラスある中学に入学した。
学校の周りは小学校の時と同じく田んぼだった。
木造の小学校から鉄筋コンクリート造の中学校。
のり子は遠方の地域だったから自転車通学が許されていた。
これまで6年間通った小学校に比べると全てが「大人」に見えた。
入学式に母は着物を着ていた。
当時、のり子の母は入学式や卒業式には必ず着物を着ていた。
貧乏なのり子の家には洋服を買うお金がない。だから母親はいつも着物だった。
母親は自分で着付けをし、きりりと帯を締めた。襟元もきりっとしていた。
当時は分からなかったが大人になって振り返ってみると、着付けができる母親は凄いと感じる。
母親とのり子は受付を済ませ、それぞれ別々の部屋に行った。
のり子は自分のクラスの教室に入った。
知らない人たちばかりだった。
小学校の同級生の女子は4~5人、同じクラスのはず。
でも彼女たちはまだ来ていない。
のり子はがやがやと賑わう教室の中で一人ポツンと立っていた。
独りでいるところを見られるのが恥ずかしくて、みんなに背を向けて窓の外の景色を見ていた。
一度その体制になると、振り向くタイミングがつかめなかった。
入学式が行われる講堂に入るようにとの指示が出るまで、のり子はずっと校庭を意味もなく眺めていた。
小5までののり子だったら誰にでも明るく声を掛けることができた。
だからそれまでは隣のクラスの女の子とも仲良くできていた。
しかし、いじめを受けた小6の一年間でのり子は内にこもる性格に変わってしまっていた。
虐められていたのり子はいつも下を向いていた。
自分には空がないのではないかと思うほどいつもうつむいていた。
のり子は私に関わったらその子も虐められると思ったから、自分から一人になることを選んだ。
のり子の小6の一年間は「のり子」という私小説の主人公になっていた。
その小説の登場人物はのり子ひとりで、
目線よりも下の世界しかなかった。
虐められても反逆することをのり子はできなかった。
ある意味、虐められるために小学校に行っていたようなものだった。
人との接点を自分から断ったのり子は、人に話しかけるのが怖い人間に変わってしまっていた。
たった一年間でのり子の性格は全く逆になってしまったのである。
中学デビューに期待したのり子だったが入学式当日、そのデビューは失敗してしまった。
気が付いたら周りは何となく仲良くなった人たちがいっぱいで、のり子はその中に入って行けない。
「自分が言った言葉が変だったらどうしよう」
「笑われたらどうしよう」
「またいじめられたらどうしよう。」
そう思うと気軽に声を掛けることが怖かった。
女学生特有の、「二人で行動する」ことがのり子の勇気を出せない理由にもなっていた。
つまり、女子はトイレに行ったり移動教室へ移動する時など、ほとんど二人一組で行動するのだ。
のり子もみんなと一緒に行動したかったが、偶数で行動しているのにのり子が入ったお陰で奇数になると誰かがはじかれるかもしれない。
そうなると、はじかれた子が可哀そう。だからやっぱり自分から声を掛けるのはよそうと思うのである。
体育の時間、「では二人一組になって」と言われる時が恐怖だった。
自分から「一緒にやろう!」って言えない。
いつものり子は「余っていた」。
そして、余った者同士でペアを組んでいた。
昔から音楽が好きだったのり子は中学に入って、ブラスバンド部に入部した。
周りの子たちは友達と一緒に入部してきたが、のり子は勿論、一人で音楽室に行った。
のり子は最初、ホルン担当に決められた。
ホルンのマウスピースだけを持って、廊下に立ち「ぶー」と吹く練習を2~3日していたら、クラリネットに担当替えになった。
クラリネットは竹を薄く切ったリードをマウスピースに縛り付けるような形にして下唇を折って音を出す。
下唇が晴れてしまうのではと当時心配した。
クラスで特に親しい友人を作ることができなかったのり子は、運動会や学園祭など時間割で決められていない自由な時間を過ごす時が一番、困っていた。
黙って机に座っていればいい授業とは違い、仲の良い友達と一緒に行動しないといけない時、苦痛だった。
だから学園祭などのフリーな時間を過ごさなければいけない時は部室に行き、クラリネットを吹いて時間を潰していた。
人より吹く時間が多かったから上達が早かったかというと全くそうではなかった。
のり子のクラリネットはいつもピーピー、キャーキャーという音が多く、一緒に始めた女子は3年生になると丸まった音が出せていたが、のり子は残念ながらきつい感じの音しか出せなかった。
当時ののり子は「学校に入ったら何かの部活に入るのが当たり前。そして、一度入部したらやめないのが当たり前」というガチガチの常識だったから、部活は3年間続けた。
友達を作ることができないのり子にとって音楽室は避難所のようなものだった。
長くなりましたので、続きは次回にいたします。
※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1775日目。
※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。
どちらでも数分で楽しめます。#ad
未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す 中学デビュー
※こちらは、このnoteの続きです。
↓
https://note.com/tukuda/n/n5f12d02dbbb2?from=notice
「どうか、A君と違うクラスでありますように」
番長的立場のA君から1年間いじめを受けたのり子は小学校を卒業してから今日まで、指を組んで神さまに拝む姿勢を何度もしていた。
眠る時もその祈りは眠りに入るまで続けていた。
