無菌室で将来の夢を語り合った【音声と文章】
山田ゆり
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※今回はこちらの続きです。
↓
https://note.com/tukuda/n/nb314d9df08ff?from=notice
話は少し前に戻ります。
のり子の弟が入院してまもなく、今後の治療中に血液が急遽必要になることもある為、献血をお願いしたいと医師から言われた。
のり子はまず、弟の勤務先である新聞社に電話をした。
いつもお世話になっている弟の直属の上長のTさんに事情をお話した。
Tさんは快く話を受けて下さり会社の方に話をしてくださった。
まずは弟の勤務先に話はついた。しかし、それだけでは少ない。何人来てくださるかは今のところ分からない。
そこでのり子は11年間勤め、1か月前に円満退社した前職の会社のSさんに電話をした。
彼女は会社の福利厚生を担当する方で、保健室の先生のような立場の方だ。
のり子は弟が入院し、今後の治療でB型の血液が必要で、献血者を探している旨をSさんに伝えた。
そして、献血の日時と場所をお伝えした。
献血の当日は、姉も病院へ来た。私たち3姉弟は同じB型なのだ。
待合室に弟の上司のTさんを筆頭に新聞社の方々が集まった。
そして、のり子の前職の方々も同じくらいの人数が集まり、合計で30名くらいの人数になった。
のり子の前職の懐かしい皆さんのお顔がたくさんあった。
退職したのに自分の為にわざわざお越しくださり、のり子は少し涙ぐみ、姉は「こんなに多くの人が集まってくれてありがたい」と言ってのり子の背中をさすってくれた。
弟の病名は両親とのり子しか知らない。嫁いでいる姉には余計な心配をさせたくないから本当の病名は教えていなかった。
だから今日はただの献血だと教えていた。
たくさんの人の中にのり子の前職で同じ売り場だった工藤君がのり子に小声で聞いてきた。
「弟さんはもしかして○○?」
それは弟の病名だった。
のり子は内心ドキッとしながら
「いいえ。弟はそれではなく、血液不全という病名だから治る病気よ。」と答えた。
弟の病名は当時は不治の病と言われていた。その病名はテレビドラマなどでおなじみでその病気に罹ったらそれは死を意味するようなことだった。
のり子と両親は弟の病名を、本人には勿論、周りに一切、公表しないと決めたのである。
例えば、その人を「白色」だと言うと、本当は「黄色」なのに「白色」な人だと決めつけてしまいがちである。
だから、弟が不治の病に罹ったとは言いたくなかったのだ。
予想以上にたくさんの方々が献血にお見えになり病院側も驚いていた。
この献血は、輸血が目的ではあったが実はもう一つの目的があった。
それは骨髄移植の可能性を探していたのだ。
血液型にはO型、A型、B型、AB型の4つがあるが、骨髄移植をする場合、もっと細かい分類があり、それに適合しその方から骨髄を提供していただくともしかしたら弟は助かるかもしれない。
しかし、大勢の方が集まっていただいたが、弟の血液に適合する方はいらっしゃらなかった。
姉弟である姉ものり子も不適合だったのである。
入院当初は骨折で入院した時のような気楽な気分だった弟は、その後の化学療法で高熱や吐き気が続き、これまでの入院とは全く違う状態に自分はいるのだと認識するようになった。
そして大学病院は次の治療法に移った。
それは「治療」という名の「試験」「研究」だったのではないかと、あとあと、のり子は感じたが、当時は、とにかく、治る見込みがあるのならと病院側を信じていた。
そして一般病棟の6人部屋からのり子の弟は「ICTU」通称「無菌室」に移った。
無菌室はもう一つ上の階にあった。
その病室に入るにはまず通路でエアシャワーを浴びた。上下左右から風が吹いてきて、きっと体に付着している雑菌を吹き飛ばしているのだろう。
そして、棚に用意されている、不織布の割烹着のようなものを上に羽織って、使い捨てのマスクをし、手指の消毒をして、不織布の帽子をかぶって各個室のドアを開ける。
この格好は、その30年後の今、全世界を恐怖に陥れたあの疫病の時と同じである。
のり子は30年後の未来を既にその時体験していたのである。
だから、その疫病が蔓延した時の様子を見て30年以上前の当時を思い出し、再び胸を痛めたのり子だった。
病室は恐らく4つくらいあったようだ。
ひとつひとつが個室になっていて広い病室だった。
のり子は弟が入院してからずっと付き添って寝泊まりしていた。
だから、無菌室に移った際も、のり子は弟と一緒に無菌室で生活をした。
一般病棟とは違い、無菌室は完全看護の状態だから付き添いは不要なのだが、のり子は付き添いを許されていた。
無菌状態を保つために、家族以外の入室は禁止されていたので、お見舞いもできなくなった。
のり子は無菌室に移ってもワープロ教室やビジネススクールに通っていたから、のりこは一般病棟を一日に何往復することもあった。
夜は床に布団を敷いて、弟と同じ天井を見ながら将来の夢を語り合った。
長くなりましたので続きは次回にいたします。
※note毎日連続投稿1900日をコミット中!