そして、彼とは別クラスになったことを知った時、初めて眼鏡をかけたあの瞬間のように、世界が突然明るくなった。
薄暗い夕暮れから一気に朝が来たような感じがした。
これでもう下を向いて歩くことは無くなる。
のり子は嬉しくて嬉しくて、涙を流しながら自転車のペダルを踏み、家に一旦戻った。
入学式には母親と一緒に行った。
私服だった小学校とは違い、今日からのり子はセーラー服で通学することになった。
毎日スカートを履いていく。胸に結んだ青色のスカーフが大人になったようなこそばゆい思いだった。
これで全て上手くいく。
これまで2クラスしかなかった小学校から5クラスある中学に入学した。
学校の周りは小学校の時と同じく田んぼだった。
木造の小学校から鉄筋コンクリート造の中学校。
のり子は遠方の地域だったから自転車通学が許されていた。
これまで6年間通った小学校に比べると全てが「大人」に見えた。
入学式に母は着物を着ていた。
当時、のり子の母は入学式や卒業式には必ず着物を着ていた。
貧乏なのり子の家には洋服を買うお金がない。だから母親はいつも着物だった。
母親は自分で着付けをし、きりりと帯を締めた。襟元もきりっとしていた。
当時は分からなかったが大人になって振り返ってみると、着付けができる母親は凄いと感じる。
母親とのり子は受付を済ませ、それぞれ別々の部屋に行った。
のり子は自分のクラスの教室に入った。
知らない人たちばかりだった。
小学校の同級生の女子は4~5人、同じクラスのはず。
でも彼女たちはまだ来ていない。
のり子はがやがやと賑わう教室の中で一人ポツンと立っていた。
独りでいるところを見られるのが恥ずかしくて、みんなに背を向けて窓の外の景色を見ていた。
一度その体制になると、振り向くタイミングがつかめなかった。
入学式が行われる講堂に入るようにとの指示が出るまで、のり子はずっと校庭を意味もなく眺めていた。
小5までののり子だったら誰にでも明るく声を掛けることができた。
だからそれまでは隣のクラスの女の子とも仲良くできていた。
しかし、いじめを受けた小6の一年間でのり子は内にこもる性格に変わってしまっていた。
虐められていたのり子はいつも下を向いていた。
自分には空がないのではないかと思うほどいつもうつむいていた。
のり子は私に関わったらその子も虐められると思ったから、自分から一人になることを選んだ。
のり子の小6の一年間は「のり子」という私小説の主人公になっていた。
その小説の登場人物はのり子ひとりで、
目線よりも下の世界しかなかった。
虐められても反逆することをのり子はできなかった。
ある意味、虐められるために小学校に行っていたようなものだった。
人との接点を自分から断ったのり子は、人に話しかけるのが怖い人間に変わってしまっていた。
たった一年間でのり子の性格は全く逆になってしまったのである。
中学デビューに期待したのり子だったが入学式当日、そのデビューは失敗してしまった。
気が付いたら周りは何となく仲良くなった人たちがいっぱいで、のり子はその中に入って行けない。
「自分が言った言葉が変だったらどうしよう」
「笑われたらどうしよう」
「またいじめられたらどうしよう。」
そう思うと気軽に声を掛けることが怖かった。
女学生特有の、「二人で行動する」ことがのり子の勇気を出せない理由にもなっていた。
つまり、女子はトイレに行ったり移動教室へ移動する時など、ほとんど二人一組で行動するのだ。
のり子もみんなと一緒に行動したかったが、偶数で行動しているのにのり子が入ったお陰で奇数になると誰かがはじかれるかもしれない。
そうなると、はじかれた子が可哀そう。だからやっぱり自分から声を掛けるのはよそうと思うのである。
体育の時間、「では二人一組になって」と言われる時が恐怖だった。
自分から「一緒にやろう!」って言えない。
いつものり子は「余っていた」。
そして、余った者同士でペアを組んでいた。
昔から音楽が好きだったのり子は中学に入って、ブラスバンド部に入部した。
周りの子たちは友達と一緒に入部してきたが、のり子は勿論、一人で音楽室に行った。
のり子は最初、ホルン担当に決められた。
ホルンのマウスピースだけを持って、廊下に立ち「ぶー」と吹く練習を2~3日していたら、クラリネットに担当替えになった。
クラリネットは竹を薄く切ったリードをマウスピースに縛り付けるような形にして下唇を折って音を出す。
下唇が晴れてしまうのではと当時心配した。
クラスで特に親しい友人を作ることができなかったのり子は、運動会や学園祭など時間割で決められていない自由な時間を過ごす時が一番、困っていた。
黙って机に座っていればいい授業とは違い、仲の良い友達と一緒に行動しないといけない時、苦痛だった。
だから学園祭などのフリーな時間を過ごさなければいけない時は部室に行き、クラリネットを吹いて時間を潰していた。
人より吹く時間が多かったから上達が早かったかというと全くそうではなかった。
のり子のクラリネットはいつもピーピー、キャーキャーという音が多く、一緒に始めた女子は3年生になると丸まった音が出せていたが、のり子は残念ながらきつい感じの音しか出せなかった。
当時ののり子は「学校に入ったら何かの部活に入るのが当たり前。そして、一度入部したらやめないのが当たり前」というガチガチの常識だったから、部活は3年間続けた。
友達を作ることができないのり子にとって音楽室は避難所のようなものだった。
長くなりましたので、続きは次回にいたします。
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※こちらは、このnoteの続きです。
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