1819日目。
※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。
どちらでも数分で楽しめます。#ad
~無菌室で将来の夢を語り合った~
ネガティブな過去を洗い流す
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話は少し前に戻ります。
のり子の弟が入院してまもなく、今後の治療中に血液が急遽必要になることもある為、献血をお願いしたいと医師から言われた。
のり子はまず、弟の勤務先である新聞社に電話をした。
いつもお世話になっている弟の直属の上長のTさんに事情をお話した。
Tさんは快く話を受けて下さり会社の方に話をしてくださった。
まずは弟の勤務先に話はついた。しかし、それだけでは少ない。何人来てくださるかは今のところ分からない。
そこでのり子は11年間勤め、1か月前に円満退社した前職の会社のSさんに電話をした。
彼女は会社の福利厚生を担当する方で、保健室の先生のような立場の方だ。
のり子は弟が入院し、今後の治療でB型の血液が必要で、献血者を探している旨をSさんに伝えた。
そして、献血の日時と場所をお伝えした。
献血の当日は、姉も病院へ来た。私たち3姉弟は同じB型なのだ。
待合室に弟の上司のTさんを筆頭に新聞社の方々が集まった。
そして、のり子の前職の方々も同じくらいの人数が集まり、合計で30名くらいの人数になった。
のり子の前職の懐かしい皆さんのお顔がたくさんあった。
退職したのに自分の為にわざわざお越しくださり、のり子は少し涙ぐみ、姉は「こんなに多くの人が集まってくれてありがたい」と言ってのり子の背中をさすってくれた。
弟の病名は両親とのり子しか知らない。嫁いでいる姉には余計な心配をさせたくないから本当の病名は教えていなかった。
だから今日はただの献血だと教えていた。
たくさんの人の中にのり子の前職で同じ売り場だった工藤君がのり子に小声で聞いてきた。
「弟さんはもしかして○○?」
それは弟の病名だった。
のり子は内心ドキッとしながら
「いいえ。弟はそれではなく、血液不全という病名だから治る病気よ。」と答えた。
弟の病名は当時は不治の病と言われていた。その病名はテレビドラマなどでおなじみでその病気に罹ったらそれは死を意味するようなことだった。
のり子と両親は弟の病名を、本人には勿論、周りに一切、公表しないと決めたのである。
例えば、その人を「白色」だと言うと、本当は「黄色」なのに「白色」な人だと決めつけてしまいがちである。
だから、弟が不治の病に罹ったとは言いたくなかったのだ。
予想以上にたくさんの方々が献血にお見えになり病院側も驚いていた。
この献血は、輸血が目的ではあったが実はもう一つの目的があった。
それは骨髄移植の可能性を探していたのだ。
血液型にはO型、A型、B型、AB型の4つがあるが、骨髄移植をする場合、もっと細かい分類があり、それに適合しその方から骨髄を提供していただくともしかしたら弟は助かるかもしれない。
しかし、大勢の方が集まっていただいたが、弟の血液に適合する方はいらっしゃらなかった。
姉弟である姉ものり子も不適合だったのである。
入院当初は骨折で入院した時のような気楽な気分だった弟は、その後の化学療法で高熱や吐き気が続き、これまでの入院とは全く違う状態に自分はいるのだと認識するようになった。
そして大学病院は次の治療法に移った。
それは「治療」という名の「試験」「研究」だったのではないかと、あとあと、のり子は感じたが、当時は、とにかく、治る見込みがあるのならと病院側を信じていた。
そして一般病棟の6人部屋からのり子の弟は「ICTU」通称「無菌室」に移った。
無菌室はもう一つ上の階にあった。
その病室に入るにはまず通路でエアシャワーを浴びた。上下左右から風が吹いてきて、きっと体に付着している雑菌を吹き飛ばしているのだろう。
そして、棚に用意されている、不織布の割烹着のようなものを上に羽織って、使い捨てのマスクをし、手指の消毒をして、不織布の帽子をかぶって各個室のドアを開ける。
この格好は、その30年後の今、全世界を恐怖に陥れたあの疫病の時と同じである。
のり子は30年後の未来を既にその時体験していたのである。
だから、その疫病が蔓延した時の様子を見て30年以上前の当時を思い出し、再び胸を痛めたのり子だった。
病室は恐らく4つくらいあったようだ。
ひとつひとつが個室になっていて広い病室だった。
のり子は弟が入院してからずっと付き添って寝泊まりしていた。
だから、無菌室に移った際も、のり子は弟と一緒に無菌室で生活をした。
一般病棟とは違い、無菌室は完全看護の状態だから付き添いは不要なのだが、のり子は付き添いを許されていた。
無菌状態を保つために、家族以外の入室は禁止されていたので、お見舞いもできなくなった。
のり子は無菌室に移ってもワープロ教室やビジネススクールに通っていたから、のりこは一般病棟を一日に何往復することもあった。
夜は床に布団を敷いて、弟と同じ天井を見ながら将来の夢を語り合った。
長くなりましたので続きは次回にいたします。
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